南無煩悩大菩薩

今日是好日也

夏景。一.

2007-08-13 | つれづれの風景。

口いっぱいに夏空を含む。

もりもりの雲の勢いも。

暑い空気と一緒に飛行機雲がスッと伸びた。

ここにも夏が在る。
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夏景。二.

2007-08-13 | つれづれの風景。

山を望んでも夏。

もりもりと夏。

山が雲を産んでいる。
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夏景。三.

2007-08-13 | つれづれの風景。

海を見ても夏。

もりもりの夏。

粛々と夏に佇んでいる。

遠望羨望夕立、においたつも夏。
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かくれんぼ。

2007-08-11 | つれづれの風景。


ちゃいますやん。

かくれんぼうず。ですやん。



あいもかわらずぼけてぶれております。はい。

天罰がくだりませんよう。賽の河原で。

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遠望。

2007-08-06 | つれづれの風景。

遠近法では、かなたは小さくなる。

すこぶる小さくなってはいくが、閉ざされてしまうことは無い。

進めば進むほど、また開けてくる。

実際には、とめどもなく、いってもいっても行き着くことなく開けている。

先の不安におののくことなかれ。遠望者よ。

進めば必ずや開かれん。

Vロードとは、このような意味もあろうかとや思わん。




夏雲の なみたちる先 我知らん
こころはせるも ふるさとのそら。

-無山人-


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共生。

2007-08-05 | つれづれの風景。

羊歯類が老木に寄生している。

羊歯は見るからに元気で軽やかだ。

木は羊歯によりなんらかの恩恵は受けているのであろうか。

互いに与えつつ奪いつつの共生のリレーションシップを願う。

傍目には分からない。

どだいわからないのは、どちらが土台となっているのかだ。

羊歯によって木はわずかな命目を保っているのかもしれない。


そうであってほしい。


それなしで、生きるということは、きっとつまらないであろうから。

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はげかね。

2007-08-04 | つれづれの風景。

禿鐘。


はげかね?

いえ。ぼうずです。


ならせるのかね?

それはむりでしょう。

昔から、ごんたくれ、といわれてはおりますが、ゴン!とはなりません。


ならぬなら はいってしまえ ならぬなか。


・・・。

自分で言うのもなんですが、ばかだねぇ。

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コンセプチュアル。①

2007-08-03 | つれづれの風景。

ENSOH-HAKU

白の円相。

概念の思索。
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コンセプチュアル。②

2007-08-03 | つれづれの風景。

ENSOH-KI

黄の円相。

概念の模索。

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馴染。

2007-08-02 | つれづれの風景。

石仏は、竹を拝んでいるようにみえる。

が。拝んでいる先に竹が生えてきたのである。

しかし。もしかしたら。拝み倒して、竹を生やしたのかもしれない。

如何様にも観るものの心次第に見える。

そこが、案外間違いの元だったりする。


石仏の風化と、青竹の成長が、えもいえぬ借景と馴染を見せる。

なじんでいく。

時間がなじんでいくとは、偶然の積み重ねのようにも思える。

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Trip.

2007-08-01 | つれづれの風景。

少し足を伸ばせば、知らない街の風景に出会う。

ちょっとした時間のすれちがいが、喧騒の中に浮かび上がり、ふっとした静粛を生んだりする。

異邦人の感覚に遊べるのは、何も海外にまで出る必要も無い。

知らない街で知っている人をみながら、そんなことを考える。

知っている街で知らない人をみても起こらない感覚でもあろうか。



心地よくも嬉しく呑んだほろ酔い気分が、私の思考をトリップさせる。

ちょっとふりむいてみただけの異邦人。

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