南無煩悩大菩薩

今日是好日也

「生きている」と「生きる」

2015-07-28 | 古今北東西南の切抜
(Gif/source)

‘生物学では生きものの性質として、膜による区切り、代謝、世代の継続(複製)、進化、の四つをあげる。

これを行う単位である細胞にはその特性を決めるゲノム(DNA)が入っている。

生きものは生まれ、育ち、老い、死ぬという過程を繰り返しており。そのために外から体を作る物質とエネルギーとを取り込み代謝とする。

そこで、膜は「閉じながら開いている」必要がある。

「食べる」ことで代謝を支え、動的平衡にあるのが「生きている」状態である。食べ過ぎると太るなど日常と結びついた働きである。

一方、世代の継続(複製)と進化は、長い時間の中で考えるものである。単細胞生物では細胞の複製が世代の交代になるが、私たち性のある生きものでは、受精によって生じる新しい組み合わせの唯一無二のゲノムを持つ個体が生まれる。

この組み合わせがどうなるかはまさに天の采配、「私たちの意思」でどうなるものでもない。

DNAは二重らせんという自分と同じものをつくるみごとな構造で各個体がその性質を保ち続ける同一性を保証する一方、ある頻度で必ず変化をする。

この同一性の保持と変化との微妙なバランスが進化を支え、生きものを三十八億年も続けて来させたのである。なんともうまくできている。

こうしてみると、四つの性質のうち、継続(複製)と進化こそ、「生きている」を支える自然の力といえる。長い長い時間の流れの中にあり、本来私たちの意思が関わらない力である。

「生きている」は三十八億年という長い時間を見る視点であり、継続(複製)と進化が基本となる。

一方「生きる」は一生という時間であり、ここでは「代謝」が重要である。

「生きている」に学びながらいかに「生きる」かを考えるのが、

生きものとしての人間のありようと言えよう’

(切抜/中村桂子「生きているを見つめ、生きるを考える」より)


Talking to Satie (Alessandra Celletti)
コメント (2)
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