(牛図/長澤芦雪)
牛の図といえば私はこれだ。包み込んでいるやんちゃな子犬もいい。
「鈍」というのはいい言葉で、ゆっくりではあるが着実に且つ的を外さずに歩む、そんな度量を匂わす響きがある。
「本来、歴史というものは最終的解決なるものはないのであって、暫定的解決を無限に続けていくのが歴史だと思うのであります」
鈍牛と呼ばれた故大平正芳首相の言葉である。外交関係も色々と取り沙汰される現状にこの言葉は重い。
地平はあってもゴールは逃げ水のように去っていく、及第点はあっても合格はない、仕事も人生もそのようなものだと思える。
鈍牛のように暫定的解決を無限に続けるのが筋なのだろう。
牛の図といえば私はこれだ。包み込んでいるやんちゃな子犬もいい。
「鈍」というのはいい言葉で、ゆっくりではあるが着実に且つ的を外さずに歩む、そんな度量を匂わす響きがある。
「本来、歴史というものは最終的解決なるものはないのであって、暫定的解決を無限に続けていくのが歴史だと思うのであります」
鈍牛と呼ばれた故大平正芳首相の言葉である。外交関係も色々と取り沙汰される現状にこの言葉は重い。
地平はあってもゴールは逃げ水のように去っていく、及第点はあっても合格はない、仕事も人生もそのようなものだと思える。
鈍牛のように暫定的解決を無限に続けるのが筋なのだろう。