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『画学生にとってとりわけ困難なのは、自分自身が自然に感じた印象と、その印象について思いめぐらす考察の間で決断を下すことである。多くは「モチーフ」を探そうとして自然の中に出かけるとき、彼らの内面が乏しいため、無意識のうちに、画廊で見かけて気に入ったほかの画家の絵と同じものを作り出してしまう。彼らは多分何百回も自分だけの主題のそばを通り、感じ、楽しんだであろうに、自分の感動をきちんとはかれず、自分自身への信頼に欠けているせいで、それらを無視し、すでに評価を得た他人の趣味を受容れてしまうのである。世間で評価を得たものだから、それを理解できないのは恥ずかしいことであり、本当にそれが自分の求めることなのかどうか確信がもてないまま、そうすべきだと思って努力するのである』-ロバート・ヘンライ「アート・スピリット」より-
画学生でなくとも、自分の感動をきちんとはかれず、自分自身への信頼を欠くことで、自分だけの主題に盲目になってしまうことは多々ありそうだ。
ミケランジェロの言う「I am still learning」も自分だけの主題があってこそのことだろう思える。
誰にでも自分だけの主題は存在する。ちなみにこれは書くまいと思ったが、浮かんでどうしてもうずうずするので私は書く、・・・ミケランジェロにはマケラレンジャロ。
『画学生にとってとりわけ困難なのは、自分自身が自然に感じた印象と、その印象について思いめぐらす考察の間で決断を下すことである。多くは「モチーフ」を探そうとして自然の中に出かけるとき、彼らの内面が乏しいため、無意識のうちに、画廊で見かけて気に入ったほかの画家の絵と同じものを作り出してしまう。彼らは多分何百回も自分だけの主題のそばを通り、感じ、楽しんだであろうに、自分の感動をきちんとはかれず、自分自身への信頼に欠けているせいで、それらを無視し、すでに評価を得た他人の趣味を受容れてしまうのである。世間で評価を得たものだから、それを理解できないのは恥ずかしいことであり、本当にそれが自分の求めることなのかどうか確信がもてないまま、そうすべきだと思って努力するのである』-ロバート・ヘンライ「アート・スピリット」より-
画学生でなくとも、自分の感動をきちんとはかれず、自分自身への信頼を欠くことで、自分だけの主題に盲目になってしまうことは多々ありそうだ。
ミケランジェロの言う「I am still learning」も自分だけの主題があってこそのことだろう思える。
誰にでも自分だけの主題は存在する。ちなみにこれは書くまいと思ったが、浮かんでどうしてもうずうずするので私は書く、・・・ミケランジェロにはマケラレンジャロ。