十三のマツヤ電気で2980円のルーターを買った。
お蔭さまでこのように自宅で書き込みができる。うう、ウレシイ
しかし、私の使用しているネットワークは空港などで使われているタイプで、
セキュリティ対策なし。
「あなたの文面は誰かに読まれるかも知れません」と警告を受ける。
文面読まれるのはありがたいぐらいだが…。
電波が弱く、時々力尽きてふっと切断される。
油断大敵な状況なので、今日もさっさと書くことにする。
2中国の人々のもてなし方
日本と中国の人々は表現の仕方が(やはり同じアジア同士、似ているな)と感じる場合もある。もちろん真逆だと驚くことも多い。今回の広州市滞在(5日~7日泊)では、中国の人々の熱いもてなしの真っ直ぐさに、日本との違いを改めて噛みしめることになった。
旅行の計画段階で私は、100元前後の安ホテルを手配してくれるよう思婷さんに頼んだのだが、ちょうど5・6日は中国全土での一斉大学院入試とかち合ってホテルはどこも満員だとのこと。取りあえず5日は思婷さんの大学院寮に泊めてもらうことにし、後はホテルに移動することにした。するとその後、二年生の余立君さんが、
「先生、広州なら私の母の家があります。家に泊まってください。」
と申し出てくれ、さらにその後、三年生の潘梅萍さんが、
「私もこの冬休みは広州の妹のマンションに滞在します。先生、広州で一緒にあちこち行きましょう。案内しますよ。」
と、次々に温かい申し出があるではないか。この辺から私は『恐縮です』心理状態へと突入した。見ず知らずのお宅に泊めてもらうこと、授業外で学生たちに世話をかけることは日本的には「迷惑をかけること」であり、できるだけ避けたいと思うのが普通だろう。
結局、5日・7日は余立君さんのお母さんのマンションに、6日は劉思婷さんの寮に泊めてもらい、ホテルには一泊もせず終わった。小紅老師にその話をしたら、
「中国では一番のもてなしは家に泊まってもらうことです。それが一般的なやり方です。」
とのこと。日本では(特に都市部では)ホテル代を払って、お客さんはそこに泊まってもらう方が多くなってきたように思う。
「家が狭いので失礼に当たるのでは…。」
「ホテルでゆっくりくつろぐ方が気が休まるのでは…。」
という声も聞く。
そういえば中国人女性が書いた日本留学経験のエピソードを何かで読んだことがある。彼女は「美味しい料理をご馳走するわ。」と日本人の年配の女性に言われて喜び勇んで出かけたところ、自宅ではなくどこかのレストランに連れて行かれ、悲しくてたまらなかったという話だった。
「どんな高級レストランの料理よりも自宅で手作り料理をいただく方が私には何倍も嬉しかったのに…。」
と書いてあった。こんな小さいことでもせっかくの気遣いが擦れ違ってしまう。
それでも、家庭団らんを何よりもの宝物としている中国の人々のもてなしは、個人個人の距離を常に意識する日本人にとっても決して窮屈ではないのではないか。私自身、疑似家族的感触まで味わわせてもらえ、気安さ、懐かしさを全身で感じた。ここにも少し前の日本の姿がある気がする。
「自分の事は自分でする」「他人に迷惑をかけない」…、こうした言葉を小さい頃から耳にタコができる程聞いて育つ日本人。かたや「来るものは拒まず」「頼って来る者はいつも両手を広げて迎えるべき」「たとえ借金しても全力で迎える」のが中国式もてなしだとよく聞く。昨年、思婷さんの故郷を訪ねたときもそうだったが、この広州でもこの「とことんもてなす」熱さを改めて感じたのだった。次回は、余さんのお母さん家でのことを書く予定。(続く)
ふう、何とか電波が途切れず最後までたどり着いたわ~~。(^_^;)
お蔭さまでこのように自宅で書き込みができる。うう、ウレシイ
しかし、私の使用しているネットワークは空港などで使われているタイプで、
セキュリティ対策なし。
「あなたの文面は誰かに読まれるかも知れません」と警告を受ける。
文面読まれるのはありがたいぐらいだが…。
電波が弱く、時々力尽きてふっと切断される。
油断大敵な状況なので、今日もさっさと書くことにする。
2中国の人々のもてなし方
日本と中国の人々は表現の仕方が(やはり同じアジア同士、似ているな)と感じる場合もある。もちろん真逆だと驚くことも多い。今回の広州市滞在(5日~7日泊)では、中国の人々の熱いもてなしの真っ直ぐさに、日本との違いを改めて噛みしめることになった。
旅行の計画段階で私は、100元前後の安ホテルを手配してくれるよう思婷さんに頼んだのだが、ちょうど5・6日は中国全土での一斉大学院入試とかち合ってホテルはどこも満員だとのこと。取りあえず5日は思婷さんの大学院寮に泊めてもらうことにし、後はホテルに移動することにした。するとその後、二年生の余立君さんが、
「先生、広州なら私の母の家があります。家に泊まってください。」
と申し出てくれ、さらにその後、三年生の潘梅萍さんが、
「私もこの冬休みは広州の妹のマンションに滞在します。先生、広州で一緒にあちこち行きましょう。案内しますよ。」
と、次々に温かい申し出があるではないか。この辺から私は『恐縮です』心理状態へと突入した。見ず知らずのお宅に泊めてもらうこと、授業外で学生たちに世話をかけることは日本的には「迷惑をかけること」であり、できるだけ避けたいと思うのが普通だろう。
結局、5日・7日は余立君さんのお母さんのマンションに、6日は劉思婷さんの寮に泊めてもらい、ホテルには一泊もせず終わった。小紅老師にその話をしたら、
「中国では一番のもてなしは家に泊まってもらうことです。それが一般的なやり方です。」
とのこと。日本では(特に都市部では)ホテル代を払って、お客さんはそこに泊まってもらう方が多くなってきたように思う。
「家が狭いので失礼に当たるのでは…。」
「ホテルでゆっくりくつろぐ方が気が休まるのでは…。」
という声も聞く。
そういえば中国人女性が書いた日本留学経験のエピソードを何かで読んだことがある。彼女は「美味しい料理をご馳走するわ。」と日本人の年配の女性に言われて喜び勇んで出かけたところ、自宅ではなくどこかのレストランに連れて行かれ、悲しくてたまらなかったという話だった。
「どんな高級レストランの料理よりも自宅で手作り料理をいただく方が私には何倍も嬉しかったのに…。」
と書いてあった。こんな小さいことでもせっかくの気遣いが擦れ違ってしまう。
それでも、家庭団らんを何よりもの宝物としている中国の人々のもてなしは、個人個人の距離を常に意識する日本人にとっても決して窮屈ではないのではないか。私自身、疑似家族的感触まで味わわせてもらえ、気安さ、懐かしさを全身で感じた。ここにも少し前の日本の姿がある気がする。
「自分の事は自分でする」「他人に迷惑をかけない」…、こうした言葉を小さい頃から耳にタコができる程聞いて育つ日本人。かたや「来るものは拒まず」「頼って来る者はいつも両手を広げて迎えるべき」「たとえ借金しても全力で迎える」のが中国式もてなしだとよく聞く。昨年、思婷さんの故郷を訪ねたときもそうだったが、この広州でもこの「とことんもてなす」熱さを改めて感じたのだった。次回は、余さんのお母さん家でのことを書く予定。(続く)
ふう、何とか電波が途切れず最後までたどり着いたわ~~。(^_^;)