↑写真は前回3月(第12回)の「食のおくりもの」の準備しているところです。
看板の右下に「必要な方はどなたでも ぜひお越しください」
と書いてあります。
2020年、第一回の「食のおくりもの」をする前のミーティングでは、はじめ
「お困りの方はどなたでも ぜひお越しください」
と書こうという案だったのですが、
その時、ある意見が出ました。
「『お困りの方』なんて書いたら、本当に困っている人は来られない。
誰でも来ていいんだと思えて初めて来ることができると思う。
それに支援者は、困っている人とそうでない人を見分けることなどできないし、
ふるいにかけることももちろんできない。
所得証明書を見せろなんて言えないし。
だから、『みんな来てください』でいいと思う。」
皆、それを聞いてそれもそうだということになりました。
13回も続けるうちにはいろいろなことがありましたが、
私は店の中にいるので次の事例は後で聞いたことです。
何回目かのその日は一家族?が6人、それが二家族で並んで一人一つずつ持ち帰り、
50食用意した弁当があっという間になくなってしまいました。
バーゲンセールでおひとり様一つ限りの商品を身内総動員でゲットする手法です。
弁当は無料サービス商品と同様に考えられたのでしょう。
でも、こんなことをしているうちに小さなこの園田の街に
「あそこでときどき、お弁当やらを無償配布しているよ。」
という評判がたち、おなかを空かせた子どもたちが
恥ずかしがらずに並んでくれたらいいなと思います。
別のある日は冬で、終日雨でした。
寒いし雨なので、少し余った弁当はボランティアスタッフが
500円で夕食用に買い、早めに活動を終えました。
その後、ボランティアのKさんたち二人が残り、店でコーヒーを飲んでいた時です。
5、6歳の女の子がひとり、傘をたたんで店に入ってきて、
緊張した面持ちで「あの、お弁当はありますか」と聞くのです。
一瞬、私はなぜか、キツネの子が町のお店に手袋を買いに行くお話が頭をよぎりました。
私は「終わったからもうないのよ」と言いました。
こういうとき、私の脳みそは融通も何もあったもんじゃないのです。
その時、カウンターでコーヒーを飲んでいたボランティアのKさんが、
「あ、あるよ、あるよ。ぼくのをあげる。これ持って帰りなさい。」
と言って、500円で夕食用に買い上げた弁当を女の子に渡したのです。
女の子はあくまでも丁寧体で、
「あ、いいえ、いいです。」と生真面目に遠慮しましたが
Kさんが上手に勧めると少しだけホッとしたような顔になり
「ありがとうございます。」
と持って帰りました。
本当に、外見は5歳か6歳ぐらいにしか見えないのに、
大人びた言葉遣いや様子でした。
(どんなおうちなのかな。それにしても、Kさん、グッジョブだったな)と思いました。
また別の事例です。
秋でしたが、雨が降った翌日、店に年配の男性が歩行器を操作して、
コロナのために開け放した入り口から
ガタピシと(凸凹があるので)不自由そうに入ってきました。
「昨日はお弁当の無償配布があったんだよね。
ぼくは来たかったんだが、歩行器の操作に両手を使うから
傘がさせない。だから来られなかったんだよ。」
聞けば80歳過ぎで一人暮らしの近所の方でした。
その時はランチもしていたのですが、
「ソーメンはないの?」と聞かれて、
「うちはソーメンはないです」と、また融通の利かない返事をしたのです。
そしてやはり「類とも!」周囲に同様の方たちが支えられているんですね。
本当は個人的にこんなことをしなくてもいいような国だったら!!としみじみ思います。
きっかけは、地元の新日本婦人の会(以後「新婦人」と書きますね)の有志が息子の店「DOLMEN & 遊」に来て、
①不況に喘ぐ地元の方々への食糧支援のために店を貸してほしい。
②そして無償配布のお弁当を有償で提供してほしい(代金は寄付で賄う)。
という願ってもいない申し出をしてくださったのです。店としては、商売にもなり、社会貢献にも参加できるので、一も二もなく即座に引き受けました。
コロナによる運営制限や息子の病気で(いつでも店をたためるように準備しないと…)と覚悟していたのですが、この新婦人の取り組みで店も活気づき、何よりも励まされました。せめてもの恩返しと思い、今は新婦人の新聞を取っています(笑)。恩返しになっていませんね。