毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「歴史がなければ今もない」  2013年8月19日(月)No.728

2013-08-19 19:36:41 | 教育

この夏休みの名言その1。
「歴史がなければ今もない」

8月4日、劉思婷さんと日本の若者達が話したときに、
日本人の若者の中から、
A「戦争は過去の歴史。歴史は自分にとってリアルじゃない。自分は体験していないし」(20代女性)
とか、
B「日本軍が中国人を殺したのは申し訳なかったにしても、
なんで関羽は人をたくさん殺したのに中国では神様扱いされるわけ?
同じ歴史上の出来事やんか」(20代男性)
という意見が出た。
日本の若者達にとって、体験していない過去の歴史は「リアルじゃない」ので、
自分と関係ないと切り捨てたり、大昔も近代もいっしょくたにして
それぞれの戦争の経緯もお構いなしに
「みんな同じ歴史」と空虚かつ抽象的に括ったりする傾向があるようだ。

それに対して、その場にいた30代のやや年長のお兄さんがこう言った。
「体験していないからといって、過去の歴史が現実になかったというわけではない。
想像力があれば歴史を今の時代とリンクさせることができる。
そして、重要なのは歴史がなければ今もないということだ
まさにその通り。

「想像力」・・・今、これほど日本の一人ひとりに欲しいものはない。
どうしたら人は想像力を備えることができるのだろうか。
「妄想」と「想像」の違いは何に由来するのだろう。
私は教養がそこにあるか否かだと思う。
その場にいなくても、まるでいたかのように感じ、考えることができる力は、
あらゆる体験を積んだ仙人でもない限り、自分の体験だけを頼りにするわけにはいかない。
体験を補うものとして、調査、分析・推理、さらに熟考、判断する力が必要になる。
その力を会得するためには先人の思考・判断・知恵が凝縮された知識を学ぶことが不可欠なのである。
そういうわけで、やはり、今の日本人は勉強不足だと言わざるを得ない。

嫌々勉強させられてきた人間に教養が備わるかと言うと、
それでも、やらんより少しはマシだと私は思う。
今、「自分が好きなものを見つけよう」とかいう上滑りな言葉で、
大人たちは子どもをふやけさせている。
大人たちは自分で本当にその言葉を信じているのだろうか。
「私はゲーム好きだから、ゲームに集中します!」と子どもが言ったら、
「エライ!よく自分の好きなものを見つけたね」
と心からその子のために祝福できるのだろうか。
知識の基礎・基本が大切なのはいつの時代でも同じである。
それを使って、次代を創造していくのだから。
新しいものは古いものの中から生まれる。
アゲイン、「歴史がなければ今もない」
コメント
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