南無煩悩大菩薩

今日是好日也

2014年5月18日の記。

2014-05-18 | 有屋無屋の遍路。
(写真/種田山頭火)

私は今まで山頭火の詠む心象に惹かれてきました。

そして本居宣長の謂う「もののあはれ」を五感に受けとめたいものだと願ってきました。

また森林太郎の謂う「バイタルフォース」を五体に与え得たいものだと願ってきました。

山に分け入り、野に遊び、川面といっしょに流れるような、わるくないそれなりの生を享受してきたのだとおもえます。

自我を自覚し自演する畢竟を概算できるほどの強かさも以前よりは少しずつ身に沁みてきたようです。

そしてもう一つの願いは、
フェルナンド・ペソアの謂うように、「外的現実についての明白で澄明な概念と、私が取るに足らないものだという直観と、小さな存在として幸せだと考えることができる快適さとを」
「私のこの外見が消え失せるその時まで、あらゆる神々が私を守り残してくれますように」というものです。

私のこの外見が消えうせるその時までと、わりと真面目に願うのです。
コメント (2)
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