見落としていた一年前の記事を発見した。
2014年1月21日、朝日新聞デジタルの
「(ひと)石金楷さん 中国の日本人残留孤児の支援を続け、来日する」
というものだ。
最近の朝日新聞の委縮ぶりを見るにつけ、不甲斐なくてたまらないが、
この記事を書いた石田耕一郎記者をはじめ、朝日新聞の記者たちは、
どうか、これからも歴史に中に埋もれ、忘れられようとしている
戦争の犠牲者に寄り添い、淡々と自分の信念を貫いてほしい。
ふんばれ!
―――――――――朝日新聞デジタル2014年1月21日
「(ひと)石金楷さん 中国の日本人残留孤児の支援を続け、来日する」
終戦の混乱で中国に残された日本人残留孤児の支援を中国東北地方で続けてきた。 21日、残留孤児であり、病気治療で日本に永住帰国する妻(73)に付き添い、故郷の黒竜江省ハルビン市を離れる。
生まれた時、自宅には靴の修理工だった両親が引き取った残留孤児の義兄がいた。 1986年、義兄の身元が判明して日本へ帰国したのを契機に、孤児や養父母に会いに来る日本人訪中団との連絡役を務めるようになった。
黒竜江省は孤児の数が中国で最多。 孤児認定の申請者に必要な手続きを教える一方、養父母宅を訪ね、帰国した孤児に近影を送ってきた。知り合った孤児は帰国者を含めて100人を超え、写真や形見の品を集めた中国初の常設展を一昨年、地元博物館で実現した。
友人らの評は「情に厚い」「まじめ」「不器用」。 勤務先の国有企業からリストラされ、博物館から給与を受けるまでのここ8年間は無職で、蓄えを食いつぶした。 「金がなく、周囲には胃痛を装い、ずっと昼食を抜いていた」
日本の生活になじめぬ孤児の苦悩、残された養父母の孤独、証拠不足で孤児認定されない申請者の無念さ――。 今も続く戦争の悲劇を見てきた。 「今後は日本に帰国した孤児を訪ねて資料や証言を増やし、戦後の交流史を伝えたい」
亡き母が臨終で語った「日中友好」が活動を支える原動力だ。
(文・写真 石田耕一郎)
http://www.asahi.com/articles/DA3S10935871.html
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