2004年。本当に〈小さな巨人〉だなあ、緒方貞子さん。左はコリン・パウエル氏ですね。
初の日本人、そして初の女性の国連難民高等弁務官を務めた緒方貞子さんが亡くなりました。
それまで高等弁務官が紛争現場を訪れる習慣はなかったそうですが、
ヘルメットに防弾チョッキを装備して現場を視察し、
まず難民に会い、難民の要望を聞いてから状況に即した救済方針を取るという方式を
定着させたのが緒方貞子さんだそうです。
また、それまで内政干渉に当たることを恐れて為しえなかった、
紛争国内の難民救済に果敢に取り組んだのも緒方さんが初めてだったとのこと。
私たちはもの凄い人道主義の闘士を先輩を持ちましたね。
緒方さんは、日本のアベ首相が「積極的平和主義」を唱えたのに対して、
「難民受け入れぐらいしないと積極的平和主義が日本にあるとは言えない。」と
日本政府の難民受け入れ数のあまりにも少ないことを厳しく批判しました。
今もその状況は全く変わりません。
難民収容所で難民認定されず牢獄のような難民収容所に何年も閉じ込められ、
毎年何十人もの人々が抗議のハンストをします。
少し前、極限的ハンストによる餓死者も出ましたね。
緒方さんはこんな人権後進国日本の有様を
どんな思いで見つめていらっしゃったことでしょう。
緒方貞子さんが日本人に遺した言葉を今一度噛み締めたいと思います。
「やはり日本は島国で、今までなんとなく自分たちだけを守っていれば生きていけると思っていたのだけれど、実態はそうではありません」(国連UNHCR協会より)
「深刻な問題を抱えたときに、日本人はいつもそれに立ち向かい克服してきました。しかし、相互依存の中にあって、日本だけを見ていてすべてのことを克服していくことはできません」(国際協力機構 -JICA より)
「文化、宗教、信念が異なろうと、大切なのは苦しむ人々の命を救うこと。自分の国だけの平和はありえない」(西日本新聞より)
「人々の意識を変えるためには、時間が必要です。戦火を交えてきた人々の間に信頼を築き上げるのにも、時間がかかります。しかし、その実現は不可能ではありません」(国際連合広報センターより)
「多くの兵士や将校たちが彼らの『剣』や『銃』を転用して、新しい『鍬』を再び手にしながら土地を耕し始める事を一緒に望みましょう」(外務省より)
これらの言葉はハフィントンポストJAPANの記事から転載させていただきました。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/sadako-ogata_jp_5db7b52ce4b02aee7d352df7??ncid=newsltjphpmgnews