↑今日、山東省聊城市駅前にひっそりと一輪咲いていた薔薇。
和歌山県・山東省共催「泰山杯」スピーチコンテストで、
日本語学部2年生の趙祖琛さんが一等賞をもらいました。
本当に感謝しても、し切れません。
なぜそんなにありがたいか、それには理由があります。
この一ヶ月半の練習期間に、
趙さんは夜、ろくに眠れなくなった時期がありました。
授業中にボーッとしているので(どうしたのかな?)と思い、
放課後の練習時に根掘り葉掘り聞いたところ、
「実は、スピーチコンテストのことが気になって毎晩眠れないんです。
高校一年から何かあるたびにそうなります。神経衰弱なので……。」
「こんな身体を持っている自分は死んだほうがましだ、
ともう一人の自分が毎晩囁きます。」
「N2試験の得点が177点ぐらいで喜んだけど、
この頭がもし正常だったら1年生でN1ぐらい合格できたはずです。」
とションボリ答えるのです。
私は、ストレスに押し潰されることの怖さを改めて実感しました。
確かに、趙さんのスピーチ原稿の中には
「高校時代、鬱病になった」とありましたが、
私は勝手に(それは過去のことでもう完治したもの)と
決め付けていたのです。
しかし、深い傷を負った心は何かの拍子にまた簡単に傷口が開くのだと、
今回、趙さんが教えてくれました。
「趙さんは中学校時代、どうしてそんなに一生懸命勉強したの?」
と聞くと、
「貧しい両親にせめて息子の成績がいいことを
誇りに思ってもらえるように……。」
と答えた趙さんは、
鬱病で不登校になった自分が情けなくて、
部屋の壁に頭を打ちつけるなど自傷行為も繰り返しました。
お母さんはそれまで外で働いていましたが、
趙さんの傍につきそうために仕事を止めました。
お母さんもお父さんも、
愛する一人息子のことをどんなに心配したことでしょう。
誰も悪くないのに、こんなことになってしまうなんて。
眠れない日々が続いた時、私は趙さんに
「そんなに苦しいなら辞退しようか?スピーチコンテストなんか
たいしたもんじゃないよ。何より命が一番大事だよ。」
と提案しました。
でも、趙さんが「せっかくここまで練習したので続けます。」
と健気に言うので、私たちは練習を続けて
本番を迎えることになったのです。
趙さんが眠れないと思うと、
ストレスが伝染して私も夜眠れなくなりました。
スピーチコンテストへの取り組みは、
スピーチ技術の向上も然ることながら、
一人の少年がストレスや得体の知れないプレッシャーと戦い、
それを克服する過程ともなりました。
それだけに、この賞は趙さんが体力・精神力の総力を挙げて
がんばったことへの最大のねぎらいであり、
新たな生気の注入になったと思うのです。
(ああ、思えば去年の韋彤さんもそうだったなあ……)。
下は趙祖琛さんが即席スピーチ用に
あれこれテーマを考えて書いたうちの一つです。
ーーー忘れられない日本人の先生の教えーーー
「適度なストレスはいいけど、
ストレスに押し潰されるほど、がんばらなくてもいいんだよ。」
それは今回のスピーチコンテストの練習をしている途中、
日本人の先生が私に言った言葉です。
「がんばらなくてもいい」
・・・・・・私がそれまで考えたこともない言葉でした。
私は内気な性格で先生に積極的に近づけず、
高校ではいくら成績が良くても先生方の目には留まりませんでした。
(自分の存在を認めてもらいたい!)
でも、指名もされない私は、次第に、
自分は価値のない人間だと感じるようになってしまいました。
それも原因の一つで、私は鬱病になり、成績も下がりました。
心底疲れている私に先生方が言う言葉は、
「もっと頑張ろう!もっと頑張ろう!受験日までもう少ししかない!」
……それだけでした。
今回、スピーチを指導してくれた日本人の先生は、始めに
「私たちは二人で1つのチームです。一緒にがんばろうね。」
と言いました。
でも途中、ストレスでクタクタになった私に
先生が言った言葉は、
「命を削るまでがんばる必要はないよ。
もし本当に無理なら辞退してもいいんだよ。」
・・・・・・実は、その時私は諦めたかったんですが、
私を理解してくれた先生に応えるためにも、
続けることを選びました。
これはコンテストだけではなく、人生についても言えます。
勝ったり、負けたり、笑ったり、泣いたりすることこそ人生です。
一生笑い続ける人などいません。
自分がすべきことを(ああ、精いっぱいやれた!)と思えたら、
それでもう十分です。
「ストレスに押し潰されるな!
泣いたり、笑ったりしながら、人生を楽しもう!」
日本人の先生の教えです。
↑今日、故郷聊城市を離れて、菏澤に戻る趙祖琛さん。何を思っているのでしょう。
趙君にとってこの受賞がきっとこれから生きる大きな力になりますね。
本当に良かった!改めておめでとうございます。
コンテストから帰って、趙祖琛さんの様子を見ていると、何か新たなストレスを抱え込んでいるような心配があり、予断が許されない状況です。
一度開いた傷口はなかなか塞がらないだけでなく、理由にならないことで、さらに自分を傷つけてしまうことも多々あるようです。今回、特賞を得られなかったことで彼は自分を責めているのかも知れません。
鬱病は、本当に治癒が困難な病だと聞きますし、周囲の友人・知人の例もそれを物語っています。
こうなると専門医と薬に頼るしか心が休まることはないかも……。
人間は難しいですね……。彼の担任の先生にもフォローをお願いしてみます。