南無煩悩大菩薩

今日是好日也

スティルライフとサンセットのコンポジション

2012-12-07 | つれづれの風景。

大きなモニュメントのむこうに刻々と時を告げるように日が沈んでいく場所に行き当たった僕はカメラを取り出し何枚も何枚も角度を変え場所を移ししゃがみ背伸びしながらシャッターを切った。



あれもだめこれも気にいらない、もっといい構成、相乗、組成、登用、そんなものがありそうだと思いながら何枚も。鼻水が垂れるのもうっちゃっての夢中である。

ああさてもしからばそのようだ。太陽は雲に隠れ入日となり、ついに虚しく、これぞという一枚を撮るには至らずのさようなら。

時とは、かように苛酷である。不足部分を待ってはくれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まず大人から。

2012-12-06 | 古今北東西南の切抜
(photo/Werner Bischof)

・・・お母さんが優しい心で子供を守ってくれたら、その優しさは子に伝わっていく。ところが、優しくなれないお母さんがいる。問題の一つは経済にあると思う。
お金があればお父さんもにっこり帰ってこられるし、おかあさんもにっこりする。仕方なく貧乏になったのなら我慢が大事。
我慢しないから、お母さんは「もっとお金」と言い、お父さんも「どうしようもない」と反発して喧嘩になる。
そんな姿を見ている子は優しくなれないでしょう。

・・・当時は「死ぬのをやめました」「元気が出ました」といった手紙を毎日もらった。それが音楽の力、歌の力かも知れない。特に戦争孤児を歌った「ガード下の靴みがき」は私の真心の爆発でした。今も「あの歌に救われました」と言ってくださる人がいる。
昔の歌を通じて「こういう時代があったのだ」と思ってもらえたらいい。当時の日本は貧しかったけど、みんなで支え合って戦争の打撃から立ち直り、経済も良くなった。今の日本経済も早く立ち直らなくては。
あのころのように、みんなで支え合って。
(ねむの木学園園長 宮城まり子さん/日経新聞インタビュー記事抜粋)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

塵芥を払う箒。

2012-12-05 | 意匠芸術美術音楽
(画/曽我蕭白)

拾得はいつも箒を持っている。

落葉を掃き清める、散らかった部屋を掃除する、これらは、物事を正す、無秩序な状態に秩序をもたらす、つまり未完成なものを完成させたいという人間の持つ健康的かつ本能的な欲求であり動機であると謂う心理学者もいた。

整理整頓をすることで気持ちがすっきりした経験は誰にでもある。企業などでも清掃を奨励するのも、欲求を自発的に解消することで精神的な健康状態が保たれるという側面があり、物事を正しく処理したことの自負、それが至っては業績向上に役立つのかもしれない。

欲求不満は不健康かつ意欲を減退させる。しかるに人には様々な欲求があるが、こういう高次元の欲求は見境なく貪欲に解消した方がよかろう。

魔女は箒に乗って空を飛ぶ。拾得は箒を持って悟っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知りたいところ。

2012-12-04 | 古今北東西南の切抜
よくは知らないが、ゲシュタルトというドイツ語の学究域用語がある。その際によく出てくる有名な図がこれ。

淑女のようにもみえるし、老女のようにも見える。

淑女であれば老女ではなく、老女であれば淑女と見えたは誤りだ。

だが、もしかしたら、どちらでもなく、もっと別の誰かか、意図のないただの形態の断片かも知れない。

もっと全体的に見ることができれば、きっとより正しく見ることもできるのだが。

限られた全体性のなかで、ものごとを断定することは容易ではない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

献身三題

2012-12-03 | 世界の写窓から
source)

共に障害を乗り越えていく為の重要なファクター。


(unknown)

人により多く与えることの美しいエフェクト。



(unknown)

不可能を可能にする為の不可欠なエレメント。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

信仰による収入

2012-12-01 | 有屋無屋の遍路。

私のこれまでの経験からいうと、成功も失敗も私個人の力によるものだとは考えづらいのです。

量ることのできない全体総体の、ホーリスティックな、影響下の、協働性の、営為の一部としての、私は単なる道具のような存在に過ぎないようだと感じ始めています。

信仰とはなにか?

上手くは言えないが、たとえば、アイディアが脳の中で結実して形を成そうとする、
いくら脳を割って眺めてもそのアイディアは見えないし、それがどのような変遷を持って産み出されたのかもわからない。

目に見えず、形無く、あるかどうかも定かではないもの。そんな定かではないものを信じることが、信仰というものと関係しているようです。

風が吹けば桶屋が儲かる、桶屋で儲かった桶屋の私は、鼠を増やすことも、猫を減らすことも、三味線の需要を増やす努力も、盲人に感謝することも、ましてや風を吹かすことなどできません。

ご多分にもれず、私も歳と共に何かもっと有意義なことをしたいと考えるようになりました。

信仰心というものに恥じない何かをする、ということで得られる収入の多さに気付き始めたのかも知れません。

ただその得る収入というのは、精神的な収入だということです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする