毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

成都・九寨溝の旅③「成都近辺」  2011年7月12日(火)No.168

2011-07-12 19:16:43 | 中国事情
 7月4日・・・第二日目 三星堆博物館、川劇(FACE CHANGING OPERA)
 前日の夜中まで続いた土砂降りの雨は朝、止んでいた。曇り空で時おり小雨がぱらつく天候だ。
ガイドの陳さんは朝6時に起きてバスターミナルに出かけた。今日は無理だが、できるだけ明日か明後日の九寨溝行バスには乗りたい。7時過ぎに戻ってきた陳さんから、明後日(6日)のチケットが買えたと嬉しい知らせがあり、ホッとした。さらに、昨日成都から汶川に行く途中で土砂崩れがあり、それでバスの運航に支障をきたしているとのこと。
 (なあんだ、自分たちだけが乗り損なったわけじゃないのか)とちょっと平等感を味わった我々は気分が上向きになり、今日、明日の成都観光として、
①三星堆博物館
②川劇(FACE CHANGING OPERA)  …4日

①パンダ基地
②昭覚寺(暇があれば)
③寛窄巷子    …5日

という予定を入れた。陳さんの旅程表では前半:九寨溝、後半:成都観光という計画だったが、前後を入れ替えたことになる。
また、陳さんの説明によると、金沙遺址博物館は三星堆博物館の後の時代のものであり、見学料も105元と高いが、三星堆博物館は82元で交通費を差し引いても金沙遺址より安いし、展示物も多いというので、一も二もなくそちらに決めた。

 市内からバスを乗り継ぎ、午前10時頃には三星堆博物館に到着した。
 写真は、発掘された代表的な面の一つをモニュメントにしたものである。飛び出した目に特徴があるらしい。中国では「古蜀時代」、日本では「殷末期」という時代区分が当てはまる長江流域の西南中国で、黄河文明とは異なる文化が花開いていたという。中国史上画期的な発掘だそうだ。漢民族の文化では全くないこの遺跡は、文化大革命後の1986年に、約3000もの遺物が見つかるという世界的にもセンセーショナルな大発見だったと説明書にあった。玉石器、青銅器、金器とさまざまな種類の遺物を見ながら、(そのころ自分は中国の大ニュースも知らず、子育てと仕事に追われていたんだなあ)と取り留めなく考えていた。
 一番興奮していたのは、もちろん陳さんだ。学校の教科書に載っている数々の遺物が実物として目の前に現れたので、写真を撮りたくて堪らなさそうだった。周囲の中国の人たちは平気でカシャカシャ撮っている。何回か「写真、ダメですか~。」と、恨めしそうに聞くので、
「ここは中国。中国のルールに従ってください。私は日本人なので、博物館で写真はちょっと…。でも見ていませんから。」
と言うと、
「私は日本語学科の学生ですから、やっぱり写真は撮りません。」
と、妙に律儀なことを言う。博物館は、見張りの職員もあまり見かけず、本当に多くの人たちが自由自在に撮影しているので、我々に合わせてくれた陳さんが気の毒だった。
 レプリカやキーホルダーなど色々売っているコーナーで、バックパックを貸してくれた王さんへのお土産にキーホルダーを一つ買った。例によって陳さんの「うわ~、高い!」が始まった。彼は自分で何か買ったんだろうか。

 ゆっくり見学するともう、昼の3時を過ぎている。5時間も博物館で過ごしたことになる。そろそろ市内へ戻ろうと、またバスに乗り、1時間ほど木製の座席に座って帰って来た。ランチを何も食べていないので腹ペコだ。夜の川劇ショーまでの間にゆっくりディナーをとることにした。宿舎のごく近くまで戻ると、「陳麻婆豆腐」の看板があった。陳さんが、
「これ、私が2年の時の授業で四川省の食べ物紹介をした店です。」
と言う。そういうところなら是非入らねば!と中を覗いてビックリ。かなり高級感あふれるレストランだった。陳さんが後ずさりして
「やっぱりやめましょう。」
と気弱なことを言う。
「『私たちはインターネットで調べて来たのですが、麻婆豆腐の値段はいくらですか。』って聞いてごらん。」と背中を押した。
そのきれいなレストランは、意外なほど普通の値段だったので、二日目のディナーはここにした。
前夜の暗く重苦しいムードから一転し、ぺちゃくちゃしゃべりながら、四川料理の山椒は口が痺れるとか言いつつたくさん食べた。
特に、陳さんは昼ごはん抜きだったので、かなりガツガツ、ベチャベチャと音を立てながらかき込んでいた。

