(切抜/
記事)
喜多:「戸主として税金を納めゆうに、どういて女の自分にだけ投票権がないがぞね?」、「税金を払うて欲しかったら、投票権を与えんか!」
役人:「男子には徴兵の義務があるが、婦女にはない。だから男子にのみ投票権があるのは当然だ」
喜多:「けんど男子でも戸主は徴兵の義務を免れるやいか、そんな道理に服するわけにはいかんちや」
喜多:「おまんらあ小役人じゃ話にならん、あては内務省に直訴するぜよ」
その書面はこうであったという、
「私儀婦女の身分に候えども、一戸の主に候上は諸般の務め且つ政府よりのお取扱をも男女同じき権あることは喋々しく言うをまたざる義」
再々の運動に高知県令も屈せざるを得ず、最終的に女性初となる投票権を喜多に与える。
当時、世界でも女性参政権を認めていたのはアメリカのワイオミング州議会だけで、 高知県の動きは世界で2番目に女性参政権を実現したのである。
楠瀬喜多、自由民権運動を地で行くばあさんであった。