7月27日は友人たちによるスエミ姐さん一周忌の会があったが、私は行けなかった。
何を聞き間違ってか、その日にどうしても外せない別の行事を入れてしまったのだ。
その日、ハナテン中古車センター傍のスエミ姐さんとお連れ合いイツオさんのマンションに、友人・知人たち40人近くが集合し、大いに喋り、飲んだという。
まるでスエミさんがそこにいるかのように。
一周忌記念品のストラップ
イツオさんの要望を受けて、友人葬幹事たちが
手作りしたもの。
「老眼で目え見えへんがな。たいへんやで」
と言いながら、約1か月かかって百個作ったそうだ。
「これ、材料費なんぼかかったと思う?すごいねんで」
と、どこまでも大阪の女性たち的講釈が続く。
ストラップに編み込まれた文字「窓女」は、
スエミ姐さんの俳号である(俳人でもあったのである)。
「ソウジョ→マドオンナ→マドンナ」ということで
「『窓女』はオランダやフランスで、
窓から道行く人に声をかける遊女の姿とかぶさるイメージ」
とは元気だったときの彼女の言葉だ。
逝くとき、彼女は戒名にも「窓」を選んだ(「釈明窓」という)。
窓を全開し、広い空に飛び立っていったスエミ姐さんを想う。
その一周忌の集まりを「美空ひばり並みやな」と誰かが評したという。
人々の集まり方はともかく、彼女そのものは美空ひばりではない。
彼女はむしろ「黒柳徹子」である。
(黒柳さん、ご健在であるあなたと美空さんを比べてスミマセン。
私はあなたのどこまでも飛ばす喋りが大好きです。
最近声がしゃがれていますね。元気でね。)
黒柳徹子より声音は高くないスエミ姐さんだが、
早口多弁の大阪言葉に時折お母さん譲りの江戸っ子言葉を混ぜる。
「橋下だかヘチマだか知らないけどね」の「ヘチマ」がその一つで、
私はすっかり気に入り、自分の語彙袋に大切に「ヘチマ」を仕舞い込んでいる。
彼女の口からは「まず、NO!」の真逆、「まず、YES!」が発せられる。
ひとが一番欲しい言葉(それは自分が言われてから、そう言って欲しかったことに気づくようなたぐいの言葉だ)を瞬時に言ってくれる人だった。
それは、生きることに困っている者にとって、天の助けだった。
そんな人が身近にいてくれれば、ひとの人生は確実に変わる。
スエミ姐さんを人生の師匠と仰ぐ所以である。
スエミ姐さんのお連れ合いの手作り梅干し
連れ合いのイツオさんには、どんな一年間だったろう。
8月9日、数人で訪れた際、イツオさんは去年より少し痩せていた。
しかし、イツオさんはスエミ姐さんと過ごしていたいつもの年のように、
今年も南紀まで梅を買いに走り、その梅をベランダ一面に干していた。
いつもの年のように、二年漬の梅干しを私たちにくださった。
スエミさんならこう言うところだ。
「自慢するんですけどね、この梅干は美味しいですよ。
いや、実は私じゃなくて、私の愛する夫、イツオが漬けたんですけどね。
もう名人やで。見て、この粒。このシワ。色もいいやろ~」