 川劇はフロントで予約すると宿舎に10人乗りのミニバスのような車が迎えに来てくれた。着いたところには、日本人観光客がた~くさん来ていた。
「どこからいらっしゃったんですか。」と聞くと「長野県」とのこと。私に「あなた中国人?」と聞くので、(こんなに日本語がうまい中国人がいるかい?)と内心可笑しかった。それでも、地震・津波・原発事故に負けていない日本人と直に出会えたのが嬉しかった。
 川劇は、非常におもしろかった。実は川劇だけでなく、四川省伝統芸能オンパレードだった。途中、人形の舞で急に睡魔が襲ってきたが、両手の影絵、二胡演奏、コミカルで見事な体の芸、扇の舞など次々と短時間に展開されて、眠気を克服することができた。やはり圧巻だったのが最後のface changing opera だ。なぜ?どうやってあんなに見事にお面を変えられるのだろう。これは四川省の無形文化遺産なので、誰にもネタは明かさないそうだ。それでいい。
 
 今日は一日、精力的に観光した気分。明日も雨が降りませんように。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

成都・九寨溝の旅②「陳さんのガイドデビュー」   2011年7月12日(火) No.167

2011-07-12 10:20:53 | 中国事情
 7月3日(日)…第一日目   南昌から成都へ
 午前7時前、「先生、起きましたか。私は今本部に着きました。」と陳さんが電話をかけてきた。張り切った声だ。
私はもちろん既に、引っ越したばかりの三階ベランダから誰も見ていないのを確かめて鳥のエサ用パンくずを下の地面にばらまき、陳さんが友達から借りてくれた小さいバックパックに無理やりあれこれを詰め込み、準備万端整えて待っていた。
 初めこのバックパックを手渡されたとき、(ちっちぇ~!7泊8日でこれえ~?!)と叫びそうになったが、陳さんがせっかく借りてくれたのだからと、ニッコリ笑って礼を言い、借り受けたものだ。その後、いつも行くスーパー横の旅行鞄屋の前を通るたびに、(あそこにあるのはちょうどいい大きさだなあ。あれ、買いたいな~)という誘惑にかられた。しかし、陳さんの心配りと労を思うと(我慢しよう)というところに落ち着くのだった。

 「財大前」から市バスに乗り、「昌北」というバス停で空港バスに乗り換える。同行の岡田Tとはここで待ち合わせだった。朝7時半というのに、もう日差しが強くて、我々は看板の陰で待った。何と、そこで陳さんのクラスメートの鵜さんとバッタリ出会った。彼女はこの日、南昌大学で行われる日本語能力試験1級に再挑戦するのだ。既にガイド試験に合格している鵜さんは、我々の九寨溝行の情報を既にどこからか仕入れていて、目のふちに羨ましさが滲んでいた。そりゃそうだ。旅行好きの彼女は能力試験なんか受けるより、どんなに九寨溝に飛んで行きたいことだろう。彼女だけではない。3年生のクラスで、飛行機に乗るのは陳さんが初めてだ。九寨溝なんて遠いところにも誰も行ったことがない。
 私は天秤座の生まれ星のせいか、自分の教師人生において学生、生徒、児童に対しては常に平等・公平になるようバランスを取ってきたつもりだ。今回の旅行ガイドを陳さんに打診したときも、その原則から外れていないことを自問自答した。
 ①彼は12月に旅行ガイド試験を受ける。
 ②彼は財大・理工大合同「日本語コーナー」に3年生では唯一常時積極的に参加している。
 ③彼は副専攻を止めて、日本語会話力を高めることに焦点を絞っている。
 ④彼は将来、中国の田舎や自然豊かなところを案内する旅行会社を設立したがっている。
 ⑤彼の実家はお金持ちではない。さらに現在、政府から立ち退きを強制されて借金まみれで新住宅を建築中である。
 ⑥陳さんのほかにガイド試験を受ける子がいるとは聞いていない。
 ⑦彼の日本語会話はかなり流暢で聞き取り易い。


