毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「“自由”のトレーナーを着る若者」No.1480

2015-10-10 15:27:39 | 中国事情

菏澤学院日本語学科3年の王天華さん。

この真正面からの言葉『自由』はどうして選んだのか尋ねると、

「自由が欲しいからです」

と答えが帰ってきました。

昼食に食堂へ急いでいる時だったのでそれ以上は引き留めて聞きませんでした。

王さんは、福建省出身。

最近アルバイトで食堂の出前を始め、授業に遅刻したりしています。

でも、授業を聞く彼の目は、熱心で好奇心にあふれています。

 

上は4年生の国慶節土産。

何人かの学生たちが、故郷の町や家の味を届けてくれました。

学生と一緒に大学食堂で昼ご飯を食べながら、それぞれの故郷の話になり、

親戚の家の近くに山の湧水が美味しいところがあるとか、

10年後はそれがどうなっているか分からないとか言うので、

「環境を改善するために習近平さんが断行している規制はいいことなんじゃない?」

となにげなく言うと、

「おかげで潰れた工場がたっくさんあります。失業者があふれて、

近所で自殺者も出ました。食べていけないので、死ぬか泥棒になるか、

どちらかしか選べない人がたくさんいます。」

と、きっとした表情になりました。

「どの政府もいつも同じです。」とも。

ハッと目が覚めた気がしました。


この国の政府は有無を言わさずに制度改正を行うことがしばしばあります。

いちいち国民の意向に耳を傾けないのです。

それでも、

丁寧な改善指導や代替措置抜きには、環境対策だろうがなんだろうが、

今のシステムの中で生活している国民は困ってしまうのです。

ある部分は見事にアベ政権にも当てはまります。

国民の意見を聞かず、ゴリ押しする政権。とてもよく似ています。

さすが一衣帯水の仲ですね。

アベ政権の理想目標はきっと中華人民共和国政府なんですね。


 

 

 

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「シナリオ付き記者会見は国際的に通用しない・・・」No.1479

2015-10-09 00:00:30 | 反戦平和

ああ、またしても石を飲まされた気がするアベ首相の国連での行動。

それを支え、押し上げる日本のマスコミ記者は、「ジャーナリスト」とは名乗らないでほしい。

「アベ首相応援団です」と正直におっしゃいなさい。

忘却の彼方に葬らないよう、以下にメモとして掲載保存させていただくのは

Everyone says I love youさんのブログです。

(写真付きなので、めちゃ、面白い)

―――http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/0ec6c20650e456696d51be8f34011006

安倍首相が国連での一般演説後「シリア難民受け入れは?」と問われ「女性の活躍、高齢者の活躍が先」(笑)

私はこの記事の最初の一行を

「これはアドリブに弱いってことなのかな(笑)。」

というセリフで始めたのですが、それがどんぴしゃりだったことが、アイ・アジア編集部によってスクープされています。

「アイ・アジアが入手した首相官邸の資料や取材に応じたアメリカ人記者の話によると、この会見では、質問者も質問内容も予め決められていたのだ。

 つまり、出来レース会見だったのである。」

「アイ・アジアが今回入手した資料は会見前に準備されていたもので、それによると、日本のメディアの記者と外国メディアの記者が交互に、5人まで質問することが決まっていた。

 極めて興味深いのは、その資料には、質問者の名前とともに、質問内容まで書かれていたことだ。」

iqktwFw6QSKoqq

(情報提供者保護のため編集部が加工)

 まさに、安倍首相の記者会見における記者の質問はシナリオが作られていて、その想定問答集の範囲内なら安倍首相は答えられるけれども、ちょっと想定外の質問が来ると全くトンチンカンなことを言ってしまうということが明らかになったわけです。

この問題は、安倍首相が悪いだけではなくて、日本の記者たちがジャーナリズム精神を全く失っていることこそが真の問題です。

いろんな争点で、私のような素人でも思いつく突っ込みを、日本での記者会見では記者たちがどうしてしないのだろうと不思議だったのですが、日本の記者会見はシナリオを演者が演じているお芝居に過ぎなかったんですね。

