南無煩悩大菩薩

今日是好日也

森の賢人。

2012-04-06 | 世界の写窓から
(original unknown)

凡ての学問の目的は、精神が天地間の万物において己自身を知るにある。-ヘーゲル-

じっくりと学び問えば、さまざまな矛盾に出会うが、それはより深遠な知識への出発点でもある。

覚え悟ることの喜びの前には、少なからず苦悩はあるが、それを避けての賢人はいない。

生まれつきの賢人などは、どこにもオランウータン。
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好々爺のなり方。

2012-04-05 | 有屋無屋の遍路。
(original unknown)

自分の良心に照らし合わせて、やましいことがなければ、笑っていられるし、夜もぐっすりと眠れます。

したことよりもしなかったことが大きな影響を与える。

そこんところもたぶん大事なひとつだと思うのです。
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ハルウララにつき。

2012-04-04 | 閑話休題
(photo/Ellen Von Unwerth)

その昔、中世の頃、初めて裁判という制度が出来た時、女性が胸部の谷間と臀部の谷間を露出するのではどちらが罪深いかを争ったそうです。

その結果は、谷間を見せたお尻であるということで結審しました。

それ以来、裁判制度での結審を、ハンケツが出た、と言うようになったということです。

が、よい子は信じてはいけません。
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美の本則について。

2012-04-03 | 意匠芸術美術音楽

数学者は、数学は美しいという。

西田幾多郎さんは、我々の論理、数学の法則は直に宇宙現象がこれによって成立しうる原則である。とも言っている。

音楽家は音楽で、昆虫学者は昆虫世界で、科学者は科学で、哲学者は思惟によって、美しい方程式なるものを探求しているのだとおもう。

分野は違うけれど、この世界に対する解釈を試み、その本質に迫った人たちは、この世界は美しさに満ちているという。

ロバート・ヘンライさんはこういっている。
「美は物質ではない。美は模倣ではない。美は見るものの心に生まれた快楽の感覚である。美しい物があるわけではない。だが全てのものは、それを見て快感を起こすような、感受性と想像力にあふれた心がやってくるのを待っている。それが美である。」
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それにつけても春。

2012-04-02 | 世界の写窓から
(source/LIFE)

春が来た。

飛び跳ねたくなる気持ちのスプリングイズヒアーである。

子供の頃大人にかっこいいとこ見せようと、田んぼでバック転の練習をしていて、頭から突っ込んだことがある。

大人の頃子供にかっこいいとこ見せようと、木に登っていて、肩から落ちたことがある。

しかし、そんなことはどうでもよく、心も弾む春が来た。
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