 とまあ、こういうわけで、私は彼と契約を取り交わすことにしたのだった。
当初、「往復の交通費は私が出します。」と言っていたが、宿泊費、各種施設設備の入場料などを合わせるとかなりの金額になるようなので、私は一か月分の給料を全部この旅行に充てることにして、食費を除く全経費を陳さんの分も負担することにした。
 日本の友人にも声をかけたのだが、みんな忙しかったり、お金がなかったりでいい返事がなかった。かなり直前になって、大阪の「帰国者グループ」まとめ役をしてくれている玲奈さんから「行きます。」というメールをもらった時は既に遅すぎた。この時間に対する両国の人々の感覚差については何回かブログでも書いたが、今回の旅行でも陳さんに対して(なぜもっと早くしないのかな?)と思うことが多かった。
 というわけで、JICA派遣の岡田Tに声をかけたのだった。

 さて、成都行きの中国国際航空の飛行機は10時50分発だ。我々は8時半に空港ターミナル2(T2)に到着した。南昌の空港「昌北空港」はこじんまりした地方空港だが、近年建てられたT2はとても新しくて一日ここで本など読んで過ごしたくなるようなところだった。
搭乗手続き後、陳さんは時間がたっぷりあるのに、すぐにロビーの席を確保したがり(これは中国の汽車の旅では当然)、岡田Tと私が「空港見学をしよう。」と言って、いろいろな店を覗くと、「ここの店の品物は市内の10倍もします。」と断言する。しかし現実には、水が市内で1元なのが1.5元と、そんなに変わらない。彼の頑ななまでの『空港の品物はとんでもなく高い!』という警戒心を実際に値段チェックすることでほぐすことにした。中には本当に超高級品もあったが、普通の人が買えるお店がたくさんあることを確認した。
 搭乗口に進むときに機内持ち込み荷物をチェックされる。陳さんは荷物の中にゼリー状の何かが少量あるということで、逡巡を重ね、結局預けることにした。(だから初めから預けるよう勧めたのに…)と思ったが、何しろ汽車では手荷物をすべて自分の身辺に固めて置くのが常識なので、汽車の旅の常識に従ったのだろう。

 機内座席は、陳さんが窓側、岡田Tは通路側、私は真ん中だった。顔ぶれから見て仕方がない。しかし私は通路側をいつも指定しているので、(今回の旅は我慢が多いな)と感じた。ついでに言うと私の星座は天秤座だが、血液型はBだ…。
 陳さんは窓側席に座って、小さい窓から外を見たり、座席ポケットの中の本を見たりしていたが、
「私は、子どものころ、牛の放牧をしていた谷で、いつも高い空を飛んでいく飛行機の小さい姿を仰いでいました。その飛行機に今、自分が乗っているんですね。」
と言った。私が初めて飛行機に乗ったのはいつだったかなあ。大学が京都で、伊丹空港から北海道の女満別空港まで空路帰省するのが常だった。「列車での帰省は2日がかりで、そのくせ結構お金がかかる。」と言うと両親は「そうか。じゃあ、仕方がないね。」とあっさり認めてくれたのだった。今でも、当時の飛行機代がべらぼうに高かったとは思わない。一方、中国の一般庶民(特に農民)の感覚では、今も飛行機代は『とてつもなく高い』のだ。南昌ー成都は片道900元。江西省の農民の月当たり収入は1000元~1500元程度だと、陳さんは言う。ちなみに私の給料は4800元。毎月500元の電気代が補助される。さらに年2回旅行代(ボーナス)として、1100元が支給される。もちろん日本に帰省すると1回で約4000元はどうしてもかかるので、全然足りないが出ないよりマシだ。この待遇は、同僚の中国人教師よりいいそうだ。それでも一生懸命貯めたお金を日本に持って帰ったとしても、一か月で全部無くなる程度のものだ。4800元を為替レートで円に換えると6万円ちょっとにしかならない。チャンチャン。

