(picture/source)
ヤドカリの気分の違いによって、イソギンチャクはヤドカリにとって意味が変わる。
ヤドカリの家である貝殻の上についたイソギンチャクを取り外した場合(ヤドカリの家に付いたイソギンチャクは天敵のイカの攻撃を防ぐのに役立つ)、ヤドカリは自分の家にイソギンチャクをくっつけようと行動する。
貝殻を取り去り裸にされたヤドカリはイソギンチャクを見つけると、ヤドカリはたとえ無駄でもそのイソギンチャクをくっつけようと行動する。
すでに貝殻とイソギンチャクを背負ったヤドカリを長時間絶食させると、ヤドカリはイソギンチャクを食べようとし始める。
ー参照/ユクスキュル/クリサート「生物から見た世界」より
つまり、ヤドカリにとって、イソギンチャクは「保護」でもあれば、「住居」でもあれば、「摂食」の対象にも成り得るということ。
たとえば「慕」という言葉がある、ただ、「慕る」というのと「募集」は違う。
たとえば恋心。慕ることはあっても募集することは出来ない。
ある人は「仕事」というものについてこう言った。
道を歩いているときにたまたま出会った穴に気付きそれを埋めようとすること。
Leonard Cohen - Dance Me to the End of Love (Official Video)
・・・・いろいろあったが死んでみりゃあ、なんてこった、はじめから居なかったのとおんなじじゃないか、皆の衆。
ー山田風太郎