日本語の「明けましておめでとう」には
「忘年」と「リスタート=再出発」の意味があるというが、
忘れられないし、忘れたらだめなことが過去に積み重なって存在し、それが歴史を作っている。
そんな過去を振り返る正月にしようかと思うもつかの間、今度は地震だ。
近所に住む息子が散歩がてら味噌雑煮(餅抜き)を食べに来て
ぺちゃくちゃしゃべって帰った後、
2024年1月1日午後4時過ぎ、船が揺れている感覚が到来。
気分だけでなく、台所にぶら下げてあるコーヒーカップがカチャカチャ鳴るので、地震だと分かった。
室内に干した洗濯物やら、植木のパキラ・クワズイモの葉やらも揺れている。
私が地震が怖くなったのは阪神淡路大震災からで、
これだけ揺れたら部屋にいない方がいいと判断し、マンションの外に出た。
意外に、近所の人が一人出ているだけで、
「地震ですね」「電気が揺れましたから」など控え目に話し、一分ほどで部屋に戻った。
もう地震は収まったのに船揺れ感覚が続くので植物との対話をするも鎮まらず
その後ベッドにもぐって寝てしまった。
夜中(今)起きてグーグル、ヤフーを検索すると、尼崎は震度3だった。
阪神淡路大震災のとき、当日のみならず何日も震度3レベルの揺れがあったと思う。
時とともに薄れていたが、一瞬にして蘇る過去。
戦争でも地震でも、その時は(絶対二度と体験したくない)と思うのに、
個人の記憶も人類全体の記憶も薄れ忘れて、また繰り返す。
必死に呼びかけるネットニュースのアナウンサーの姿は嘘ではない。
しかし、薄れ忘れて他人事になる。
人は、過去を見つめ続けることで未来の希望が開けるのに、
忘れちゃうんだからなあ・・・・・・
2024年1月1日、
昨日までの続きは地震で始まった。
忘れても、忘れても、また思い出すことはできる。
下は今回の地震地域・原発マップ。
穏やかでよい元旦だと思っていましたら、携帯が「地震です・地震です」と大きな音で言ってるではありませんか。パソコンの前に居ましたので、急いてストーブを消して暫くじっとしていましたが、この辺りでは揺れもそれほど感じず、心が落ち着いてからTVの前に行きましたら、日本海側で大きな地震があったと「落ち着いて避難してください」・・・
新年早々、こんな災害が襲ってくるなんて!今年は何か良いことがない年になりそうですけれど、そうなってほしくはありませんね。
今年の初めの日にこれですから、何かの前兆と思えます。日本も世界も、どんなことが起きても不思議ではないですよね。日々覚悟を決めて暮らすしかないのでしょうね。
そんな中、地震緊急通報が。かなり長い時間 揺れました。阪神淡路大震災で罹災証明が出た古マンションの最上階。玄関を開け手すりに捕まり収るのを待ちました。怖かったです!
どれほどの被害が・・と案じていると 羽田空港で飛行機炎上の画面が。嘘でしょう~
年始からこんな事がおきるなんて・・・暗澹とした気持ちです
いざというとき、①助け合う地域社会と②国民を守る政府が必要ですが、①は心もとないし、②は全然ダメという今の日本。もう、友達の輪しかないかも。
本年も宜しくお願い申し上げます。
思えば、21世紀早々、一年間アメリカに行ったのをきっかけに、日本的習慣の多くを逸脱し始め、中国生活で決定的になりましたが、年賀の挨拶もその一つです。
おせち料理も作りません。昔、年末に食材をたくさん買い込み、大晦日の夜までゼーハー言って作っていたことを思えば、作らないチョイスは負担がなくて大正解です。もちろんデパートのおせちを買ったりもしません。いつもの味噌汁でお正月です。清貧なる哉(笑)。