毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「中国帰国者一世の快挙:79歳の高校卒業」2015年4月1日(水)No.1122

2015-04-01 11:50:35 | 中国帰国者

 

西井澄さんは、1936年3月25日高知県中村市川登生まれ。

澄んだ四万十川で遊んだ幼児の頃の思い出が、記憶にかすかに残っているという。

戦時中、国土拡張政策として国家が奨励した満州開拓団。

♪アムール川を北に見て大興安の東に 沃野万里の大満州 渤海の夢今何処 

咲きては散りし二千年  若き血潮と夕映えに誓って立てん 大楽土 ♪

(博堅氏提供)

というプロパガンダ曲まで作られた、その満州開拓団に、

1943年5月、高知開拓団として父母、自分(当時7歳)、妹の4人家族で参加した。

旧満州吉林省舒蘭県小城子に入植してみれば、沃野万里とは程遠い貧しい山奥で、

父母の労働は過酷を極めたという。

1945年7月、父が現地召集された。母は出産7日目だったので、

9歳の西井澄さんが一人で舒蘭県の駅まで見送りに行き、

父にはその後二度と会うことはなかった。

その一か月後からの母子による生死の境をさまよう逃避行、

中国人に拾われてからの生活、雨と雪の日だけ学校へ行かせてもらえた時期、

就職、結婚、出産、育児、文化大革命……、そして個人による自主帰国。

帰国後も語りつくせない苦労を重ねてきたが、

70歳を過ぎてようやく一息ついて勉強できる環境になった。

75歳で大阪府立大手前高等学校夜間部に入学。

79歳になると同時に、今年2015年3月、卒業した。

「人生で初めて、校長先生から直に卒業証書を手渡され、

人生で初めて、仲間たちに祝賀会を開いてもらった」

と語るわれらが大先輩、西井澄さんのこれからの人生に幸多かれと心から願う。

西井澄さんは自らの体験を

4月22日(水)午後7時~、阪急淡路のアジアセンターで話される。

主催:大阪自由大学・アジアセンター 

どなたでも参加大歓迎  

電話:06・6386・4575  

メール:kansaiforum@gmail.com

写真は3月29日「帰国者の友」(十三 ロマネハウス2F)でのお祝いの会の様子

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「初めての辺野古(2)ー座... | トップ | 「沖縄は最後は実力勝負にな... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

中国帰国者」カテゴリの最新記事