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「ゲーテは、老齢とは現象から次第に引き退くことであると言ったが、
ジムメルによれば、我々が老年となるに従って、世界に通ずる我々の道を塞いでいる種々雑多の経験や感覚や運命は、言わば相互的に益々摩滅されていくのである。
・・・けれども老年芸術を規定するものは、全く一種独特の主観性であって、これと青年の主観主義とは、殆ど名前の外に共通点のないものである。
なぜならば後者は世界に対する一種の激情的反発であるか、然らざれば世界を全く眼中に置かない、無頓着の自己発動に外ならぬからである。
然るに前者は人間が世界を、経験として、運命として自己に摂取した後に、そこから離脱し退却することを意味する。
それ故に青春の主観主義は自我を絶対的内容となし、老年のそれは、自我を絶対的形式とする。
-大西克禮「風雅論」より-
「ゲーテは、老齢とは現象から次第に引き退くことであると言ったが、
ジムメルによれば、我々が老年となるに従って、世界に通ずる我々の道を塞いでいる種々雑多の経験や感覚や運命は、言わば相互的に益々摩滅されていくのである。
・・・けれども老年芸術を規定するものは、全く一種独特の主観性であって、これと青年の主観主義とは、殆ど名前の外に共通点のないものである。
なぜならば後者は世界に対する一種の激情的反発であるか、然らざれば世界を全く眼中に置かない、無頓着の自己発動に外ならぬからである。
然るに前者は人間が世界を、経験として、運命として自己に摂取した後に、そこから離脱し退却することを意味する。
それ故に青春の主観主義は自我を絶対的内容となし、老年のそれは、自我を絶対的形式とする。
-大西克禮「風雅論」より-