南無煩悩大菩薩

今日是好日也

‘こころ’に聴く

2014-09-09 | 意匠芸術美術音楽
(Gregory Colbert/Ashes and Snow)

大いなる哉 心や。

天の高きは極むことかなわず なれど心はその地の上に達す

地の厚きは測ることかなわず なれど心はその地の下に達す

日月の光は超えることかなわず なれど心のひかり表に達す

宇宙の広きは窮むことかなわず なれど心はその外にも達す

それ太虚か それ元気か

心はすなわち太虚を包んで元気を孕むものなり

天地も我を待って覆載し 日月も我を待って運行し 四時は我を待って変化し 万物は我を待って発生す

大いなる哉 心や。

-栄西禅師「興禅護国論」参考-







心 木石のごとく 弁別するところなく 心に所行なく 心地 空の如くならば 慧眼自ら現われて 雲の開き 日の出づるが如くに相似ん
-百丈懐海「伝燈」より-
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孤島の男と砂漠の男

2014-09-08 | 世界の写窓から
(illustration/unknown)

人はよく考えを変える、見方を変える。それはとても大事なことだ。

当然のように考えていた前提が、つまり信じていたものが劇的に変わる時もある。
これが社会規模で起き主流となれば、「パラダイム・シフト(paradigm shift)」(参照)と呼ばれることになるようだ。

目からうろこが落ちるような経験はだれにでもあるだろう、変わることの大事な面がここにある。

例えば・・・

ある砂漠をその男はラクダとともに旅をしていた、若い男の長旅ゆえ性欲が抑えられなくなった男は雌のラクダと一戦交えようとしたが、挑めども木もない砂漠ではラクダが動いてどうしようもなかった。次の日男は若い美しい女に出会った、彼女は疲れ果てて言った、「水を下さいませんか?何日も口にしておらずもう限界なのです」男はニヤリと笑い「僕がお願いすることを一つだけなんでも聞いてくれるなら」と言うと、女は命には代えられないと思いそれを承諾した。水を与えられ一息ついた女は覚悟を決めた。
男:「それでは僕の願いを叶えてもらおう」
女:「はい」
男:「そのラクダをしっかりおさえといてくれ」

イラストの孤島の男とこの砂漠の男と、変われるということの大事な違いがご理解いただけますでしょうか。
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パトラッシュの友人

2014-09-06 | 世界の写窓から
(Gif/source)

運とは、適当な場所に適当な時にいることで巡ってくるものである。

よい運(さだめ)もあれば、よくない運(さだめ)もむろんある。

友よ、立ち上がるのはそこからであって我々に時間や空間を満たす力はないのだ。
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二度吃驚。

2014-09-05 | 意匠芸術美術音楽
((Tête d’homme de profil/Antoine Bourdelle (1861-1929))

感情は顔にある。複雑な感情は波状攻撃を受けて徐々に積み上がったかけらの山のようなもので単語では表現の難しいものである。

私はこの表情にこんな話のことを思い出した、

あるところに幼稚園児くらいの男の子がいた、胸の名札には「運命」と書いてあった、なんて読むのだろうと気になっていると、母親らしきヒトがこういった「バッハ行くわよ」・・・そ、そ、それなら、ベートーベンだろう!
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巻き戻せない。

2014-09-04 | 世界の写窓から
(Gif/source)

建物なら図面があれば、同じものを再び建築することは可能だ。

でも記憶や想い出はそうはいかない、それらは自分のアイデンティティ、つまり、自分はどういった種類の人間であると考えているのかというような存在理由に影響される。それは過去とは違った自己に変心している可能性があるからだ。

例えば、いったん自転車に乗れるようになると、自転車に乗れなかった自分には絶対に戻れないようなものかもしれない。
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立ち食いにて候

2014-09-03 | 世界の写窓から
(photo/source)

信州信濃のそばがすき もっと好きなのあなたのおそば 

ってか、とかなんとか頭に浮かべながら吸気正しく背中丸めて一気に啜る。

これぞ立ち食いの立ち喰いによる立ち食いのための正調作法である。

そばを喰ったつもりがうどんだった、なんてこともたまにはあって、そうか俺もついに食券乱用するほど偉くなったか、などとゴチながら、襟をただして楊枝と共に、さっと去るのも立ち食い男の気風である。
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問い、もしくは答え。

2014-09-02 | 古今北東西南の切抜
(photo/source)

消えた千円の話、

『3人の男が1万円ずつ握り締めキャバレーに行った。男達は3万円ポッキリのコースで飲んでいた。その日はキャバレーの秘密の割引サービス日で、2万5千円で飲める日であり、店長はホステスに5千円を渡し、男達に返すように言った。ホステスは、その日チップをまだもらってなかったし、5千円は3人で分けることもできないので、2千円は自分でもらい、千円ずつを3人に渡した。3人は9千円ずつ払ったことになり2万7千円、ホステスの手には2千円、全部で2万9千円になる。もう千円はどこにいったのだろう?』

ナギブ・マフフーズさんによれば、
「頭がいいかどうかは答えでわかる。賢いかどうかは問いでわかる」
そうである。
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