2年前の7月末の北京、
李達夫さんと素媛さん夫婦は傷心を抱えて日本に戻る途中だった。
貴州で日本語学校を経営していた娘さんが過労死し、葬式に出席しての帰りだった。
その日、関空に飛ぶ予定の旅客機は天候不順のため、
航行を見合わせていた。
いつ飛ぶか分からないので、二人は北京市内のホテルで一旦休憩することにした。
ホテルに着いて、手すりのない狭い階段を昇りきったと思ったそのとき、
素媛さんが落下した。
あれから2年経った。
脳挫傷、くも膜下出血等々の大怪我の後遺症は、
素媛さんが元通りの生活をすることを不可能にした。
自分で歩行することもできない。
一時は40年間連れ添ってきた連れ合いも認知できなかったが、
2年かけて少しずつ、少しずつ記憶が戻っている。
大阪に戻ったので素媛さんのお見舞いに行こうと思ったら、
素媛さんは淀川キリスト教病院に入院していた。
「誤嚥下」による肺炎併発だった。
昨日、帰国者仲間の武原さんに通訳で
付き添ってもらい、フミちゃんと一緒に淀キリに行ってきた。
二人はニコニコと迎えてくれた。
(素媛さんは怪我の前に比べ20kgも太っている。脂肪肝になっているとのこと)
李達夫さんが手紙を渡してくれた。
日本語で話ができないから、辞書を引きながら前の日に書いてくれたのだ。
了解を得て一部掲載させていただく。
-----掲載ここから
世界の中で、いろいろ困ることがあります。
今、妻の最悪の時期は過ぎました。
今から良くなります。
私の生活もきっとすばらしくなります。
いろいろ心配しない様にしています。
全てうまくいくでしょう。
これからも、妻と私はずっと苦楽を共にする仲のいい者同士です。
なるべくいい方向に考えて、妻の面倒を見て、勇気を奮い起こして全力を尽くします。
苦境にある妻を絶対見捨てない。
私は十年間ずっと日本語を勉強してきました。但しレベルはまだまだ下手です。
特に会話、口が下手だし、聴力も下手です。お恥ずかしい限りです。
どうかご了承ください。
二年間、妻の面倒を見てきて、いい勉強になりました。
今まで妻が作ってくれていた料理を、
自分がやって初めて分かることが多かったです。
妻の温情が心中深く感じられます。
また、大阪の友人たちのありがたみも知っています。
今、私は心が満ち足りています。
------掲載ここまで
李達夫さんは、結婚して以来の生活に言及し、
文化大革命で牢獄に入れられ、いつも飢えていたときに
素媛さんが貴重な食べ物を持って訪ねてくれたこと、
配給制の貧しい暮らしの中で、
10のうち、素媛さんは1つだけ、あとの9の食べ物を大柄な李さんに差し出してくれたこと、
李さんが日本に帰国すると言ったとき、一切反対せずただ頷いてついてきてくれたこと、
いつも李さんの帰りをベランダで待っていて、
ドアを開けた時に、ちょうどできたてのアツアツ餃子を出してくれたことなど、
思い出のあれこれを話してくれた。
それを聞いて素媛さんも一緒にニコニコ笑った。
今週中には退院できるそうだ。
障害者手帳(1級)も得、
ケアマネージャーさん、ヘルパーさんなどの介護体制もバッチリで、
本当に最悪の時期は過ぎた感じだ。
しかし、「満ち足りている」と言っても李達夫さんも障害者手帳を持つ身だ。
歳を取っていく帰国者たちが安心して生活をしていくために
何が必要なのか、お付き合いを続ける中でキャッチしていきたい。
李達夫さんと素媛さん夫婦は傷心を抱えて日本に戻る途中だった。
貴州で日本語学校を経営していた娘さんが過労死し、葬式に出席しての帰りだった。
その日、関空に飛ぶ予定の旅客機は天候不順のため、
航行を見合わせていた。
いつ飛ぶか分からないので、二人は北京市内のホテルで一旦休憩することにした。
ホテルに着いて、手すりのない狭い階段を昇りきったと思ったそのとき、
素媛さんが落下した。
あれから2年経った。
脳挫傷、くも膜下出血等々の大怪我の後遺症は、
素媛さんが元通りの生活をすることを不可能にした。
自分で歩行することもできない。
一時は40年間連れ添ってきた連れ合いも認知できなかったが、
2年かけて少しずつ、少しずつ記憶が戻っている。
大阪に戻ったので素媛さんのお見舞いに行こうと思ったら、
素媛さんは淀川キリスト教病院に入院していた。
「誤嚥下」による肺炎併発だった。
昨日、帰国者仲間の武原さんに通訳で
付き添ってもらい、フミちゃんと一緒に淀キリに行ってきた。
二人はニコニコと迎えてくれた。
(素媛さんは怪我の前に比べ20kgも太っている。脂肪肝になっているとのこと)
李達夫さんが手紙を渡してくれた。
日本語で話ができないから、辞書を引きながら前の日に書いてくれたのだ。
了解を得て一部掲載させていただく。
-----掲載ここから
世界の中で、いろいろ困ることがあります。
今、妻の最悪の時期は過ぎました。
今から良くなります。
私の生活もきっとすばらしくなります。
いろいろ心配しない様にしています。
全てうまくいくでしょう。
これからも、妻と私はずっと苦楽を共にする仲のいい者同士です。
なるべくいい方向に考えて、妻の面倒を見て、勇気を奮い起こして全力を尽くします。
苦境にある妻を絶対見捨てない。
私は十年間ずっと日本語を勉強してきました。但しレベルはまだまだ下手です。
特に会話、口が下手だし、聴力も下手です。お恥ずかしい限りです。
どうかご了承ください。
二年間、妻の面倒を見てきて、いい勉強になりました。
今まで妻が作ってくれていた料理を、
自分がやって初めて分かることが多かったです。
妻の温情が心中深く感じられます。
また、大阪の友人たちのありがたみも知っています。
今、私は心が満ち足りています。
------掲載ここまで
李達夫さんは、結婚して以来の生活に言及し、
文化大革命で牢獄に入れられ、いつも飢えていたときに
素媛さんが貴重な食べ物を持って訪ねてくれたこと、
配給制の貧しい暮らしの中で、
10のうち、素媛さんは1つだけ、あとの9の食べ物を大柄な李さんに差し出してくれたこと、
李さんが日本に帰国すると言ったとき、一切反対せずただ頷いてついてきてくれたこと、
いつも李さんの帰りをベランダで待っていて、
ドアを開けた時に、ちょうどできたてのアツアツ餃子を出してくれたことなど、
思い出のあれこれを話してくれた。
それを聞いて素媛さんも一緒にニコニコ笑った。
今週中には退院できるそうだ。
障害者手帳(1級)も得、
ケアマネージャーさん、ヘルパーさんなどの介護体制もバッチリで、
本当に最悪の時期は過ぎた感じだ。
しかし、「満ち足りている」と言っても李達夫さんも障害者手帳を持つ身だ。
歳を取っていく帰国者たちが安心して生活をしていくために
何が必要なのか、お付き合いを続ける中でキャッチしていきたい。
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