時速10メートル、粛々と本殿を目指す数多の人々がいた。
この日は、その数75万人だったという。
なにものかの思いがそれぞれの胸に秘められている。
しかしながら、規制に従い秩序を維持した人の大群に、わたしはある種の畏敬の念さえ覚えた。
導くものさえ間違えなければ、この精神はきっと大きな事業を成し遂げられる。
ある意味、聖者の行進のような錯覚に囚われた。
導かれるものさえ、間違えなければ。
これはどうだろう。
この願いは、どこに行くのだろう。
お金が、踏みにじられている。
その人は悪くないが、それはいけないような気がした。
自分の投げた願いが、目の前で踏みつけられた人の気持ちを思うと。
神仏とは何か、お金とは何か、願い導きとはなにか、僕は考えさせられる。
もし踏みつけられてもし落ち込んでいる人がいたなら、一声かけてやりたいと思った。
「憚りながら、踏まれるとは、富生まれる に通づるから、いいことかも知れませんよ」