土曜の朝日新聞beうたの旅人シリーズで、正やんこと伊勢正三さんのことをとりあげていた。それも2ページにわたり。
あの名曲「なごり雪」と「22歳の別れ」が同時に作られたことを知った。同時に2曲とは簡単にスラッと作ったというわけではなく、特に22歳の方は徹夜で推敲を重ねたとのこと。作成秘話を知り、特に徹夜で推敲という追求の姿勢にひかれ、改めてこの2曲を聴いてみたくなった。
当時この手の曲をなぜ遠ざけていたのかよくわからないけど、何となく好きじゃなかった。本当は好きなんだけど、好きってことを人に知られたくなかったような屈折した心情があったように思う。たぶん、みんなが好きというのが理由の一つだったろうし、優しいフォークは演歌チックで草食男子風なのが直感的に遠ざけた理由かもしれないと分析。
聴き直してわかったのは、これはリアルすぎるってこと。ストレートすぎるってこと。
小椋桂さんの「白い一日」を知り、詩にめざめ、文学に憧れたあの頃。言葉を紡ぎ、心をじわりとなぞる詩。
東京に上京した18歳。1年間住んだアパートを出るその前日、押し入れのふすまに小さな字で詩を書きこんだ。次ぎ住む人が偶然気づくかもしれない程度の字で。都会に埋もれ顔をなくした自分のささやかな自己主張だったと思う。今みたいに絵描いていないし、ブログないから、自己表現の方法を知らなかった。
ふすまに書き込んだあの時の気持ちが蘇った。
あの名曲「なごり雪」と「22歳の別れ」が同時に作られたことを知った。同時に2曲とは簡単にスラッと作ったというわけではなく、特に22歳の方は徹夜で推敲を重ねたとのこと。作成秘話を知り、特に徹夜で推敲という追求の姿勢にひかれ、改めてこの2曲を聴いてみたくなった。
当時この手の曲をなぜ遠ざけていたのかよくわからないけど、何となく好きじゃなかった。本当は好きなんだけど、好きってことを人に知られたくなかったような屈折した心情があったように思う。たぶん、みんなが好きというのが理由の一つだったろうし、優しいフォークは演歌チックで草食男子風なのが直感的に遠ざけた理由かもしれないと分析。
聴き直してわかったのは、これはリアルすぎるってこと。ストレートすぎるってこと。
小椋桂さんの「白い一日」を知り、詩にめざめ、文学に憧れたあの頃。言葉を紡ぎ、心をじわりとなぞる詩。
東京に上京した18歳。1年間住んだアパートを出るその前日、押し入れのふすまに小さな字で詩を書きこんだ。次ぎ住む人が偶然気づくかもしれない程度の字で。都会に埋もれ顔をなくした自分のささやかな自己主張だったと思う。今みたいに絵描いていないし、ブログないから、自己表現の方法を知らなかった。
ふすまに書き込んだあの時の気持ちが蘇った。