毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「激動の辺野古3日間」2015年6月5日(金)No.1376

2015-06-05 21:54:54 | がんばろう沖縄

6月3日、キャンプシュワブゲート前に何百人もの人々が集まりました。

前日からのボーリング工事再開に抗議し、

工事関係車両を通さないための座り込み大行動の要請に応え、

島のあちこちから、そして本土から、朝6時にゲート前に結集したのです。

我が?「海と風の宿」からも、

前日から泊まっていた岐阜の女性4人元気組が、

3ヶ月滞在のミヤさんの車とナオコさんの車に分乗して先発し、

ナオコさんが再度宿に戻って、

私、神戸のムラヤマさん、えりかさん(ナオコさんのお嬢さん)を

乗せて行ってくれました。

つまり、宿をすっからかんにして

全員辺野古のキャンプシュワブゲート前に駆けつけたのです。

下は翌日4日の琉球新報です。

私がこの写真のどこかにいます(正確に言えば帽子だけ)。

スクラム組んでいたナオコさんは機動隊にムギューっと

腕を引っ張られてこんなになってしまいました。

瀬嵩の浜も6月2日から連日賑やかになってきました。

今日も宿までマイクの声や太鼓の音が聞こえてくるので駆けつけると、

こういう場面でした。

海保に拘束された辺野古ブルーを解放すること、

ボーリング工事を直ちにやめることを海に向かって叫んでいるのです。

「不屈」「平和丸」などの船の名前が見えます。

浜には島ぐるみ会議のメンバーが降りていっています。

読谷村の旗が見えます。

「知花昌一さんもあそこにいるよ」と教えてくれたのは

今年2月だったか、「反省する海保たろう」のシナリオを書いた読谷村の

わんから?グループの方でした。

読谷村は何十年も前に私が沖縄で初めて覚えた村の名前です。

読谷高校の女子高校生が涙ながらに日の丸にしがみつき、

「校長先生、日の丸をあげるのをやめてください」と訴えた1987年の事件は

深く心に留めた出来事でした。

その時の女子高生は今、40代です。

ひょっとしてこの中にいるかも知れないと思い、

ちょっと胸がドキドキしました。

金曜日は小学校の読み聞かせの日なので、

後から宜野湾グループのバスできたという女性はこんなTシャツを着ていました。

 

抗議の傍ら、記念撮影(^_^;)。

左からえりかさん、ナオコさん、読谷の読み聞かせ名人。

コメント (4)
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