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・・・法廷で彼は、「なぜ自分を証人ではなく戦犯として出廷させないのか」と訊き、
裁判長が「貴君はこちらの訊問にイエスかノーかを答えればいいのだ」と注意して、さて、「満州事変における日本軍の被害はどの程度であったか」と質問したのに対して、
「被害の程度をいうのに、あいにく日本語では、イエス、ノーだけでは表現できない」とか、
「ジェネラルは東条と対立していたというがほんとうか」と質問されたのに対して、
「私に若干の思想があるが、東条には無い。思想のある者とない者との間に、意見の対立などありえない」など人をくった返事をした。-「人間臨終図鑑」山田風太郎より-
その人の名は、石原莞爾 元陸軍中将。
強い信念の人というのは、どうしても周りとの対立を産み易い、ただそれは双方に思想なり信念なりがある場合であり、片方だけであれば、それは単なる軋轢、鞘当と呼びうるもの。
その中の趣を理解せぬものにいくら説明しても解るものではない。
それを地でいった人ではなかろうかと思える。
・・・法廷で彼は、「なぜ自分を証人ではなく戦犯として出廷させないのか」と訊き、
裁判長が「貴君はこちらの訊問にイエスかノーかを答えればいいのだ」と注意して、さて、「満州事変における日本軍の被害はどの程度であったか」と質問したのに対して、
「被害の程度をいうのに、あいにく日本語では、イエス、ノーだけでは表現できない」とか、
「ジェネラルは東条と対立していたというがほんとうか」と質問されたのに対して、
「私に若干の思想があるが、東条には無い。思想のある者とない者との間に、意見の対立などありえない」など人をくった返事をした。-「人間臨終図鑑」山田風太郎より-
その人の名は、石原莞爾 元陸軍中将。
強い信念の人というのは、どうしても周りとの対立を産み易い、ただそれは双方に思想なり信念なりがある場合であり、片方だけであれば、それは単なる軋轢、鞘当と呼びうるもの。
その中の趣を理解せぬものにいくら説明しても解るものではない。
それを地でいった人ではなかろうかと思える。