西井澄さんは、1936年3月25日高知県中村市川登生まれ。
澄んだ四万十川で遊んだ幼児の頃の思い出が、記憶にかすかに残っているという。
戦時中、国土拡張政策として国家が奨励した満州開拓団。
♪アムール川を北に見て大興安の東に 沃野万里の大満州 渤海の夢今何処
咲きては散りし二千年 若き血潮と夕映えに誓って立てん 大楽土 ♪
(博堅氏提供)
というプロパガンダ曲まで作られた、その満州開拓団に、
1943年5月、高知開拓団として父母、自分(当時7歳)、妹の4人家族で参加した。
旧満州吉林省舒蘭県小城子に入植してみれば、沃野万里とは程遠い貧しい山奥で、
父母の労働は過酷を極めたという。
1945年7月、父が現地召集された。母は出産7日目だったので、
9歳の西井澄さんが一人で舒蘭県の駅まで見送りに行き、
父にはその後二度と会うことはなかった。
その一か月後からの母子による生死の境をさまよう逃避行、
中国人に拾われてからの生活、雨と雪の日だけ学校へ行かせてもらえた時期、
就職、結婚、出産、育児、文化大革命……、そして個人による自主帰国。
帰国後も語りつくせない苦労を重ねてきたが、
70歳を過ぎてようやく一息ついて勉強できる環境になった。
75歳で大阪府立大手前高等学校夜間部に入学。
79歳になると同時に、今年2015年3月、卒業した。
「人生で初めて、校長先生から直に卒業証書を手渡され、
人生で初めて、仲間たちに祝賀会を開いてもらった」
と語るわれらが大先輩、西井澄さんのこれからの人生に幸多かれと心から願う。
西井澄さんは自らの体験を
4月22日(水)午後7時~、阪急淡路のアジアセンターで話される。
(主催:大阪自由大学・アジアセンター
どなたでも参加大歓迎
電話:06・6386・4575
写真は3月29日「帰国者の友」(十三 ロマネハウス2F)でのお祝いの会の様子
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