南無煩悩大菩薩

今日是好日也

十牛の図、その六。

2011-08-09 | 有屋無屋の遍路。
6. 「騎牛帰家」 牛に乗り笛を吹きつつ家に帰る 牛と童子は一体


海彦の幸は海に、山彦の幸は山に、あるということはわかっています。

でもなぜか私たちは、違うものや無いものを欲しがったりしてしまいやすいようです。
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十牛の図、その七。

2011-08-09 | 有屋無屋の遍路。
7. 「忘牛存人」 家に帰り牛のことも忘れる 悟った気持ちさえも忘れる


夜寝りにつくと、朝まで、目が覚めるまで、私たちは多少の騒音を伴う無防備な物体と化します。

古くから、寝起きを襲うというのは、もっとも卑怯だといわれ、また、おちおち夜も寝られない、というのは辛い事です。
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十牛の図、その八。

2011-08-08 | 有屋無屋の遍路。
8. 「人牛倶忘」 一円相 人も牛も忘れた絶対空の世界


多角形の角を増やせば増やすほど、円に近づきます。

角を取ることで、氷は解けづらくなります。

角があれば、角は強いけれど、辺は弱くなります。

でも角が無ければ、私たちはとても不安かもしれません。
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十牛の図、その九。

2011-08-08 | 有屋無屋の遍路。
9. 「返本還源」 人も牛も消え、花と水の自然に還る


もっていたものがなくなると、人は喪失感を持ち、それを取り戻そうとします。

でも、

あったことがなくなったのと、なくなったということがあったのと、どうちがうのでしょか。
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十牛の図、その十。

2011-08-08 | 有屋無屋の遍路。
10. 「入廛垂手」 童子は布袋と対面、世間に還る


たぶん私たちは大変興味深い世界にいるようです。そしてこの未熟な手はおぼろげながらも小さな意思を持って「それ」を探しているようです。

私は、牛は、童子、布袋は、どのようなものか。
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散歩の効用。

2011-08-06 | 世界の写窓から
source)

「この地球上の互いに引き合う力は、万有引力定数Gに、その全ての質量を掛けた後、それらのものの間の距離の二乗で、割ったものに相当する。」

ちんぷんのかんぷんのちちんぷいぷいですが、この地球上には、目に見えない引き合う力が存在することは確かです。

趣味が合うというか、嗜好が同じと言うか、馬があう、という人とめぐり逢えるとラッキーです。

理想に巡り合うためには、笑われようがなんだろうが、理想を捨てずにその道の散歩を続ける事でしょう。



(original unknown)
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ほとんどジョーク。

2011-08-05 | 世界の写窓から
(source)

そんなご無体な。

というような要求をされたり、訳のわからないゴネ方をされたりする時がある。

例えば、昨日聞いたのは、来客の女性の化粧が濃すぎるじゃないの、と大家さんにクレームをつけられたとか・・下手なジョークより面白いことも。

ゴネたり、イチャモンをつける人はみんな似ているところがある。

ある弱さを隠そうとする自己顕示欲に近いところがあるようだ。

乳幼児は、お腹がすくと乳がもらえるまでゴネてゴネてゴネまくる。

チンピラはどれ位まで自分の脅しが効くかで、自分の力量に安堵したいという癖がある。

ただ、別れたいと思われている恋人に、別れてやる、と叫んでも効き目は無い。

また、窓際の社員が、上司に、辞めてやる、と脅しても、それは脅しにはならない。

つまりある程度、ある種類の力というものを背景に、こういう人たちは無体なクレームをつける。

人間とはかくもこのような利己的な一面を持っている。

ほとんどジョークなのだ。

もしくは病気かもしれないが。

然るに真剣に取り合うと、思う壺。


将軍様の前では、笑顔はじけて超ミニスカート、足を上げて腕を振ってワンツーワンツー・・・。
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反抗期。

2011-08-04 | 古今北東西南の切抜
(コラージュ/マッド・アマノ)

夏休みである。

反抗期の子供がずっといて、暑さと共にイライラしている親御さんも多いかもしれない。

今朝の日経新聞におおむねこんな話が紹介されていた。

ゲームばっかりで勉強をしない子供に向かって、

親:「何度言ったら分かるの、いつまでやってるの、そろそろやめなさい!」

子供:「一定のめどがついたら」

またしばらくして、

親:「はやくやめなさい っていってるでしょ。馬鹿になるわよ」

子供:「覚悟はできてる。自分の進退は自分で決める、もうしばらくこらえてください。」

・・・「END]。


むしろ鶏口となるも牛後となるなかれ。
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夏に澄む。

2011-08-03 | 意匠芸術美術音楽
(Art by Viadimir Wolegow)


丘は美しく、水は清く、陽射しはのどかで、風も穏やかである。

空には真新しい光が溢れ、まさに別天地である。

混沌の中にも平和があり、平和の中にも華やぎがある。

それに出逢うと人は目を開かれ、そこに座し、身を横たえると、心に愉悦が満ちる。


そんな一節を想う。
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よく効く薬。

2011-08-02 | 意匠芸術美術音楽
(像/木喰仏)

ブルックナーは、42歳から作曲をはじめた

伊能忠敬は、56歳から測量を始めた

木喰上人が、仏を彫るのは還暦を過ぎてのこと。


人が創造するものにはそのひとの魂が宿るようだ。

人が創るもので魂の宿りを感じないものはちょっと寂しい。


シューベルトは、31歳でその生涯を閉じたが、ブルックナーとどちらが作曲家として偉大であるかはわからない。

人にはなるべくしてなるような生き方があるようだ。

ただいえることは、人の魂のこもった創造物に触れることで、私の精神が秩序と安定と喜びを取り戻すのは確かだということだ。
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意のおさめかた。

2011-08-01 | 意匠芸術美術音楽
(写真/モースコレクション「百年年前の日本」より)

施しているのか、施されているのか。

食っているのか、食わしてもらっているのか。

わからないときがある。


無智亦無得(むちやくむとく)以無所得故(いむしょっとっこ)


飄々と淡々と

さしあげたり頂いたり するのは難しい。
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