アイ・アジアの記事の締めくくりは以下の通り。

「NHKと共同通信の記者の質問は、総理官邸が作った資料と一字一句違わなかったという。

企業の粉飾問題などが発覚するたびに「国際的な基準に照らして問題がある」と批判する日本の新聞やテレビだが、実は自分たちの姿こそ「国際的な基準に照らして問題がある」ことを自覚すべき時ではないか。」

 想定外の質問にまともに答えられない総理大臣。

 官邸に前もって質問を出しておいて、それと一字一句同じことしか聞かないマスコミ。

 これでは、国民の知る権利に応えられるわけがない。

↑日本のテレビで見るとこんなだけど。


 

 ↑安倍首相の演説の際の会議場の様子の実際はこんな感じ。

 

↑オバマ大統領のとき。

ちなみに国連はニューヨークにあるのですが、安倍首相は米軍を助ける安保法制をせっかく作ったのにオバマ大統領に会ってもらえず。

オバマさん、ウズベキスタンやカザフスタンの大統領とも会ったのに、安倍首相は副大統領任せってそれはあんまりだ。


↑プーチン大統領のとき。

 

↑ローマ法王のとき。

 

↑安倍首相のとき。

 

↑朴韓国大統領のとき。嫌韓派悶絶ものの画像。

アメリカ大統領やローマ法王に負けるのは仕方ないけど、韓国に「集客」で負けるのは、日本の記者たちの緊張感のなさも災いしているのでは?

 

↑ただし、習近平中国国家主席のときもこんなんです。しかし、日本も全体主義国家である中国くらい人気がないようではダメです。

 

 Everyone says I love youさんの関連記事

「へい、NHK。なんで安倍首相に『帰れ!』と叫んでいる人々を映さないんだ?」グリフィスAFP通信副支局長

今話題の、なりふり構わぬ読売新聞のトンデモ誘導世論調査は、もはや世論調査ではなく世論操作だ。

憲法審査会全参考人が「安保関連法案は違憲」。しかし産経の見出しは「GHQ憲法、押しつけは歴史的事実」

時事通信記者が菅官房長官に暴言質問。沖縄は「国が見限っていい」「もうこんな連中は放っておいていい」。

 

 

記者の質問まで統制するというのはもはや全体主義に近いです。

もちろん、アイ・アジアのこのスクープを日本のマスコミは黙殺しています。

統制されて唯々諾々と従っている日本のマスメディアは、腐っているというか、死んでますね。

http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake

―――以上、全部掲載させていただきました~!(ブルーはーと)―――

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「国慶節のまとめ」No.1478

2015-10-07 22:32:55 | 中国事情

サクサクしてあっさり甘くて、本当に美味しい棗(なつめ)。

今は蜜柑、リンゴ、ブドウ、ナシ、など美味しい果物が安くて嬉しいのです。

その中でも、私が必ず買うのが、この棗とみかんです。

たっくさん買っても10元(200円)ぐらい。

給料は結局、翌月の12日~15日に支払われることが分かり、

一時はどうなることかと思いましたが、この安い果物(野菜も安い)で

1週間に100元(つまり2000円程)も使わずに生きていけます。

爽やかなビンボーライフをエンジョイしている今日この頃の私です。

(とか言って森先生が差し入れにお菓子など持ってきてくれると、

すぐに食べちゃうんですけどね)

 

国慶節休みの間に、4年生の張燕さんが「寮に誰もいないので淋しい」

と言って遊びに来ました。

そのとき、動画で、彼女の2歳の甥が、あの重い中華包丁を見事に片手で持ち、

餃子の皮作りの残り物を切る「おままごと」とはもはや言えないほどの包丁さばきを

見せてもらって、ホント、驚愕しましたよ。

中国では、2歳の子が一人で本物の包丁を使って遊んでいるのです。

そこで私は、張り合う訳じゃないですけど、

我が孫の動画をコッソリ繋いでいるフェイスブックから

ピックアップして見せてあげることにしました。

しかし、我が孫はただひたすら食べるか、寝るか、走り回るかしているのみで、

あまり建設的な遊びをしている動画を見せることはできませんでした。

今度帰ったら、包丁の特訓だ!

 

ついでに張さんに、その日の前日に東京であったデモの動画や、

8月30日だったか、自由の森学園の高校生たちが国会議事堂前で歌う

「ケサラ」を見せてあげました。

彼女は「感動・・・。こんな小さい子たちが・・・。」と絶句していました。

私はちょっと心で自慢していました。

 

休みなので、汚い宿舎のあちこちをきれいにする努力もしました。

 

初めて見た時、(こんなタイルの上でシャワーをするのか。草履穿かなきゃムリ~)

と思ったバスルームのタイルです。

 

この7日間で、だいたいのタイルのドロドロの垢はこすり落としました。

掌の皮が剥けましたよ。

下は上の写真と同じ部分です。

ジフとかないので、ありとあらゆる道具を駆使しました。

 

他にも難は数えきれないほどあります。

下の蛇口の水の出方の滅茶苦茶さ。ポリ袋を丸めてホース状にし、

水が伝って落ちるようにしましたが、こういう腹立たしい状態であることを

オフィスに証拠として付き突けるため、撮影しました。

 

洗えるものは洗いましたが、

敷き布団は無理でした。これしかないので、乾くまで他のを代用することができないのです。

裏に虫が卵を産んでいたりしています。

 

 

この布団は何十年使っているんでしょう。

布団ぐらい新しいのを用意してくれて当然だと私は思うのですが、

間違っているでしょうか。

オフィスの係官、Mr張はどうも、たいへんなしみったれのようです。

私は、彼から何としても、新しい布団を買わせる闘いを始めなければなりません。

たとえ来年すぐに日本に帰ろうとも。

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「ヒトラーを真似る為政者アベ」No.1477

2015-10-07 02:03:59 | 反戦平和

ここ山東省で学生たちと楽しく暮らしている私ですが、

刻一刻と悪化の一途を辿る日本政府の暴走に胸を痛めています。

安保法案が国会で通過した後、

国民の声が小さく萎んでいくことがアベ政権の狙いでしょう。

現実に、まだ街頭で訴え続けている人たちに

「もう通っちゃったんだからしかたないんじゃない?」と言う人もいるそうです。

これこそ、ヒトラーが『わが闘争』で書いた

「大衆の理解力は小さいが、その代わり忘却力は大きい」

の実証例でしょう。

しかし、皆さん、そこまで低く見られて、バカにされて悔しくはないですか。

 

アベ首相は安保法制の話題を隅っこに仕舞い込み、

それTPPだ、それ第2ステージだと

目先を変えてあれこれ次々と図り、

忘却大作戦を忠実に、着々と、実行しているのがよく分かります。

「週が明けたら国民は忘れているさ」

という政府閣僚の言葉は、7月の衆議院での強行採決時のことでした。

今、私たちがしなければならないこと、そして、できることは、

忘れないこと、

慣れないこと、

麻痺しないこと、

ではないでしょうか。

ひたひたと迫りくる重苦しい人権制限だらけの社会は、

そこに生きる多くの人々がそれにあがらうことで阻止できます。

死んだ鼠みたいに生きるの、やめましょうよね。

私たちは、れっきとした人間なんですから~。


*この文は昨夜、というか今朝未明、

せっかく眠い目をこすりながら書いたのに

インターネットが断絶して、保存も半分くらいしかされておらず、

あわや、マボロシになりかけたものです。

多分学生たちが寮に戻ってきたので、ネットが繋がりにくくなっているのでは?

