山東省菏澤での一週間が過ぎました。
菏澤学院に戻ったのが日曜日28日の未明、
翌日の月曜日からさっそく授業が始まり、
教科書もその時受け取るという中国方式、
どたばたした不本意なスタートでしたが、とにかく一週目の授業が終わり、
ようやく、ちょっと落ち着いてきた感じです。
土日と二日間休みなのが非常にありがたく、ホッと一息ついて、
日本僑報社発行の作文集
「中国人の日本語作文コンクール ―なんでそうなるの?―」
を読んでみました。
前任校である「江西財経大学」と「江けい(王へんに京)」の名前を見つけて、
私はまずその作文のページをめくりました。
江さんは、私が1年、2年の日本語会話を担当した
たいへん元気で愉快なクラスの学生の一人で、
故郷の京劇に似た伝統舞踊を踊ったり、
名探偵コナンについての楽しい思い出作文を書いたりしたのが
印象深い子です。
読みだして間もなく、
(うわあ、江けいさんは、あのことを書いていたのか)
と胸が熱くなってきました。
2013年3月初め、当時関西大学1年生の石田木子(きこ)さんが
江財大に交流生として2週間滞在しました。
石田木子さんのお母さんは中国残留孤児2世(日本人)、お父さんは中国人です。
ご両親は彼女に、
中国と日本の二国とも自分の故国であると思えるようにと、
「石田」(母方)を姓に、「李」(父方)を名前に付けました。
(「木子」を縦に並べると「李」です)。
そんな両親の〈我が子に中日双方の文化を身につけさせたい〉という意志を
細身の身体にズッシリ背負って(そのわりには、とても軽やかに)、
木子さんは当時私が勤務していた南昌の江西財経大学にやって来たのです。
(下のブログ文はその時のもの)
「日本語学科初の祖父母参観」 2013年3月6日(水)No.582
「日本からの交流生キコさんとの一週間」 2013年3月8日(金) No.584
「日本からの交流生のことー1年生の作文ー」2013年3月15日(金)No.591
その時、同じ1年生だった江けいさんは、
日本語を学び始めてまだ半年ほどでした。
彼女が大学日本語学科に入学したのは2012年9月、
あの尖閣国有化問題で中日が揉めに揉めていたときです。
「日本語学科に入学した」と言ったとたんに謗られた学生も多かったのです。
そんな最悪の時期に、
日本から軽々と国をまたいでやって来た同学年の木子さんは、
江けいさんや他の日本語学科の学生たちの心に、
どれほど輝きと希望をもたらしたことでしょう。
生身の存在ほど強力なパワーを発するものはありません。
ここでまた、
「いちゃりば ちょーでぃー(出会えば きょうだい)」
という沖縄の言葉を噛みしめるワタシでした。
江けいさんの作文も掲載したいのですが、
実は今日のパソコンの調子は最悪に近いコンディションなので
とりあえず、今日はこれにて終りにします。
また明日のお楽しみ~。