「先生、私の母に是非会ってください。」
2年の会話テストの時のこと、
国華さんは談話席にすわるなり、いきなりそう言った。
「お会いしたいですが、お母さんはどんな方ですか。」
と聞く私に、彼女は数分しか与えられていない自分の持ち時間の全てを
お母さんの話で埋め尽くした。
1962年生まれの国華さんのお母さんは文字が読めない。
文革という時代と貧しい農村環境がお母さんを学校に行かせなかった。
18歳で結婚した後も、農作業と家事、そして生まれた3人の娘たちの育児で忙殺された。
国華さんは末娘で、お姉さんが二人いる。
一番上のお姉さんが中学を卒業したとき、
両親は激しい夫婦喧嘩をした。
お父さんが
「女の子は進学する必要がない。」
と言い、お母さんがそれに激しく抵抗したのだ。
自分は勉強したくてもそれが許されなかった。
子どもが高校に行きたいのなら、
何としても行かせてやりたいと主張した。
お姉さんは自分の所為で両親が喧嘩するのに耐えられず、
進学しなかった。
次のお姉さんの時もそうだった。
その後、お母さんは300元で赤い自転車を買った。
お父さんは激怒したが
お母さんは聞く耳がなかった。
近隣の村村で市が開かれる日、
お母さんはその自転車に自家製の漬け物や乾物などを載せて売り歩いた。
その少しのお金を貯めて国華さんだけは
自力で高校に進学させたのだ。
二人のお姉さん達も自分たちの夢を妹に託して
一生懸命応援した。
国華さんは一年生の時、
「私はお姉さんたちのために良い大学に入りたかったです。
でも、江西財経大学にしか入れませんでした。」
と言ったことがある。
私は
「江西財経大学は江西省で一番の大学です。
すばらしいじゃないですか。」
自分の趣旨を曲げて慰めた。
本来、私は大学を知名度、ランク順で評価するのが大嫌いだ。
中国ではみんながみんな、
「一位:北京大、二位:精華大・・・」と口を揃えて言い、
国も毎年一流大学、二流大学、三流大学と各大学をご丁寧に格付けし、
さらにそれぞれその中で細かくランク付けする。
それへの違和感はまた今度述べることとして
国華さんのお母さんが、この前5月に保護者の大学見学に招待され、
財大にやって来た。
お母さんは汽車にも乗ったことがない。
生まれて初めて汽車に乗る、字の読めないお母さんを心配して
国華さんは南昌駅まで迎えに行き、
学校の迎賓館みたいなところに案内した。
学校が招待するので、そのへんの安い旅館などには泊まらなくていい。
2日間、広い財大キャンパスのあちこちを見て回り
無事に帰った。
家に到着後の電話では
さすがアウトゴーイングな中国人、
汽車の中で友達ができたそうだ。
日本の30年、40年前に重なる話だと思った。
日本でたまに
「中国ってなんかダサ~い。」
と言う人がいる。心底悔しい。
中国を特別に贔屓しているのではない。
ただ、言った当人はどんな努力をして生きているというのだ、と聞きたい。
たまたま豊かな時代、豊かな社会に生まれただけじゃないか。
しかもその豊かさは、明治以降、中国、韓国・朝鮮を始めアジア諸国の人々を
踏み台にして実現したものじゃないか。
驕る醜い心だ。
私は日本に帰ったら、近代以降の日本史を自分も含め、庶民同士が学びあう会を開きたい。
日本人は日本がどんな歴史を創って今あるのか、近隣諸国に何をしたのか、
知らなさすぎだと感する。
自分も偉そうなことは言えないけど・・・。
日本は謙虚に自分を見つめ直さないとね。
課題大国日本。
まず、現在を把握するために、過去の事実から学ぶことも大切だ。
故郷、斜里高校の世界史の先生がおっしゃっていた言葉。
「歴史は今に通じている。」
2年の会話テストの時のこと、
国華さんは談話席にすわるなり、いきなりそう言った。
「お会いしたいですが、お母さんはどんな方ですか。」
と聞く私に、彼女は数分しか与えられていない自分の持ち時間の全てを
お母さんの話で埋め尽くした。
1962年生まれの国華さんのお母さんは文字が読めない。
文革という時代と貧しい農村環境がお母さんを学校に行かせなかった。
18歳で結婚した後も、農作業と家事、そして生まれた3人の娘たちの育児で忙殺された。
国華さんは末娘で、お姉さんが二人いる。
一番上のお姉さんが中学を卒業したとき、
両親は激しい夫婦喧嘩をした。
お父さんが
「女の子は進学する必要がない。」
と言い、お母さんがそれに激しく抵抗したのだ。
自分は勉強したくてもそれが許されなかった。
子どもが高校に行きたいのなら、
何としても行かせてやりたいと主張した。
お姉さんは自分の所為で両親が喧嘩するのに耐えられず、
進学しなかった。
次のお姉さんの時もそうだった。
その後、お母さんは300元で赤い自転車を買った。
お父さんは激怒したが
お母さんは聞く耳がなかった。
近隣の村村で市が開かれる日、
お母さんはその自転車に自家製の漬け物や乾物などを載せて売り歩いた。
その少しのお金を貯めて国華さんだけは
自力で高校に進学させたのだ。
二人のお姉さん達も自分たちの夢を妹に託して
一生懸命応援した。
国華さんは一年生の時、
「私はお姉さんたちのために良い大学に入りたかったです。
でも、江西財経大学にしか入れませんでした。」
と言ったことがある。
私は
「江西財経大学は江西省で一番の大学です。
すばらしいじゃないですか。」
自分の趣旨を曲げて慰めた。
本来、私は大学を知名度、ランク順で評価するのが大嫌いだ。
中国ではみんながみんな、
「一位:北京大、二位:精華大・・・」と口を揃えて言い、
国も毎年一流大学、二流大学、三流大学と各大学をご丁寧に格付けし、
さらにそれぞれその中で細かくランク付けする。
それへの違和感はまた今度述べることとして
国華さんのお母さんが、この前5月に保護者の大学見学に招待され、
財大にやって来た。
お母さんは汽車にも乗ったことがない。
生まれて初めて汽車に乗る、字の読めないお母さんを心配して
国華さんは南昌駅まで迎えに行き、
学校の迎賓館みたいなところに案内した。
学校が招待するので、そのへんの安い旅館などには泊まらなくていい。
2日間、広い財大キャンパスのあちこちを見て回り
無事に帰った。
家に到着後の電話では
さすがアウトゴーイングな中国人、
汽車の中で友達ができたそうだ。
日本の30年、40年前に重なる話だと思った。
日本でたまに
「中国ってなんかダサ~い。」
と言う人がいる。心底悔しい。
中国を特別に贔屓しているのではない。
ただ、言った当人はどんな努力をして生きているというのだ、と聞きたい。
たまたま豊かな時代、豊かな社会に生まれただけじゃないか。
しかもその豊かさは、明治以降、中国、韓国・朝鮮を始めアジア諸国の人々を
踏み台にして実現したものじゃないか。
驕る醜い心だ。
私は日本に帰ったら、近代以降の日本史を自分も含め、庶民同士が学びあう会を開きたい。
日本人は日本がどんな歴史を創って今あるのか、近隣諸国に何をしたのか、
知らなさすぎだと感する。
自分も偉そうなことは言えないけど・・・。
日本は謙虚に自分を見つめ直さないとね。
課題大国日本。
まず、現在を把握するために、過去の事実から学ぶことも大切だ。
故郷、斜里高校の世界史の先生がおっしゃっていた言葉。
「歴史は今に通じている。」
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