国慶節休暇は今日まで、明日から本格的な授業が再開されます。

皆、実家に帰って太ってきたんじゃないかしら。

土産話が楽しみです

 

 


 

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「学生たち・先生方とBBQ」No.1476

2015-10-05 23:08:31 | 中国事情

↑今日、タクシーでBBQパーティーに出かけた趙王河公園内の蓮池。

 

国慶節休暇のことを中国ではゴールデンウィークと呼んでいます。

まるまる一週間も休めるのは、他には春節しかありません。

そんなに休日が続くとさぞや退屈では?とお思いでしょう。

ところがどっこい、学生たちの勉強特訓やらが毎日チョコチョコ入ったり、

今日のようにバーベキューパーティーに誘われたりで、

一日中ダラーッと過ごせる日はないんですよ。


今日は最高気温27℃の夏日。

日本語学科のほとんどの学生たちにとっては初めての戸外でのBBQです。

これをセッティングしてくださったのは、英語学科のフィリピン人の3先生方。

この間の誕生日会と言い、ほんとうに気さくで親切、陽気な方がたです。

フィリピンのお国柄でしょうか。

下右はEVE先生、真ん中英語学科の学生、左はシージェイ先生。

 

右4人は日本語学科の4年生たち。

国慶節休みもずっと寮に残っていたり、もう学校に戻って来たりした人たちです。

皆、今日は、日本語、英語という2つの外国語に囲まれて初めはかなり緊張気味でした。

 

次第にリラックスしてきたものの、あまり食べずに、大学に戻るや否や食堂に走っていった人も

いたのです。遠慮したのか、ふだんと違う味だからかな。

 

菏澤市では牡丹公園という、4月に全国的な牡丹花博が開かれる公園が有名ですが、

この趙王河公園も近年整備が進んできた大公園です。

人影はまばらです。

 

日本語学科の森先生は、私の誕生日会ではブレイクダンスを、

今日はみんなに縄跳びを勧め、自分も率先して跳ぶというスポーツ好きな青年です。

この休みは毎日、キャンパスの運動場で夜までバスケットボールをしていると、

風の噂に聞きました。

今日は私のために、

アサヒスーパードライをプレゼントしてくださるという気配りの先生です。

日本から持ってきたのでしょうか?ネットで買ったのでしょうか。

いずれにしても、ありがたや、ありがたや

シージェイ先生もトライするも、縄が短くてかなり難しいです。

 

キャンパスに戻り、すぐまた受験勉強に戻った4年生。

夕方、また第一食堂(最も古い食堂)で再会し、

一緒に晩御飯を食べた楊芬さん(左)と王康さん(右)。

昼寝をしていないので、やや疲れ気味です。

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「途中、徐州を横に見て菏澤に来た」No.1475

2015-10-05 00:42:31 | 反戦平和

8月28日に青島から車で菏澤まで8時間弱かけて到着したのですが、

途中、「済南まで○○km」の標識を目にしました。

済南近辺は父母が1946年2月まで4年間暮らしたところです。

父は兵役に服した後、この地に定住しようとしたようで、

当時の日本軍の下請け石炭会社に就職して、

妻を娶るため一時帰国し、それに引っかかった母が日本国内から

朝鮮半島、中国東北地方(当時は満州帝国)を経て、中国山東省まで、

長い長い時間、汽車に乗ってやってきました。

それが1941年か1942年です。

(とうとう来た。70年前に両親がいたところに)と思うと心拍数が上がりました。

気候が北海道に似ていて、二人とも助かっただろうと思います。

 

さらに菏澤に向けて自動車は進み、

今度は「徐州○○km」の文字が目に飛び込んできました。

「徐州 徐州と人馬は進む」のあの徐州です。

戦争の時代と戦地が一気に皮膚感覚に近づいた気がしました。

よその国に侵略しておきながら手前勝手な和平提案をし、

戦局が日本軍に優勢になると、過酷な条件や賠償金などを加重していくという、

中国側にとっては屈辱以外の何物でもない「和平交渉」は、

1937年11月から、あの南京大虐殺を経て、翌年1月まで続きました。

それでも、講和内容の詳細にについての照会という手段で粘る国民党政府に対し、

「爾後、国民党政府を対手とせず」(1938年1月16日)と一方的に交渉を打ち切り、

いつ果てるとも知れぬ、歯止めなき戦争に突き進んでいったのが、

近衛文麿内閣です。

近衛内閣は翌々日の1938年1月18日、

「爾後国民政府を対手とせずと云うのは同政府の否認よりも強いものである。……

今 回は国際法上新例を開いて国民政府を否認すると共に之を抹殺せんとするのである。

……宣戦 布告もありえぬわけである」

という補足声明を出しました。

これを読むと、どれほど当時の日本政府が思い上がっていたかがよく分かります。

 

徐州会戦はこのような状況のもと、

1937年12月から1938年6月にかけて日本軍が行った作戦です。

今私がいる菏澤にも下の地図では第16師団が5月14日に来ています。

 

第16師団の酒井支隊、5/14と書いてあるところです。

 

 

下は黄河氾濫地域を渡る中国軍。

黄河の氾濫で日本軍の侵攻をストップさせたのだそうです。

 

 中国の人たちが、戦争のことを忘れられないのは、今も生活しているこの場所で、

自分の身うちが、知人が、あの戦争で酷い目に遭っているからです。

日本では、自分の生活している街や村が、攻め込まれたことがありません。

ただ沖縄を除いて。

だから、戦争のことを、まるで江戸時代の出来事のように思えるのです。

 

それでも徐州は、今、こんな都市になっているそうです。

    

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「山東省臨沂市管内の農家」No.1474

2015-10-03 23:53:24 | 中国事情

昨日、祖父と両親の待つ臨沂市管内の家に帰った滕坤さんから写真が届きました。

数年前には中国の農村でインターネットを使うなど、ほとんどできなかったと記憶しています。

文字通り、日進月歩の中国社会を見た思いです。

「臨沂市は中国国内で7番目に人口が多い都市です」と、

ある臨沂市出身の学生が言っていたので、

念のため調べてみたところ、

1位:上海、2位:北京、3位:天津、4位:武漢、5位:広州、6位:瀋陽、

7位重慶、8位南京、9位哈爾浜、10位西安、11位成都、12位長春・・・

(http://www2m.biglobe.ne.jp/ZenTech/china/Population.htm)

なんやねん、臨沂市なんかちっとも出てこないやんか。

山東省では15位済南、17位青島、22位淄博(しはく)、44位烟台という順位でした。

自分の故郷が最高だと思うことはよくありますが、

客観的な数字までちがえるのは、思い込みも過ぎるというものです。

(滕さんが言ったのではありません、念のため)。

 

以下は滕坤さんの家の周りだそうです。

↓トウモロコシを干しているのですね。


滕さんの家には動物がたくさんいます。

ポーパルズ(肉球)の仲間です。

 

哲学的風情の犬。


痩せ型の鶏の子ども。右端にお母さん鶏も。


作物の落花生。山東省ではどこでも作っているそうです。

私が大好きなへちま。

南瓜。中国の南瓜は日本のとは微妙に味が異なります。


りんご、じゃない、ザクロですね。

ひまわりの種はおやつに。


最後に、これはかまどなんでしょうかね。鉄板を熱して何かを焼くのかなあ。

付記:

臨沂市の滕坤さんから早速ブログへの解説メールが送られてきました。

そっかあ、山東省は煎餅(と言っても日本のとは全く違う)で有名ですからね!

『あのう、鉄鍋は煎餅を作るものです。小麦粉と水と酵母を混ぜて、鉄鍋を加熱して、そして混ぜたものを鉄鍋の上にして、紙のように薄い煎餅を作ります。ただし、人によって厚さが違います。‐滕坤 10月4日』

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「強い風吹く国慶節の日」No.1473

2015-10-02 18:54:15 | 中国事情

                     

きれいな花が咲いたかのような草叢。

昨日10月1日のキャンパスは朝から強い風が吹いていました。

道路脇にも吹き溜まりが延々と続いています。


その前夜は陽気なフィリピン人3人、アメリカ人1人、日本人2人の顔ぶれで、

つまり、外国人教師の皆さんが、私の誕生日を祝うために気を遣って、

ダウンタウンのはずれのカクテルバーへと繰り出したのです。

英語学科の学生が手引きをしてくれて、

グランド・オープニング前だからとか、全員タダでした。(^_^;)

菏澤に来て初めての、本物のチーズが使われたピッツア、パスタ、コーヒー豆も本物、

テキーラ・サンライズというカクテル・・・、完璧にウエスタンスタイルの店でした。

一か月前に上海から来たばかりという若い中国人店長が流暢な英語で仕切っていました。

上海や北京では当たり前の光景でしょうが、ここ「山東省のチベット」では想像だにしていなかったのです。

歌あり、お喋りあり、モリ先生のブレイクダンス風あり、

とても楽しい夜でした。

でも、お喋りの中でフィリピン人の先生から、

「第二次世界大戦の影響で、フィリピンには今でも日本語がずいぶん残っている」

と聞き、(ああ、ここでもまた…)と頭を垂れる一幕もあったのです。

 

ま、そういうわけで翌朝は寝坊し、10時に4年生の教室でスピーチ特訓をする約束があったので、

9時半過ぎに急いで宿舎を出ました。

途中、強風のためコンタクトレンズの目には致命的なゴミがいくつも入り、

泣きながら教室に向かったのです。


違う種類の木の葉も大量に歩道に落ちていました。


どんどん落ちてくるのに、一生懸命掃いて集めているスタッフ。

皆、中高年の人たちです。

この方は朝鮮族だそうです。

 


国慶節の旅行でしょうか、帰省でしょうか。

人通りも疎らなキャンパスですが、今から出かけるという学生たちもいます。

 

4年生の滕坤さんは、来週末の授業で、自己紹介スピーチをします。

そのため、臨沂市管内の家に帰る日を一日ずらしたのです。

閑散としたキャンパスに残り、独り教室で発音・アクセントの練習をしている彼女を見て、

目頭が熱くなるのを感じましたが、ここはオニ教師の私です!

さんざん特訓をして、あっという間にお昼になりました。


新しくできた第三食堂でも、国慶節のためメニューは数種類だけ。

迷わずワンタン(馄饨huntun)を選びました。5元。

うーむ、うまい!!

 

滕さんと私が食べている隣りは、老師らしいお父さんと5歳ぐらいの男の子が座っていて、

男の子は食べ終わり、なんとウルトラマンを何個も出して遊び始めました。

「怪獣がいないとウルトラマンも出てこないよ。お父さん、怪獣やって!」

お父さんは、蛸入道の怪獣でウルトラマンに闘いを挑みますが、すぐにやられてしまいます。


滕坤さんは高校生の時、弟と一緒にテレビでウルトラマンを観ていて、本当に面白かったそうです。

「高校生でウルトラマン?!NARUTOとかワン・ピースじゃないの?」

と聞くと、彼女の家はテレビが小さく白黒で、ほとんど何も見られず、

高校になって新しくて大きいテレビを買ったので、何でも面白く観られたとのこと。


今朝、滕坤さんは臨沂管内にある農家の実家に帰りました。

認知症のお祖父さんがいるので、どうしても帰ってあげたい、と。

トウモロコシ、豆などを作っている両親は朝から晩まで畑仕事で忙しく、

もと共産党員のお祖父さんは、なぜか途中で年金を打ち切られて一元ももらえなくなり、

今はその事実も知らないで、いつも歌を歌い、子どもの状態で暮らしているそうです。



下は滕坤さんが猫じゃらし(エノコログサ)で作ったうさぎ。

お母さんから教わったそうです。

きっと、お母さんも小さい頃、こうして遊んでいたのでしょう。

アカザ、エノコロ草、クローバーなど、日本と共通した野草がたくさんあります。

昔は地続きだったのですから当たり前ですね。

草花も、国境は関係ありません。

バラはまだまだ咲いています。


キャンパスの中には果物の木もたくさんあります。

これは食べられますが、シブいらしい。


↓ 桑の木。滕坤さんは故郷で口が紫色になるまで毎日、おやつに食べたそうです。

北海道にも桑の木はあり、私も子どもの頃は同様に紫色の口でした。

 

