中国といっても南昌しか知らない。上海はいつも通り過ぎるだけ。今回の成都・九寨溝も厳密に言うと通り過ぎただけだが、それでも成都に幾晩か泊まったことでいくつかの感想を持った。
まず泊まったユースホステルの名前が面白い。「成都懶骨頭青年旅館」(Lazy Bones Hostel)という。「懶」とは「ものうい・だらける・おこたる」の意味で、「懶骨頭」とは「骨の髄までのんびりしている」ということだそうだ。これは成都の人々のライフスタイルを表現しているという。
成都を歩いてまず感じたのは、非常に規模が大きい都市であると同時に、非常に落ち着いた雰囲気の街であることだった。
赤信号で車も人もきちんと立ち止まっている。南昌はこうはいかない。最近どんどん信号が設置されているが、自分だけ信号を守って、青になったからといって安心して歩き出すととんでもないことになる。生き延びるためには自分の五感を頼りに道を渡らねばならない。
成都では、(交通ルールがきちんと身についているんだなあ)と思った。
どこでもではないが歩道、車道とは別に自転車・バイク道があり、信号が変わると、自転車・バイクの流れが続く。南昌にも歩道でも車道でもない第三の道路があるところにはあるが、そこは人も歩けばバイク、リヤカー、三輪車など、なんでも走っている。しかも、一方通行のはずなのに、現実はそうなっていない。はっきり言って無秩序だ。そういうところでは、ほっこりのんびりムードの代わりに、罵声が飛び交い、鉄の神経で武装せざるを得ない。
南昌に比べて非常に洗練された内陸の大都市、成都。反日デモで日系百貨店「イトーヨーカ堂」が襲われたというが、こんなのんびりした、しかも外国人がたくさん歩いているインターナショナル=シティでそういうことがあったとはどうもピンと来ない。
結局5泊した懶骨頭ユースホステルは、デンマーク、アメリカ、イギリス、マレーシアなど世界各国からの若い旅行客で賑やかだった。ある晩はそのユースホステルで水餃子作りパーティーがあり、短時間だったが食べながら何か国かの若者たちと交流もできて楽しかった。
成都3日目の夜、寛窄巷子を散歩した。20分ほど歩いて左折したら毛沢東の像のある天府広場へ、右折したら寛窄巷子へ行く。私たちは当然右折した。寛(広い)窄(狭い)巷子(横丁)という名の通り、広い通りや狭い路地がある横町だ。清朝の古い町並みが残っているだけでなく、その街並みと調和したカフェやレストラン、シアターなどが並んでいる。陳さんはなぜか「スターバックス」の看板を2枚も写真に撮っていた。オープンカフェから「I am sailin' I am sailin'~ᘒ」とロッド=スチュワートの声が聞こえて来て、(おお!)と思った。
昔の街並みと調和しつつも新しい感覚が随所に見られるハイセンスな横町…。陳さんが
「南昌にはこういうところが一つもありません。」
と言ったように、成都は中国西南部の経済・歴史・文化の中心。南昌はトラディショナル=チャイナの地方都市で、チーズを買うのも、満員バスで40分揺られて市内のウォルマートまで行かないとない。しかも陳さんじゃないが「とんでもなく高い」。
洗練された成都とはまるで違い、ごみごみして喧噪に満ちた街、南昌。辺鄙といっても九寨溝ほどじゃなく、そして美しさも九寨溝の1000000分の1もないと言い切れる街、南昌。
それでもやっぱり、南昌もいいなと思う。住めば都。何しろここは「農業大省」(=貧乏大省)の中心だ。貧しさに違和感はない。貧しさは私にとって子どもの頃の故郷の風景そのものなのだ。
まず泊まったユースホステルの名前が面白い。「成都懶骨頭青年旅館」(Lazy Bones Hostel)という。「懶」とは「ものうい・だらける・おこたる」の意味で、「懶骨頭」とは「骨の髄までのんびりしている」ということだそうだ。これは成都の人々のライフスタイルを表現しているという。
成都を歩いてまず感じたのは、非常に規模が大きい都市であると同時に、非常に落ち着いた雰囲気の街であることだった。
赤信号で車も人もきちんと立ち止まっている。南昌はこうはいかない。最近どんどん信号が設置されているが、自分だけ信号を守って、青になったからといって安心して歩き出すととんでもないことになる。生き延びるためには自分の五感を頼りに道を渡らねばならない。
成都では、(交通ルールがきちんと身についているんだなあ)と思った。
どこでもではないが歩道、車道とは別に自転車・バイク道があり、信号が変わると、自転車・バイクの流れが続く。南昌にも歩道でも車道でもない第三の道路があるところにはあるが、そこは人も歩けばバイク、リヤカー、三輪車など、なんでも走っている。しかも、一方通行のはずなのに、現実はそうなっていない。はっきり言って無秩序だ。そういうところでは、ほっこりのんびりムードの代わりに、罵声が飛び交い、鉄の神経で武装せざるを得ない。
南昌に比べて非常に洗練された内陸の大都市、成都。反日デモで日系百貨店「イトーヨーカ堂」が襲われたというが、こんなのんびりした、しかも外国人がたくさん歩いているインターナショナル=シティでそういうことがあったとはどうもピンと来ない。
結局5泊した懶骨頭ユースホステルは、デンマーク、アメリカ、イギリス、マレーシアなど世界各国からの若い旅行客で賑やかだった。ある晩はそのユースホステルで水餃子作りパーティーがあり、短時間だったが食べながら何か国かの若者たちと交流もできて楽しかった。
成都3日目の夜、寛窄巷子を散歩した。20分ほど歩いて左折したら毛沢東の像のある天府広場へ、右折したら寛窄巷子へ行く。私たちは当然右折した。寛(広い)窄(狭い)巷子(横丁)という名の通り、広い通りや狭い路地がある横町だ。清朝の古い町並みが残っているだけでなく、その街並みと調和したカフェやレストラン、シアターなどが並んでいる。陳さんはなぜか「スターバックス」の看板を2枚も写真に撮っていた。オープンカフェから「I am sailin' I am sailin'~ᘒ」とロッド=スチュワートの声が聞こえて来て、(おお!)と思った。
昔の街並みと調和しつつも新しい感覚が随所に見られるハイセンスな横町…。陳さんが
「南昌にはこういうところが一つもありません。」
と言ったように、成都は中国西南部の経済・歴史・文化の中心。南昌はトラディショナル=チャイナの地方都市で、チーズを買うのも、満員バスで40分揺られて市内のウォルマートまで行かないとない。しかも陳さんじゃないが「とんでもなく高い」。
洗練された成都とはまるで違い、ごみごみして喧噪に満ちた街、南昌。辺鄙といっても九寨溝ほどじゃなく、そして美しさも九寨溝の1000000分の1もないと言い切れる街、南昌。
それでもやっぱり、南昌もいいなと思う。住めば都。何しろここは「農業大省」(=貧乏大省)の中心だ。貧しさに違和感はない。貧しさは私にとって子どもの頃の故郷の風景そのものなのだ。