毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

李さん夫婦・その後   2011年9月10日(土)  No.190

2011-09-10 10:05:35 | 中国事情
 新学期を迎えて2週間が過ぎた。
 私が、バスが来ないの、仕事場が黴だらけだの言っている間に、9月5日、友人達に出迎えられて、李達夫さん、遅素媛さん、息子さんの3人が、神戸港に到着した。
 素媛さんは車椅子で満面の笑みを浮かべ、李さんと息子さんは感極まった表情だったと、出迎えのフミちゃんのメールにあった。
 私は「素媛さんは満面の笑み」を読んだだけで、もう涙が出て来た。どれだけの苦しみに耐えて生き抜いてきたのだろう。元々自分の故国でもない日本に、8年前、夫とともに渡って来て、言葉の壁に苦しみ、最近は東淀川区の団地の部屋でもっぱら絵を描くばかりの日々だった素媛さん。
 愛娘の死、自分の大怪我を小柄な身体に引き受けて、それでも笑顔で戻ってきてくれた。手を合わせて拝みたいような人だ。
 
 『とことん応援団』の連係プレーで、出迎え、介護タクシーでの移動、大阪の富永脳神経外科での診断、入院などがとてもスムーズに進行した。自分のことはそっちのけで頑張って来たスタッフ、それを支えてくれた様々な人々の掛け値無しの善意に何回でも感謝の意を表したい。

 現在、素媛さんは人工の骨を頭蓋骨にはめ込むための手術待ち状態だそうだ。病院の食事が口に合わないと言うので李さんが、家で作った愛夫料理を食べさせているという。家の往復と料理を作るので4~5時間かかる。その間、中国語を話せる人が必要だ。さらに、李さんは役所などにも出かけて、いろいろ手続きもしなければならない。李さんをもサポートしなければならない。

 こういう時こそ、行政はきめ細かい支援策を考えて実行してもらいたい。帰国者支援のための法律はあることはあるが、まだまだ整ったものとは言えない。今回のような「想定外」のことに、「規則にありませんから」と涼しい顔をして言う東淀川区役所出張所生活保護課のケースワーカー。
 帰国者を支援するために作った法律が不十分なのに、その法律の範囲でしかモノを考えないし、それで十分だと思えるその鈍感さに、はっつあんとしては血管が切れそうである。
コメント
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