二人でキャンパスを歩いていると、どこからかカタツムリが飛んできました。

誰かのいたずらかと思いきや、木の幹にくっついていたのが、強風に負けて飛ばされたのでした。

 

休みは7日まで続きます。

キャンパスの散歩だけでも、毎日十分楽しめそうです。

 

 

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「軍人学校出身の若者にランチを奢ってもらった」No.1472

2015-10-01 00:23:55 | 中国事情

国慶節前日の今日、

午前の授業後に4年生たちと学食に昼ごはんを食べに行こうとしたら、

4年と同室の後輩から電話があり、

ボーイフレンドが菏澤に来てみんなにご馳走してくれるとのこと。

「いやあ、悪いわねえ」

「でも彼氏はもう働いていて、お金持ちだから」

などと言いつつ、お言葉に甘えてご馳走してもらうことにしました。

私はただ一緒にいただけで、その恩恵に浴したのでございます。

キャンパスから数分歩いたところに青年路という名前の通りがあり、

お店はその道端にあります。

注文をして少し待っていると、食堂の奥に特別の客室があると

店の人が勧めてくれ、私たちは当然そちらに引っ越しました。

その部屋の外は、大きい菜園でした。

農村出身の楊芬さん、滕坤さんは、

「あれが豆で、向こうは胡瓜、トウモロコシもあります」

と、日本語で名前を全部教えてくれました。

私は作物の名前が言える人が大好きです。

 

後輩(1年生)のボーイフレンドがはるばる煙台から10時間近くかけて到着しました。

⇓食堂のスペシャルルームに入ってきた2人をすかさずデジカメで写しました。

元軍人学校生と誰が思えるでしょうか。たいへんな優男でしたよ。

二人は高校入試のとき知り合って、4年間つき合っているそうです。

高校2年から彼が軍人学校に入った後は、ずっと遠距離恋愛でした。

「普通は高校ぐらいで別れるのに、よく4年間も仲良くやって来れたね」

と言うと、ボーイフレンド君が、

「ぼくがおとなしいから」とにっこり笑って答えました。

⇓久しぶりに会って、嬉しくてたまらないのを隠そうともしない2人。

 

さあ、地元の味付けの料理が続々と出されてきました。

キクラゲと卵の炒め物、巨大な炒め魚、鶏肉と山東省の揚げパン、

大学いも、胡瓜とベーコンの和え物、スライス揚げ豆腐とピーマンなどの炒め物です。

どれも、本当に美味しい味付けでした。

だいたい、どの食堂に入っても似たり寄ったりの味で、

私はどこで何を食べるかなど、全く執着しないのですが、

このお店には是非また来たいと思いましたよ。

 

「先生、鶏肉どうぞ」と勧められて取ったのが、なんと鶏の頭でした。

揚げパンと一緒にパチリ。

 

この巨大魚の美味しいことといったらありません。

たいがい食べた後で、「これは黄河の魚です」と教えられ、

たいへん感激しました。

黄河は何と菏澤の北のはずれにも流れているそうなんです。

この辺の魚はほとんど黄河で取った魚ばかりですと。

身のしまった味は格別で、私は目の玉までしっかりいただきました。

 

明日から国慶節です。

軍人の学校に行った彼は、2年間で

「実社会で役に立つ勉強ではない」と見切りをつけ、

今は煙台の民間会社で働いているそうです。

1年生の後輩は、明日一緒に煙台のボーイフレンドの父母のところに行き、

挨拶するとのこと。

これは中国でも(私たちは結婚を前提にお付き合いしています)という

意思表示なんですって。

「彼女はすぐにでも結婚したいと思っています」と通訳する4年生たちには、

とんとそんな気配はありません。

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