 中国国際航空(AIR CHINA)の機内昼食サービスは鶏肉か魚のランチというので、3人とも魚ランチを選んだ。南昌の川魚と違い、細くて小さい骨がないのが嬉しかった。しかし、そんなに美味しいとは感じられなかった、食後にコーヒーを頼むと砂糖とミルクが入った甘いのをくれた。陳さんにはちょうどいいが私や岡田Tには残念だった。

 13:10に四川省の省都である成都に着いた。人口1000万人、中国で第五位の大都市で、またの名を「天府」という。全部陳さんの解説だ。バスと地下鉄を乗り継ぎ、成都市中心にあるChengdu Lazybones Hostel(成都懶骨頭青年旅館)に着いた。陳さん作の旅程表には『Hotel』と書いてあったので、ユースホステルなのに変だな、と思っていたが、陳さんはホステルという言葉を知らなかったので、英語のHostelを勝手にHotelと思い込んでいたのだ。しかし、彼は「そうです。Hostelです。」とさり気なく知っていたふりをした。こういう態度は私は好かない。間違いや無知は率直に認めてほしいものだ。
宿舎に着くや、雨がザンザカ降ってきた。何時間たってもその激しさは留まるところを知らない。フロントのパソコンが雨漏りで濡れないようにバケツや何やらでワイワイ言って防いでいた。そのうち停電になった。着く草々これだ。
 待っても雨が小降りにならないので、夕方5時前、陳さんは果敢にも、翌日の九寨溝行のバスチケットを予約するためバスターミナルを目指して地図を片手に出かけて行った。岡田Tも今後の旅行に参考になるためだろう。一緒について行った。私は4人部屋の下のベッドで、一人地図を見たり転寝をしたりして数時間を過ごした。

 7時ごろ二人は帰って来た。全身ずぶ濡れだ。
「悪い知らせです。明日のバスは満員でもう乗れません。」「雨もこの一週間は降り続くそうです。こんなに激しい雨は成都では珍しいそうです。どうしましょう。」
陳さんはかなり深刻な様子。(せっかくねりに練った旅程表が、初日からこうじゃ打撃を受けるのも無理ないか)と思い、たまたまこの日が陳さんの22歳の誕生日だったので、ディナーは岡田Tと私でご馳走することにして、道路向かいの点心の店に入った。陳さんが「成都市内では老舗の有名な店です。」とガイドぶりを発揮した。様々な点心の名前が並んでいたが、どんなものなのか中国語なのでさっぱり分からない。陳さんに適当に注文してもらおうとしたが、彼は急に「食欲がありません。高そうです。」とかグジグジした態度だ。結局セットものを注文した。座ってしまってからも、陳さんの表情は真っ暗だ。バスのチケットが買えなかったのがショックだったのだろうが、それを周りに振り撒いてドースル!と私はイライラし始めた。
「明日は成都市近辺で観光したらいいんじゃない。」と言っても
「でも、雨が続くそうです。パンダは雨の日、外に出ません。パンダ基地に行っても無意味です。」
と、ネガティブ発言で応える。
ムカムカっ!しかし、ここで怒鳴っては始まらない。お客の私がガイドの陳さんを一生懸命慰めて、
「でも、パンダ基地には、いろいろな施設があるって陳さんがこの前言っていましたね。それを見るのもいいじゃないですか。」
岡田Tも頷く。陳さんのガイドデビューは、成都でも滅多にないほどの土砂降りの雨に迎えられて始まったのだった。(続く)

 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする