劉さん後半のスケジュールも大詰めを迎えている。
8月1日から最終日7日までの日程はざっとこんな感じで過ぎつつある。
8/1 〈午前・午後〉NPO法人「まいどイン尼崎」(障がい者の自立支援団体)作業所見学体験
〈夜〉「まいどイン」メンバーの「劉思婷さん歓迎:流しそうめん・たこ焼き交流会」、民家1泊
8/2 〈午前・午後〉川西能勢郊外の森宅訪問交流 財大生後輩黄君と再会
8/3 〈午前〉研究資料収集保存
〈午後・夜〉尼崎園田のお祭り出店手伝い体験
8/4 〈午前〉研究資料保存
〈午後〉尼崎若者との交流
〈夜〉十三地域帰国者の友女子会参加
8/5 〈午前〉研究資料保存
〈午後〉尼崎FMラジオ出演
〈夜〉回転寿司
8/6 〈昼間〉自由
〈夜〉十三の享子宅で歓談交流
8/7 〈午後〉関空から広州へ帰国
いずれの日も、私や周囲の友人・知人・身内が、彼女に対して精一杯のもてなしとして
計画・実行してくれた(くれる)ものばかり。
非常に盛りだくさんだが、思婷さんも
「毎日、本当におもしろいです!」
と、積極的だ。
昨日の午後、地元尼崎~神戸在中の20代、30代の若者たちが、
山田さんの家に集まり、山田さんの手料理をいただきながら、
尖閣問題から食の安全まで、あれこれ聞きあい、話し合った。
集まったのは、
「やばい」(註)野菜作りを目指す人、
障害者の自立を支援するNPO法人スタッフ、
車のディーラー転じて今は農場で働く人、
塾の営業スタッフ、
半分ミュージシャン、
弁護士など、バラエティに富む顔ぶれで、
共通しているのは自分の考えを臆せず、正直に、
言葉で表現しようとする若者達だというところか。
「中国の人は謝らないって本当?」
「農薬について中国の生産者、消費者はそれぞれどんな意識をもっているの?」
「三国志で誰が一番好き?」
など、日本側?からの質問があり、そして、劉さんも
「日本の若者はどうしてそんなにボランティアが多いの?
中国とはずいぶん違うけど」
といったように、始めは両者の質疑応答風な流れだったが、
そのうち、
話題が「尖閣問題」「日中戦争」「戦争の謝罪」「ODA」などになると、
日本・中国に関係なく、話が白熱した。
「私は戦争について謝らない。だって、自分がしたことじゃないから。国家と私は関係ない」
と言いつつ、
「尖閣諸島は日本国家のものと思う。日本はもっと主張すべきだ」
という人の意見に対して、だれかが、
「遺産に正と負があったとき、正の遺産だけもらって、
負の遺産は引き受けないと言うのは無責任だ」と反論し、
何人かがなるほど、と頷いた。
日本がたいへんな額のODA援助を中国にしていることについて、
ミュージシャンは、
「GDPが世界第二位の国に、第三位の日本が何でいつまでも援助しなければならないのか。
日本の生活困窮者対策にそのお金を使うべきだという意見の人は多い。」
と問題提起をした。
その後、議論は
「周恩来首相が日本から戦争賠償金を取らない、と言ったことを日本人は忘れてはならない。
あの時、中国だってそんなにお金もなくて人民が困窮していた中で、
中国は寛大な申し出をしてくれたのだ」
「だからそのお詫びの意味で日本は巨額のODA援助を続けていた」
「しかし、それは損害賠償ではない。それはそれ、これはこれ。
政府開発援助は経済後進国への援助だ。意味をすり替えてはいけない。」
「ODAによって利を得たのは結局多くの日系企業だった。
要するに援助と言う名の経済進出だったのだ」
とまあ、かなり突っ込んだ内容になった。
それを聞いていた劉さんは、
「実は日本からのODA援助について、今、初めて知りました。
とてもショックを受けています」
と。
中国の若者がいかに特定分野の情報を受けていないか、
3年前の中国人ノーベル平和賞受賞者のこと、
1989年天安門事件のこととも合わせて、
国民がある種の情報を知ることができないということは、
いったい何を意味するのか、
それによって何がもたらされるのか、
その場にいた若者たちは少し実感できたのではないか。
劉さんは、
「国家が情報をコントロールすることの必要性は理解できる。
私自身は詳しい情報を知りたいけれども。」
と、この日の話し合いの一番初めに述べた。
交流の後、彼女の心境に変化はあっただろうか。
あってほしいと思う。
(註)「やばい」とは、最近の若者言葉で、「すばらしい」という意味で使われることがあるという。
この日の「やばい」もそうだった。
8月1日から最終日7日までの日程はざっとこんな感じで過ぎつつある。
8/1 〈午前・午後〉NPO法人「まいどイン尼崎」(障がい者の自立支援団体)作業所見学体験
