「茶にはワインの傲慢さ、コーヒーの自意識、
またココアのわざとらしい無邪気さがありません。」(文中より)
(うまいこと言うなあ)と感心したのもつかの間、
著者の圧倒的な知識の広さと深さに頭を垂れたり、
おなじく超ど迫力の歯に衣着せぬ表現に
(明治の人って個性的だったんだなあ!)と
普段、このブログで気を遣って当たり障りのない言葉遣いをしている
我が身の小ささを恥じたりしつつ読みました。
迫力に満ちた文章に接すると心がスカッとします。
岡倉天心
『The Book Of Teaー茶の本ー』は、
1906年、44歳の岡倉天心がボストンの芸術家や芸術信奉者に向けて
英語で書いた茶道紹介の小冊子です。
この本は何十カ国もの言語に翻訳されて世界に広まりましたが、
皮肉にも日本語訳は最後の方だそうです。
茶道がその由来とした中国道教や禅の精神的系譜、
そして人生と芸術の不可分性を
深く豊かな教養を駆使して分かり易く述べた名著ですが、
1900年当時の西洋と東洋、日本との関係について
物怖じしない辛辣さで喝破したり、
東洋芸術を尊重することで西洋と東洋は分かり合えるとする
その毅然とした主張に
インド、中国、ヨーロッパ、アメリカなど国際的に活躍した
一人の日本の男性の大きな姿が思い浮かんできます。
今、世界中かけまわりつつ、お金をばら撒いているのに
ちっとも尊敬を集めることのできない日本の首相と対照的です。
自然や芸術、人生に敬意を払えない人間は
他からも敬意を受けられません。
最後に文中からの引用です。
今の日本の私たちの心に《茶道》はあるや。
「日本が穏やかに平和を願う術に喜びを見出している間、
西洋人は日本を野蛮だとみなしていました。
ところが満州の戦場で大殺戮を犯し始めてから
日本は文明化したというのです。
近年、《武士道》すなわち我が国の兵隊が
自己犠牲に大きな喜びを感じるというあの《死に方》については
盛んに論じられています。
しかし、我々の《生き方》の非常に多くを示す《茶道》は
ほとんど注目されてはいません。
我々は喜んで野蛮人でい続けようと思います。
もし文明化に対する我々の主張が、
戦争という悲惨な栄光に基づいているというのであれば。
しかるべき尊敬の念が我が国の芸術と理念に払われる時がくるまで
喜んで待ちましょう。」
釣り姿の岡倉天心
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