家畜化されていないものが、家畜化されなかった六つの理由を、ジャレド・ダイヤモンド氏はこのようにまとめている、
餌の問題。与える量と労力に対して、得るものが少ない。
成長速度の問題。成長が遅すぎて、将来への計算が立たない。
繁殖上の問題。精力が弱かったり、シャイな性格で、計画的な繁殖に向かない。
気性の問題。噛み付いたり、敵意を見せたり、従わない。
パニックになりやすい性格の問題。心身症になったり、やみくもに自分の身を痛めたりする。
序列性のある集団を形成しない問題。好き勝手なことをする。
この六つが整わなければ、愛玩ではない限り家畜としては用を成さないようだ。
牛や豚や馬や羊などは家畜化されているが、ライオンや虎やシマウマやキリンなどは家畜化されていない。
家畜化したということは、共存共栄のための古代からの試行錯誤と選択の結果そういうことになっている。
人類の繁栄と共に、家畜化されたものに絶滅危惧種はいない。
いや、家畜化されたのではなく、種の保存のために、彼らは進んで家畜的なのかも知れぬ。
人は、利用しているのではあるが、家畜はせっせと人に世話をさせて、自然の驚異から身を守っているようでもある。
まるで、種全体の存続のためには、個々の供出には目をつぶるかのように。
あなたに利があるならこちとらにも利があるのよ。
たぶん共存共栄の金科玉条だ。
別名パズル草。
嘘です。勝手につけました。
ただ僕には、そんなふうに考えられた。
腹が減った、眠たい、雲子したい、とは言わずに、人が生きていくうえでの欲求とはなにか?と考えたり。
痛い、悲しい、腹が立つ、嫌や、とは言わずに、私にとって苦痛とは何か、そういう感覚をなぜ僕は持つのか?と考えたり。
そこにある具体に対する自己反応を、僕自身の人格や人生のパズルを埋めるような作業に置き換えてみるのも悪くはない。
花の中に花がある。人の中に僕も入って生きている。
ただ僕には、そんなふうに考えられた。