劉思婷さんが帰った翌日の昨日、
南昌の丁勇先生と大阪で会った。
南昌市の江西師範大学の先生で、
南昌市八一公園日本語コーナーの代表だった丁勇先生は、
岡山商科大学との交流プログラムで、
4月はじめから岡山市に住んでいらっしゃる。
丁先生が南昌を去るに当たって、八一公園日本語コーナーグループは、
実に3回も(いや、それ以上かも)送別会を開き、門出を祝した。
(1、2年の別れぐらいでなんとたいそうな)と思うのは
中国南昌人の情の厚さを知らないからかも知れない。
私は3回目の案内をもらったときには、
「え~、また~?」
とかたいへん失礼なことを呟いてしまったのだった。
ことほど左様に、南昌の日本語コーナーのメンバーはとても仲がいい。
なぜか。それは、官製でない、民間人が自前で作った(しかも中国で最初の)
自主的な日語角だからだと多くの人が言う。
その創始者である博堅先生は、この夏休み前、
「先生方はみんな、夏休みで帰省したり、用事で参加できなかったりするので、
南昌にいる限り、私が毎週行きます。それは私の責任と義務です」
とおっしゃった。80歳の博堅先生は、そういう方だ。
彼なくして南昌の日本語コーナーが、
ここまで自主的に発展してくることはなかったのは明らかである。
昨日、丁勇先生歓迎で急遽大阪近辺の南昌グループが梅田の某所に集合し、
再会を喜び合った。
話題が博堅先生のことに及び、
「世が世ならたいへん高貴(ナントカ八旗)で、
特に学問分野に優れたモンゴル人家系の方であらせられる」
と解説を受けたが、博先生は全くそうしたことをひけらかさない。
本当にエライ人は、自分をエライと言わないのである。
どこの国にも、肩書を持たない市井の偉人がいる。
周囲がその人の偉大さを分かろうが分かるまいが、
当人はそんなこともまた気にしないのだろう。
野に咲く一輪の花のように。
南昌の丁勇先生と大阪で会った。
南昌市の江西師範大学の先生で、
南昌市八一公園日本語コーナーの代表だった丁勇先生は、
岡山商科大学との交流プログラムで、
4月はじめから岡山市に住んでいらっしゃる。
丁先生が南昌を去るに当たって、八一公園日本語コーナーグループは、
実に3回も(いや、それ以上かも)送別会を開き、門出を祝した。
(1、2年の別れぐらいでなんとたいそうな)と思うのは
中国南昌人の情の厚さを知らないからかも知れない。
私は3回目の案内をもらったときには、
「え~、また~?」
とかたいへん失礼なことを呟いてしまったのだった。
ことほど左様に、南昌の日本語コーナーのメンバーはとても仲がいい。
なぜか。それは、官製でない、民間人が自前で作った(しかも中国で最初の)
自主的な日語角だからだと多くの人が言う。
その創始者である博堅先生は、この夏休み前、
「先生方はみんな、夏休みで帰省したり、用事で参加できなかったりするので、
南昌にいる限り、私が毎週行きます。それは私の責任と義務です」
とおっしゃった。80歳の博堅先生は、そういう方だ。
彼なくして南昌の日本語コーナーが、
ここまで自主的に発展してくることはなかったのは明らかである。
昨日、丁勇先生歓迎で急遽大阪近辺の南昌グループが梅田の某所に集合し、
再会を喜び合った。
話題が博堅先生のことに及び、
「世が世ならたいへん高貴(ナントカ八旗)で、
特に学問分野に優れたモンゴル人家系の方であらせられる」
と解説を受けたが、博先生は全くそうしたことをひけらかさない。
本当にエライ人は、自分をエライと言わないのである。
どこの国にも、肩書を持たない市井の偉人がいる。
周囲がその人の偉大さを分かろうが分かるまいが、
当人はそんなこともまた気にしないのだろう。
野に咲く一輪の花のように。