10/3のオープンサタデークラブ
8:50頃、ぞうきん持った子供たちが近づいて来た。
そうだ、ぞうきんがけの時間だ。
コーチたちと今日の練習打ち合わせしていたから、ぞうきんがけの時間に気づかなかった。
10分前に始めれば、9時に整列できる。
川間小の体育館は隙間だらけだから、いつ来ても床は砂埃で真っ白だった。これじゃ練習できない。まずは床をきれいにして始めよう!ということで、開始前のぞうきんがけはここ数年の慣習となっている。今は耐震工事が終わり、砂埃が入らなくなったからか床が真っ白になっていることはなくなったけど、サタデークラブの一連の流れとしてぞうきんがけは続いている。
ぞうきんがけを始めた頃、子供たちの何人かはサボった。ぞうきん忘れたという理由が多く、いつも同じ子がやらないでいた。物陰に隠れてその時間をやり過ごしたり、何となく立ち動いてやっているふりしたり。やらないよりやった方がいいけど、あえて見て見ぬふりしてきた。
それでも継続していると徐々にぞうきんがけスルー組は減ってきた。先日はぞうきん忘れたから代わりにほうきを持って、ぞうきんスタンバイでしゃがみこむ同級生の前を掃き清めていル子がいた。これにもあえて言及しない。「それじゃカーリングみたいじゃん」と軽くジョブするのみ。
床がきれいになり、9時に整列した。
そこに、一人の男子が入ってきた。
「あー、あの人ぞうきんがけしていない!じゃ、あいさつ係だ!」
整列している子が遅れて来た子を指さしてなじる。
あいさつとは、始まりや終わりの号令係のこと。前に出て「きをつけ、れい」と言うだけなんだけど、これを子供たちはやりたがらない。正確には大きい子はやりたがらない。低学年生は最初は何人かは進んで前に出てくるけど、それも半年、1年と経つと大きい子たちの空気を読んで、前に出てこなくなる。かくしてあいさつ係は子供たちにとって「引ける」ものになっていく。
さて、そんなわけで、この日の子供たちの主張は、遅刻(この場合時間ぴったりに登場)したためぞうきんがけをしなかった子に対して、罰としてあいさつ係をやらせろ!ということだった。
「あの人あいさつ係だ!」とこちらに向かって連呼する子供の顔を見て、さてどうしようかなと考えてしまった。
ぞうきんがけをしないことに罰を与える。ということは「ぞうきんがけ」はやらないといけない行為ということになってしまうではないか。ぞうきんがけは強制されてやるものではないので、だからこれまでやらないでスルーしている子をあえて咎めないできた。しかし今日ここで「そうだ、そうだ」と言って子供たちの主張を飲んだら、「ぞうきんがけは嫌なこと」であると大人が認めたことになる。そもそも、罰があいさつ係というのもいけない。あいさつ係は罰になってしまう。
目を光らせて「あいさつ係やらせろ!」と主張する子の顔をみながら躊躇していると、遅刻マンがスッと横に立った。その横顔を見たら、「わたしがわるうございました」といった表情で抵抗なくあいさつ係を引き受けようとしている。
ま、いっか。挨拶マンの顔見たら、ここはこのままでいいかという気になった。
次から1年生が入ってくる。
1年生たちはこういった空気もすべて吸収していく。
この日の最後の挨拶係は自分がやった。次回1年生を迎えるために、ワンステップ成長した集団になってもらうために、50人が静かになるのをじっと待ち、気を入れて号令かけると、大きな声で全員がそろって「ありがとうございました」と挨拶できた。
「やればできるじゃん」とコーチが一言。おーい、どうして大人ってこういうとこで水を差すかな。
8:50頃、ぞうきん持った子供たちが近づいて来た。
そうだ、ぞうきんがけの時間だ。
コーチたちと今日の練習打ち合わせしていたから、ぞうきんがけの時間に気づかなかった。
10分前に始めれば、9時に整列できる。
川間小の体育館は隙間だらけだから、いつ来ても床は砂埃で真っ白だった。これじゃ練習できない。まずは床をきれいにして始めよう!ということで、開始前のぞうきんがけはここ数年の慣習となっている。今は耐震工事が終わり、砂埃が入らなくなったからか床が真っ白になっていることはなくなったけど、サタデークラブの一連の流れとしてぞうきんがけは続いている。
ぞうきんがけを始めた頃、子供たちの何人かはサボった。ぞうきん忘れたという理由が多く、いつも同じ子がやらないでいた。物陰に隠れてその時間をやり過ごしたり、何となく立ち動いてやっているふりしたり。やらないよりやった方がいいけど、あえて見て見ぬふりしてきた。
それでも継続していると徐々にぞうきんがけスルー組は減ってきた。先日はぞうきん忘れたから代わりにほうきを持って、ぞうきんスタンバイでしゃがみこむ同級生の前を掃き清めていル子がいた。これにもあえて言及しない。「それじゃカーリングみたいじゃん」と軽くジョブするのみ。
床がきれいになり、9時に整列した。
そこに、一人の男子が入ってきた。
「あー、あの人ぞうきんがけしていない!じゃ、あいさつ係だ!」
整列している子が遅れて来た子を指さしてなじる。
あいさつとは、始まりや終わりの号令係のこと。前に出て「きをつけ、れい」と言うだけなんだけど、これを子供たちはやりたがらない。正確には大きい子はやりたがらない。低学年生は最初は何人かは進んで前に出てくるけど、それも半年、1年と経つと大きい子たちの空気を読んで、前に出てこなくなる。かくしてあいさつ係は子供たちにとって「引ける」ものになっていく。
さて、そんなわけで、この日の子供たちの主張は、遅刻(この場合時間ぴったりに登場)したためぞうきんがけをしなかった子に対して、罰としてあいさつ係をやらせろ!ということだった。
「あの人あいさつ係だ!」とこちらに向かって連呼する子供の顔を見て、さてどうしようかなと考えてしまった。
ぞうきんがけをしないことに罰を与える。ということは「ぞうきんがけ」はやらないといけない行為ということになってしまうではないか。ぞうきんがけは強制されてやるものではないので、だからこれまでやらないでスルーしている子をあえて咎めないできた。しかし今日ここで「そうだ、そうだ」と言って子供たちの主張を飲んだら、「ぞうきんがけは嫌なこと」であると大人が認めたことになる。そもそも、罰があいさつ係というのもいけない。あいさつ係は罰になってしまう。
目を光らせて「あいさつ係やらせろ!」と主張する子の顔をみながら躊躇していると、遅刻マンがスッと横に立った。その横顔を見たら、「わたしがわるうございました」といった表情で抵抗なくあいさつ係を引き受けようとしている。
ま、いっか。挨拶マンの顔見たら、ここはこのままでいいかという気になった。
次から1年生が入ってくる。
1年生たちはこういった空気もすべて吸収していく。
この日の最後の挨拶係は自分がやった。次回1年生を迎えるために、ワンステップ成長した集団になってもらうために、50人が静かになるのをじっと待ち、気を入れて号令かけると、大きな声で全員がそろって「ありがとうございました」と挨拶できた。
「やればできるじゃん」とコーチが一言。おーい、どうして大人ってこういうとこで水を差すかな。