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「そりやそうや、そうや、旦那の言う通りや、誰が銭持ってたら、空き腹に酒なんかあおるもんか、米の飯(めし)がほんまに恋しゅうてならんわ
昨日も飯食うたんやあらしまへん、観照寺で接待あるゆうよってに、伊原つれて出かけたら、それが、うどんの接待だす、伊原にお前わいに半分残しとけゆうたのに、あの狸め、ちょっとも余さんと食うてしまいよる
なア旦那、大体伊原に、観照寺で接待あるよってに行こかゆうて誘うたのはわいだっせ、知らんといたらうどん一筋も口に入らんとこや、なア、そやのに、恩知らずめが、どうだす、礼儀の知らんこと、後輩の癖にわいより先にお汁をかけて、ちょっと残しといてと頼んどいたのに、どんぶり鉢のはしも噛る位綺麗に食うてしまいやがんね
それからとゆうものは、まる二日、仕事もないし!」
「わいは、何のはなししてたんやったかいな、――そやそや、旦那は酒飲む金で飯食えと説教してくれはったんやったな、どうも、おおきに」
「そやけど、ほんまのことをゆうとやな」と、語り出した。
――彼らはどんなに空き腹を抱えていても、人に飯を食わせてくれ、とは云えないのであった。何故ならば、誰も彼も自分だけが食うのが精一杯で余裕は更にないので、しかも頼まれたら、すぐに足りないものも半分は分けてやらねばならず、
だから、そんな人の予定を狂わし迷惑かけるような依頼心を起すのは道徳的ではないと、されている。そして、もしも誰かが景気よくて、すっかり気が大きくなり、おい、酒のませたろかと誘われた時にも「酒の代りに飯をおごってくれ」とは言えないものだ、とおっさんはしみじみ述懐した。
それは一つには、虚栄心もあったし、また折角相手が酒で愉快になっている気分をぶち壊すに忍びないからであった。だから、今夜のように酒だけで腹をこしらえている時もある!ーー
「兄貴、酒おごらんか、は言えます、そやけど、言えまっか、めし一杯頼むとは」と彼が云えば、夜更けの酔っ払いたちは口々に、
「そうは云えん、云えんもんじゃ」
ー 引用参照/武田麟太郎「釜ヶ崎」より
Le Phare - Yann Tiersen