南無煩悩大菩薩

今日是好日也

初詣にて。

2011-01-07 | つれづれの風景。

時速10メートル、粛々と本殿を目指す数多の人々がいた。

この日は、その数75万人だったという。

なにものかの思いがそれぞれの胸に秘められている。

しかしながら、規制に従い秩序を維持した人の大群に、わたしはある種の畏敬の念さえ覚えた。

導くものさえ間違えなければ、この精神はきっと大きな事業を成し遂げられる。

ある意味、聖者の行進のような錯覚に囚われた。

導かれるものさえ、間違えなければ。





これはどうだろう。

この願いは、どこに行くのだろう。

お金が、踏みにじられている。

その人は悪くないが、それはいけないような気がした。

自分の投げた願いが、目の前で踏みつけられた人の気持ちを思うと。

神仏とは何か、お金とは何か、願い導きとはなにか、僕は考えさせられる。

もし踏みつけられてもし落ち込んでいる人がいたなら、一声かけてやりたいと思った。

「憚りながら、踏まれるとは、富生まれる に通づるから、いいことかも知れませんよ」
コメント
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