南無煩悩大菩薩

今日是好日也

属人的な生の芸術

2020-11-17 | 酔唄抄。

(picture/Lascaux painting)

「芸術はそれ自体、発展することはない。思想が変わり、それとともに表現形式が変わるだけである」

とは、パブロ・ピカソの言葉だそうだ。

変化はするが発展したわけではない。という知見、「生(き)」というものに対する含意は深い。

芸術家の芸術も酒飲みの呑み方も本人の中で完結する、多くとも一生80年やそこいらの個人のなかでは伝統ではなく自分のクリエイティビティだけが拠り所である。しかし、科学や技巧などと言うものは先人の上に塗り重ねて行けるから何万年もの時を経てそれなりの重層を為して「発展」している。

それでいえば、「酒飲み自体、発展することはない、酒が変わり、それと共に酔い方が変わるだけである」と言い換えても損酌とはおもわれない。

ラスコーの壁画を描いた人は2万年前ぐらい前の人と言われているが、その人と今の芸術家と、2万年前にもいたであろう酔っ払いと、今の酔っ払いと、

「それ自体、発展してはいない」ということでは共通しているのではなかろうか。

そう考えると、真似のないあくまでも「自分らしい」酔っぱらい方ができれば、それは「芸術的」なものと言っても差し支えないと私は酔夢するのである。

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