毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「尖閣諸島/魚釣島問題で両国民が考えたこと」 2012年1月20日(日)No.552

2013-01-20 14:38:28 | 日本中国比較
さて、「ラジオ深夜便」で三潴(みつま)正道さんが、
最後に語ったことについて書きたいと思う。
「昨年の尖閣/釣魚島の影響で良かったと言えることもある。
それは、中国でも日本でも、『もう政府に任せているのはだめだ。おれたちはおれたちでやる。自分たちの力で民間の草の根交流をやらなければならない。』という声があちらでもこちらでも聞かれることだ。」

という言葉だ。

確かにそうだ。
我が日本語学科の学生たちが9月後半から10月のどん底期をかいくぐった後に書いた作文には、
「戦争は絶対にいやだ。」
「政治は政治。尖閣諸島/魚釣島問題の最中にも、日本を信頼して留学に旅立った中国人学生がたくさんいる。もっとお互いが分かりあえるためにも、私たちは日本に留学したい。日本の若者たちにも中国に来てもらいたい。」
「両国民の友好促進は必ず政府間交渉にいい影響を与えるはずだ。」
「私たちは覚えた日本語を武器にして中日友好の懸け橋になれる。私たちは役に立てる。」

という言葉が多く見られた。
それを読んだとき、私は彼女ら・彼らとともに歩む覚悟を固めた。
権力と無関係な庶民同士は、国家という垣根など軽々と超えて人間同士の交流ができるはずだ。
交流無くして相互理解なし。相互理解無くして平和は持続できない。
お互いに自国の目先の「利益」に目がくらんで意地の張り合いをしないよう、また、それを煽らないようにしよう。
「すぐ批判・否定」じゃなく「まず耳を傾けること」を心がけよう。

ここからはオマケの文。
この冬、大阪に戻って自分のある感覚が変化しているのに気付いた。
従来、レストラン等を含め、公共の場で傍若無人に大声で騒がれるのは私にとって最もイラつくことの一つだった。
それが、である。
ここ十日ほど、ここマクドナルドに来て座っていると、私同様、ほぼ毎日来てゲームなどして帰る数人の小学生(たぶん高学年)がいるのだが、
彼らの発する声がかなり大きく、休み時間の教室状態的であるにも拘らず、
私はそれがもはや腹立たしくないのだ。
「お前、千円持っているからって自慢するなよな。」
「ああ、助かった。○君がおごってやるって言ったとき、▽ちゃんが遠慮してくれたから僕、チキンナゲットおごってもらえたわ。」
とか、あほらしい会話がガンガン聞こえてくる。
ウルサイ。しかし、あまりの愚かさに笑いがこみ上げはするが
どうしても腹が立たない。
これはあきらかに中国で訓練されたとしか思えない。
中国で暮らしたら寛大になるわ

コメント
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