「政治家ほど高潔な人格が要求される仕事はない」
と常々思っている私にとって、
故翁長雄志沖縄県知事は心から尊敬できる日本では稀な政治家でした。
日本国に踏まれ続け、虐められ続けてきた
沖縄の耐え難い苦しみの歴史を跳ね返すべく、
ウチナンチューは必然的に翁長さんのような政治家を
産み出したのかも知れません。
今日の沖縄タイムスのインタビュー記事のご夫婦の会話を読み、
翁長さんを偲びました。
しかし、ションボリばかりしてはいられません。
沖縄は政治決戦の渦中です。
人間同士の信頼を希求する政治を翁長さんから引き継ぐ玉城デニーさんに
何としても知事になってもらいたいです。
アベと日本会議はあらゆる嘘とお金を撒き散らし、
汚い手段を既に仕掛けてきています。
こんなことで沖縄の社会がよくなるはずないのに。
県民は分断されないでほしい。騙されないでほしい。
ホンドの私たちは沖縄のために何が出来るかを考え、
それを具体的に実行しましょう。すぐに。
「翁長雄志は命がけでした」
妻樹子さんが語る壮絶な最期
9/1(土) 7:10配信 沖縄タイムス
知事選で当選を決め、翁長雄志さんと鏡開きする妻の樹子さん。2014年11月16日
8月8日に亡くなった前知事の翁長雄志さんの妻の樹子さん(62)は、沖縄のタイムスのインタビューに、名護市辺野古の新基地建設問題に関する前知事の思いなどを明かした。(聞き手=政経部・福元大輔)
本人は亡くなる直前に言ったんです。辺野古問題で悩むことが多かったでしょ。「人がどう言うか、分からない。人がどう評価するか、分からない。でも、知っていてほしい。僕は精いっぱいやったんだ。これ以上できない、それでも足りないだろうか。僕の力がそこまでだったんだろうか」と。私が「ウチナーンチュだったらきっと分かるはずよ」と言ったんですよ。そしたら、翁長は静かに笑ってました。
県民が諦めなければ辺野古の基地は造られないと思う。それは翁長も私も信じていた。県民が辺野古の基地はもうしょうがないということになれば、未来永劫(えいごう)沖縄に基地を置かれたままになる。それでいいのでしょうか。翁長は命をかけて、そこを問い続けた。もう一度踏ん張りたい。私にはそれしかできない。
ウチナーンチュが一つになって、団結したとき、私たちが考えている以上の力強さがあると次男が県民大会で言ったでしょ。本当にその通りだと思うんです。一つになって立ち上がる。その強さを翁長は求めていたんだと思うんです。若い頃から。
私が翁長の背中を押した理由
7月27日の記者会見の時、知事室からエレベーターに向かう廊下の窓際に腰を掛けて休んでいたのを記者たちが見て、記者会見で聞いたら、外反母趾(ぼし)と応えていたけど、あれは全然違う。
埋め立て承認撤回の経緯について説明するため、県議の部屋に向かう翁長雄志知事。7月27日午前9時20分頃
前日、県庁に行って撤回に向けた最後の打ち合わせをして、公舎に「ただいま」と帰ってきた。玄関にあったいすに座って3分、廊下で3分、リビングで3分、寝室までの廊下でまた3分、5メートルを歩くのに20分かかる状況だったの。
「記者会見で自分の思いを伝えることができるだろうか。記者の質問に答えることができるのだろうか」と私に言ったの。
私は「できるに決まっているじゃないの。何のために頑張ってきたの。あなたがやらないで、誰がやるの」と背中を押しました。
口の中いっぱいに口内炎ができていて、小さな粒の薬を飲むのも少しずつ少しずつ流し込むように。これも20分かかったかな。
翌日起きて、送り出して、記者会見で30分間話し続けることができたと聞いて、私は「神様ありがとう」と何度も繰り返した。
弱い姿を見せたくなかった人ですから、外反母趾と言ったんでしょう。私がそうじゃなかったと言ったことで、翁長は怒っているかもしれません。「なんで本当のことを言うんだよ」って。言葉が聞こえてくるようです。
そんなきつい翁長の背中を私が押したのには理由があるんです。
最後に入院したとき、1回だけ「苦しい」といったことがあるんです。病室で車いすに乗ろうとした時に私が支えていたんだけど、バランスを崩して、二人で転んだの。私に苦労させたと思ったんだろうね。そのとき、私にもたれかかるように「苦しい」と言ったの。1回だけ。
そのとき、死期を覚悟していたのもしれない。もしかしたら恐怖があったのかもしれない。こんなことを私に言ったの。
「この先、子どもたちにあたることがあるかもしれない。自分で自分をコントロールできなくなるかもしれないんだ。そのときは、子どもたちに伝えてほしい。今のお父さんは本当のお父さんじゃないよ。病気で自分をコントロールできなくなっているんだよ」と。
でも、最後までそんな必要はなかった。最後の最後まで子どもたちにあたることはなかった。周りに気を遣うお父さんだった。
でも、でもね。ずっと難しい顔をしていたでしょ。だから最後は見せてほしいと思った。翁長の本当の笑顔を。末っ子の甘えん坊の笑顔を。明るくよく笑う人だったんです。この4年間はほとんど見ることがなかったから。
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翁長さんの想いを受け止めるために、一人でも多くの人に読んでいただきたい。本当に命がけとはこのことですね。
雀さんと共に出来ることをしていきましょう。
私利私欲、身内のことしか頭にない者も居れば、人々とともに生きようとする人もいることを、アベと翁長さんはそれぞれを代表して示している気がします。
せっかくこの世に生まれて来たんですから、一人の人間として恥ずかしくない生き方を全うしたいもの。レベルは違っても、翁長さんの後を追って……。