昨日久しぶりに李達夫さん宅に集まった元「帰国者の友」メンバーたち。
左奥が李達夫さん。
亡くなった遅素媛さんの幼馴染の方も吉林省から駆けつけてきていました。
私たちは、李達夫さんの超長い「感謝の言葉」を聞いたり、
それぞれの健康状態やら、日本語の勉強やら、国際政治やらの
取りとめないお喋りをしながら、
懐かしい仲間との心温かい時間を過ごしました。
李達夫さんは再会の喜びを表現するため50度の白酒を一気に飲んで、
及ばずながら、私もアサヒスーパードライを
紙コップでごくごくと飲み干しました。
これは中国式の飲み会のルールなのです。
しかし、他の人は誰もそのルールに従いませんでした……。
文革期の13年間、李達夫さんは日本関係者だと言うことで、
「牛棚」と呼ばれる農場の監獄に入れられ、
「顔は地面を向きっぱなし、背中は空を向きっぱなし」
の労働生活を強いられました。
そのときに食べ物を差し入れに来てくれていた人が素媛さんで、
李達夫さんのことを「見た目も素敵だし、心も素敵な人だ」と思い、
家族の猛反対を押し切って文革後に結婚したと、
素媛さんがまだ元気だった頃におのろけを聞いたことがあります。
貧しい時代でも二人は、
子どもを産み育て、幸せな生活を送っていたそうです。
そんな時の思い出の一コマを楽しそうに語ってくれました。
「ある晩、仕事が終わって帰る道に大豆が落ちていて、
それはずっと遠くまで続いていました。
恐らく袋の閉じた口が緩んで、馬車の荷台からポロポロ落ちたのでしょう。
私たち二人は夢中になって夜中ずっとそれを拾い続け、
二袋分も集めました。
当時、大豆は金と同じ値打ちを持つもので、
決して庶民が食べられるものではありませんでした。
擂り潰したりして、大切に長い間食べました。
お酒が年に二回しか飲めなかった時代の話です。」
実はこれは、5年前に入院先に見舞いに行った時にも聞いた話です。
既に、無表情で、ほとんどの話に無反応になっていた素媛さんが、
この話を中国語で李達夫さんから聞いた時だけニコニコし、
声を立てて笑ったのを私は今でも覚えています。
下は元気だった頃の素媛さんが描いた絵です。
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