〈夜〉「まいどイン」メンバーの「劉思婷さん歓迎:流しそうめん・たこ焼き交流会」、民家1泊
8/2 〈午前・午後〉川西能勢郊外の森宅訪問交流 財大生後輩黄君と再会
8/3 〈午前〉研究資料収集保存
〈午後・夜〉尼崎園田のお祭り出店手伝い体験
8/4 〈午前〉研究資料保存
〈午後〉尼崎若者との交流
〈夜〉十三地域帰国者の友女子会参加
8/5 〈午前〉研究資料保存
〈午後〉尼崎FMラジオ出演
〈夜〉回転寿司
8/6 〈昼間〉自由
〈夜〉十三の享子宅で歓談交流
8/7 〈午後〉関空から広州へ帰国
いずれの日も、私や周囲の友人・知人・身内が、彼女に対して精一杯のもてなしとして
計画・実行してくれた(くれる)ものばかり。
非常に盛りだくさんだが、思婷さんも
「毎日、本当におもしろいです!」
と、積極的だ。
昨日の午後、地元尼崎~神戸在中の20代、30代の若者たちが、
山田さんの家に集まり、山田さんの手料理をいただきながら、
尖閣問題から食の安全まで、あれこれ聞きあい、話し合った。
集まったのは、
「やばい」(註)野菜作りを目指す人、
障害者の自立を支援するNPO法人スタッフ、
車のディーラー転じて今は農場で働く人、
塾の営業スタッフ、
半分ミュージシャン、
弁護士など、バラエティに富む顔ぶれで、
共通しているのは自分の考えを臆せず、正直に、
言葉で表現しようとする若者達だというところか。
「中国の人は謝らないって本当?」
「農薬について中国の生産者、消費者はそれぞれどんな意識をもっているの?」
「三国志で誰が一番好き?」
など、日本側?からの質問があり、そして、劉さんも
「日本の若者はどうしてそんなにボランティアが多いの?
中国とはずいぶん違うけど」
といったように、始めは両者の質疑応答風な流れだったが、
そのうち、
話題が「尖閣問題」「日中戦争」「戦争の謝罪」「ODA」などになると、
日本・中国に関係なく、話が白熱した。
「私は戦争について謝らない。だって、自分がしたことじゃないから。国家と私は関係ない」
と言いつつ、
「尖閣諸島は日本国家のものと思う。日本はもっと主張すべきだ」
という人の意見に対して、だれかが、
「遺産に正と負があったとき、正の遺産だけもらって、
負の遺産は引き受けないと言うのは無責任だ」と反論し、
何人かがなるほど、と頷いた。
日本がたいへんな額のODA援助を中国にしていることについて、
ミュージシャンは、
「GDPが世界第二位の国に、第三位の日本が何でいつまでも援助しなければならないのか。
日本の生活困窮者対策にそのお金を使うべきだという意見の人は多い。」
と問題提起をした。
その後、議論は
「周恩来首相が日本から戦争賠償金を取らない、と言ったことを日本人は忘れてはならない。
あの時、中国だってそんなにお金もなくて人民が困窮していた中で、
中国は寛大な申し出をしてくれたのだ」
「だからそのお詫びの意味で日本は巨額のODA援助を続けていた」
「しかし、それは損害賠償ではない。それはそれ、これはこれ。
政府開発援助は経済後進国への援助だ。意味をすり替えてはいけない。」
「ODAによって利を得たのは結局多くの日系企業だった。
要するに援助と言う名の経済進出だったのだ」
とまあ、かなり突っ込んだ内容になった。
それを聞いていた劉さんは、
「実は日本からのODA援助について、今、初めて知りました。
とてもショックを受けています」
と。
中国の若者がいかに特定分野の情報を受けていないか、
3年前の中国人ノーベル平和賞受賞者のこと、
1989年天安門事件のこととも合わせて、
国民がある種の情報を知ることができないということは、
いったい何を意味するのか、
それによって何がもたらされるのか、
その場にいた若者たちは少し実感できたのではないか。
劉さんは、
「国家が情報をコントロールすることの必要性は理解できる。
私自身は詳しい情報を知りたいけれども。」
と、この日の話し合いの一番初めに述べた。
交流の後、彼女の心境に変化はあっただろうか。
あってほしいと思う。
(註)「やばい」とは、最近の若者言葉で、「すばらしい」という意味で使われることがあるという。
この日の「やばい」もそうだった。
色々な角度の意見を聞けるのはよいと思います。
ちなみに、びっくりなことに、友人が現在江西財経大の学生だったとのことで、一昨日財経大を訪問させていただきました。思ったより立派な大学(失礼)で驚きました。
夏の南昌は自然が豊かで美しいですね。この都市がより好きになりました。
財大にいらっしゃったのですか。今度いらっしゃるときはこのブログのメールに連絡してください。キャンパスをご案内しましょう♡