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日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「日本に帰った帰国者の人生-李達夫・遅素媛さん夫妻」2013年7月23日(火)No.716

2013-07-23 17:54:00 | 中国帰国者
2年前の7月末の北京、
李達夫さんと素媛さん夫婦は傷心を抱えて日本に戻る途中だった。
貴州で日本語学校を経営していた娘さんが過労死し、葬式に出席しての帰りだった。
その日、関空に飛ぶ予定の旅客機は天候不順のため、
航行を見合わせていた。
いつ飛ぶか分からないので、二人は北京市内のホテルで一旦休憩することにした。
ホテルに着いて、手すりのない狭い階段を昇りきったと思ったそのとき、
素媛さんが落下した。

あれから2年経った。
脳挫傷、くも膜下出血等々の大怪我の後遺症は、
素媛さんが元通りの生活をすることを不可能にした。
自分で歩行することもできない。
一時は40年間連れ添ってきた連れ合いも認知できなかったが、
2年かけて少しずつ、少しずつ記憶が戻っている。
大阪に戻ったので素媛さんのお見舞いに行こうと思ったら、
素媛さんは淀川キリスト教病院に入院していた。
「誤嚥下」による肺炎併発だった。

昨日、帰国者仲間の武原さんに通訳で
付き添ってもらい、フミちゃんと一緒に淀キリに行ってきた。

二人はニコニコと迎えてくれた。

(素媛さんは怪我の前に比べ20kgも太っている。脂肪肝になっているとのこと)

李達夫さんが手紙を渡してくれた。
日本語で話ができないから、辞書を引きながら前の日に書いてくれたのだ。
了解を得て一部掲載させていただく。

-----掲載ここから
世界の中で、いろいろ困ることがあります。
今、妻の最悪の時期は過ぎました。
今から良くなります。
私の生活もきっとすばらしくなります。
いろいろ心配しない様にしています。
全てうまくいくでしょう。
これからも、妻と私はずっと苦楽を共にする仲のいい者同士です。
なるべくいい方向に考えて、妻の面倒を見て、勇気を奮い起こして全力を尽くします。
苦境にある妻を絶対見捨てない。
私は十年間ずっと日本語を勉強してきました。但しレベルはまだまだ下手です。
特に会話、口が下手だし、聴力も下手です。お恥ずかしい限りです。
どうかご了承ください。
二年間、妻の面倒を見てきて、いい勉強になりました。
今まで妻が作ってくれていた料理を、
自分がやって初めて分かることが多かったです。
妻の温情が心中深く感じられます。
また、大阪の友人たちのありがたみも知っています。
今、私は心が満ち足りています。

------掲載ここまで


李達夫さんは、結婚して以来の生活に言及し、
文化大革命で牢獄に入れられ、いつも飢えていたときに
素媛さんが貴重な食べ物を持って訪ねてくれたこと、
配給制の貧しい暮らしの中で、
10のうち、素媛さんは1つだけ、あとの9の食べ物を大柄な李さんに差し出してくれたこと、
李さんが日本に帰国すると言ったとき、一切反対せずただ頷いてついてきてくれたこと、
いつも李さんの帰りをベランダで待っていて、
ドアを開けた時に、ちょうどできたてのアツアツ餃子を出してくれたことなど、
思い出のあれこれを話してくれた。
それを聞いて素媛さんも一緒にニコニコ笑った。

今週中には退院できるそうだ。
障害者手帳(1級)も得、
ケアマネージャーさん、ヘルパーさんなどの介護体制もバッチリで、
本当に最悪の時期は過ぎた感じだ。
しかし、「満ち足りている」と言っても李達夫さんも障害者手帳を持つ身だ。
歳を取っていく帰国者たちが安心して生活をしていくために
何が必要なのか、お付き合いを続ける中でキャッチしていきたい。

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