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毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「敵意と憎悪に炎上する社会」 2013年1月24日(木) No.554

2013-01-24 14:22:46 | 日記
敵意と憎悪はどこまで人心を汚すのか。
大阪桜宮高校の生徒と思われる子たちが
①「はしもと、殺す」
②「民のくせに」
とツイッターに書きこんだという。
どちらもどうしようもなく攻撃的な言葉だ。

①の「殺す」は、「死ね」「消えろ」同様、大阪の子どもの悪口言葉の代表だ。
以前、いわゆるヤン・ママが、
阪急梅田駅のトイレでいつまでも手を洗っている自分の子どもに
「止めゆうとるやろ!お前、殺すぞ!」
と言っているのを聞いて呆然としたことがある。
他の地方ではどうだろう。特殊大阪的現象なのだろうか。
日本ではないが“I’ll kill you!”は
アメリカのシアトルでは(もちろんジョークとしてだが)
先生まで使っていたので驚いたことがある。
こうした極端に否定的な言葉が日常生活で使われる背景には何があるのか、
考えなければならないだろう。
しかし、今、それについて述べる気はない。

②の「民」発言は何か月か前に週刊朝日の記事で問題になったばかりだ。
出身であることで橋下徹の人格を落とし込めると思っているような差別丸出しの三文記事だった。
私は橋下徹を0.001%も支持しないが、この記事は浅ましい。
人間としての品格をドブに捨てたものだ。
それにしても、こんなに次々と攻撃のために「」が使われるのでは
「差別はなくなった」とは決して言えない。
それどころか、昨今の人心荒廃によって、
まるで完治せず潜んでいた病のようにむくむくと頭をもたげてきているのを感じる。

さらにこれらの書き込みに対する批判・非難でツイッターが「炎上」しているとのこと。
「大阪ってこうなのか。はしもとさんの言っていることよく分かったわ。」
21日記者会見に臨んだ女子生徒の発言「今まで続いている伝統は今でも正しいと思っている」という発言の揚げ足を取って、
「これ(「殺す」「民のくせに」という書き込み)が桜宮高校の伝統なのね。」
という言葉に、またしても敵意と憎悪の増幅作用を見てしまう。

私は人々が望んでこうした泥沼状態を作っているとは思わない。
それなのに売り言葉に買い言葉の攻撃的反応を、即座に繰り返す。
昔から「腹が立ったら10数えろ」と言うではないか。
なぜ、(問題の中枢は何か)をもう少し冷静に考えられないのか。
何か事件が起きるたびに敵意と憎悪で「炎上」する社会。
誰に向けたらいいのか私は苛立つ。
自戒として次の詩句を呟いてみる。

『 苛立つのを
  近親のせいにはするな
  何もかも下手だったのはわたくし
 
  ・・・・・・・・・・

  だめなことの一切を
  時代のせいにはするな
  わずかに光る尊厳の放棄

  自分の感受性くらい
  自分で守れ
  ばかものよ 
 』 ( 茨木のり子 )

 


コメント (2)
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