毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

李さんから      2011年8月22日 No.182

2011-08-22 15:32:29 | 中国事情
 北京の病院で連れ合いの遅素媛(ち そえん)さんを看病している李さんからこの間の事情を説明する文が送られてきた。娘さんの急死に遭遇してどれほど悲しかったか、想像するに余りあるが、その後に続いた素媛さんの怪我は、李さんを経済的にもどん底にたたき落としてしまった。
しかし、彼は正気を失っていない。どれほど強い精神を持っているのだろう。呆然と立ち尽くすだけだった私は、この文を読んで気もちを奮い起こし、自分にできる手伝いを探してしている。このブログに李さんの文を掲載するのも、その一つだと思い書かせていただく。

「遅素媛が怪我をした経緯」
 愛娘の葬式を終えた後、私たち夫婦は7月24日の飛行機のチケットを買いました。すぐにも大阪に戻るつもりでしたが、その日の北京は暴雨で飛行機が着陸できませんでした。それで、次の日、25日の午前5時の飛行機に乗って、8時ごろに北京に着きました。
 暴雨で大阪へ飛ぶ便がまだ決まっていませんから、小さな旅館でも探してちょっと休憩するつもりでした。(今晩か翌日には大阪に戻れる)と思っていました。
 予想もできないことでしたが、妻がその「都楽旅館」の幅70cmもない玄関ロビーの階段から転げ落ち、120番救急車で「武警北京総隊第二病院」に運ばれて、神経外科で救急治療を受けました。
 重体のまま、10日も過ぎました。手術は成功したと教えられましたが、妻の意識は朦朧としています。頭蓋骨骨折で7cmの骨片を2枚も切除しました。全身の傷痕は目を背けたくなるほど酷いです。
 事故が起こった北京には甥一人しかいません。故郷の延吉の親戚や友人に助けてもらって二十万人民元近く(日本円約240万円)を支払いました。これからの治療費はもっとかかると思います。
 今の私は、熱い鍋の上のアリみたいです。居ても立ってもいられません。心身ともに疲れ果てています。精神的にまいっています…。

 私と妻は1968年に知り合って結婚しました。当時は、私の母が劉少奇の問題で「特務」と見なされて、「延辺州党学校」に7年も拘禁されました。私も「日本特務師子女」(日本の「特務」の子ども)で拘禁されました。しかし、妻は私を少しも嫌悪しませんでした。私と一緒に力を合わせて困難を乗り越え、40年の歳月を過ごしました。妻はどんな苦労をしても、私と子どもを守ってくれました。妻は一生を私に捧げてくれました。愛娘と息子を育ててくれました。しかし、私は妻を守れませんでした。そう思う度に悲しくてたまりません。特に、苦しむ妻を見ながらベッドの傍にいると、私の心も刑罰を受けているようです。妻が治るなら、私は余生を妻の恩に報いるために使いたいと思います。
 妻は11日間も闘ってきました。強い生命力の妻は、私と息子のため、死神と闘っています。妻の苦しい表情と抑えられない叫び声で、私は胸が張り裂けそうになります。私はどんな方法を取ってでも妻を日本に連れて帰りたいと考えています。幼い頃から私を悲しませた中国を私の心の中から消し去りたいです…。
 私たち夫婦は生活保護を受けています。お恥ずかしい話ですが、貯金がありません。日本政府に助けてもらいたいです。この困難を乗り越えられたなら、このご恩は一生忘れません。どうか助けて下さい。
 今日は事故の12日目です。妻の病状はあまりよくなりません。私はただ祈るしかできません。どうか、私たち夫婦を助けて下さい。
                 2011年8月6日  李(渡辺)達夫 



 ボランティアグループ「帰国者の友」は『李達夫応援団』を結成しました。積み立てカンパ金用にゆうちょ銀行に口座を作りました。お金が余っている人はいないでしょうが、日々のご飯のおかずを少し節約して、1000円単位で振り込んでいただけないでしょうか。できたら一度だけでなく、月々でも、二月に一度でも…。百万円集めて李さんに渡したいのです。お願いします。

 振り込み先
[ゆう ちょ銀行からゆうちょ銀行に振り込む場合]
 ・店番:淀川新高郵便局
 ・預金種目:普通
 ・記号   :14140
 ・口座番号:587871
 ・名前   :原田玲奈

[他銀行 から振り込む場合]
 ・店名   :四一八
 ・店番   :418
 ・預金種目:普通
 ・口座番号:0058787
 ・名前   :原田玲奈


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