きれいな花が咲いたかのような草叢。
昨日10月1日のキャンパスは朝から強い風が吹いていました。
道路脇にも吹き溜まりが延々と続いています。
その前夜は陽気なフィリピン人3人、アメリカ人1人、日本人2人の顔ぶれで、
つまり、外国人教師の皆さんが、私の誕生日を祝うために気を遣って、
ダウンタウンのはずれのカクテルバーへと繰り出したのです。
英語学科の学生が手引きをしてくれて、
グランド・オープニング前だからとか、全員タダでした。(^_^;)
菏澤に来て初めての、本物のチーズが使われたピッツア、パスタ、コーヒー豆も本物、
テキーラ・サンライズというカクテル・・・、完璧にウエスタンスタイルの店でした。
一か月前に上海から来たばかりという若い中国人店長が流暢な英語で仕切っていました。
上海や北京では当たり前の光景でしょうが、ここ「山東省のチベット」では想像だにしていなかったのです。
歌あり、お喋りあり、モリ先生のブレイクダンス風あり、
とても楽しい夜でした。
でも、お喋りの中でフィリピン人の先生から、
「第二次世界大戦の影響で、フィリピンには今でも日本語がずいぶん残っている」
と聞き、(ああ、ここでもまた…)と頭を垂れる一幕もあったのです。
ま、そういうわけで翌朝は寝坊し、10時に4年生の教室でスピーチ特訓をする約束があったので、
9時半過ぎに急いで宿舎を出ました。
途中、強風のためコンタクトレンズの目には致命的なゴミがいくつも入り、
泣きながら教室に向かったのです。
違う種類の木の葉も大量に歩道に落ちていました。
どんどん落ちてくるのに、一生懸命掃いて集めているスタッフ。
皆、中高年の人たちです。
この方は朝鮮族だそうです。
国慶節の旅行でしょうか、帰省でしょうか。
人通りも疎らなキャンパスですが、今から出かけるという学生たちもいます。
4年生の滕坤さんは、来週末の授業で、自己紹介スピーチをします。
そのため、臨沂市管内の家に帰る日を一日ずらしたのです。
閑散としたキャンパスに残り、独り教室で発音・アクセントの練習をしている彼女を見て、
目頭が熱くなるのを感じましたが、ここはオニ教師の私です!
さんざん特訓をして、あっという間にお昼になりました。
新しくできた第三食堂でも、国慶節のためメニューは数種類だけ。
迷わずワンタン(馄饨huntun)を選びました。5元。
うーむ、うまい!!
滕さんと私が食べている隣りは、老師らしいお父さんと5歳ぐらいの男の子が座っていて、
男の子は食べ終わり、なんとウルトラマンを何個も出して遊び始めました。
「怪獣がいないとウルトラマンも出てこないよ。お父さん、怪獣やって!」
お父さんは、蛸入道の怪獣でウルトラマンに闘いを挑みますが、すぐにやられてしまいます。
滕坤さんは高校生の時、弟と一緒にテレビでウルトラマンを観ていて、本当に面白かったそうです。
「高校生でウルトラマン?!NARUTOとかワン・ピースじゃないの?」
と聞くと、彼女の家はテレビが小さく白黒で、ほとんど何も見られず、
高校になって新しくて大きいテレビを買ったので、何でも面白く観られたとのこと。
今朝、滕坤さんは臨沂管内にある農家の実家に帰りました。
認知症のお祖父さんがいるので、どうしても帰ってあげたい、と。
トウモロコシ、豆などを作っている両親は朝から晩まで畑仕事で忙しく、
もと共産党員のお祖父さんは、なぜか途中で年金を打ち切られて一元ももらえなくなり、
今はその事実も知らないで、いつも歌を歌い、子どもの状態で暮らしているそうです。
下は滕坤さんが猫じゃらし(エノコログサ)で作ったうさぎ。
お母さんから教わったそうです。
きっと、お母さんも小さい頃、こうして遊んでいたのでしょう。
アカザ、エノコロ草、クローバーなど、日本と共通した野草がたくさんあります。
昔は地続きだったのですから当たり前ですね。
草花も、国境は関係ありません。
バラはまだまだ咲いています。
キャンパスの中には果物の木もたくさんあります。
これは食べられますが、シブいらしい。
↓ 桑の木。滕坤さんは故郷で口が紫色になるまで毎日、おやつに食べたそうです。
北海道にも桑の木はあり、私も子どもの頃は同様に紫色の口でした。
二人でキャンパスを歩いていると、どこからかカタツムリが飛んできました。
誰かのいたずらかと思いきや、木の幹にくっついていたのが、強風に負けて飛ばされたのでした。
休みは7日まで続きます。
キャンパスの散歩だけでも、毎日十分楽しめそうです。