毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「この一ヶ月間、いただき物でリッチな暮らし」No.2715

2018-10-15 22:00:07 | 亜細亜

 

9月は中秋節と誕生日があって、卒業生や在校生から

たくさんの贈り物をいただきました。

恐縮です。

↑このキウイは卒業生の王康さんが

誕生日のお祝いに大量に送ってくれたもので、

一つ、また一つと柔らかくなり、

自分では滅多に買わないキウイを一年分満喫しました。

キウイとリンゴのヨーグルト和え、美味しかったです!


↓まだ固いのは窓際で温めています(笑)。

写真の左端は淹れた後のコーヒーの粉です。

今学期は初めて、

日本からインスタントじゃないコーヒー粉を持参しました。

8年半前中国に来た時はほとんど誰も

たとえインスタントコーヒーでも飲んでいませんでした。

そんな中で、日本からコーヒー豆を挽いて持ってくるのは

ひけらかしのような気がしたのです。

地元で売っているものを飲むことに徹していたのですが、

近年、学生層を中心に急速にコーヒーを飲む人が増えてきました。

ペーパーフィルターでコーヒーを淹れても、

もはやそんなに贅沢ではありません。

 

↓この月餅はもう3週間前のもらい物です。

中国では「中秋節には月餅を食べる」と決まっているそうで、

うっかりしていたと言うより、

(いちいち決まりに合わせて食べる必要もないわ)と、

横着な態度でいたところ、コンコンとドアを叩いて韋彤さんが

こんなにたくさん持って来てくれましたよ!

チョコレート味とか斬新な味の月餅があり、たいへん美味しゅうございました。


なんだか申し訳ないほどいろんな贈り物。

↓これは2年生の皆さんからの誕生日プレゼントです。

この観葉植物の名前は何でしたかね?

今も新しい蕾が膨らんできて、毎日楽しみです。

 

さて、最後は今日のもらい物です。

お母様からだと言って李海鵬先生がわざわざ宿舎まで持って来て下さいました

 

↓手作りマントウ。茶色いのは小麦粉じゃない何かの粉を混ぜたのだそうです。

お昼に一つ、スライスして焼き、チーズを載せていただきました

江西省など南方のマントウに比べ、

山東省のは中身が詰まって噛みごたえがあり、私はこちらのが好きです。

↓菏澤市郊外の農村のもぎたて柿。完全無農薬ですって!

こちらの柿は固い時は全部渋柿なので、今は我慢して

べチャべチャに柔らかくなるのを待ちます。

私は固めで渋くないのが食べたいんですけど……。

↓中国の伝統的な長い南瓜でなく、このタイプのが最近急激に出回ってきました。

こっちの南瓜の方がそりゃあ美味しいんですよ~~~!

下さった皆さん、本当にありがとうございました!

とても心温まるゴージャスなひと時を過ごす事ができました/できます。

    謝謝~!!

 

 

 

 

 

 

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「ストレスに耐えた一ヶ月」No.2714

2018-10-14 17:50:28 | 教育

↑今日、山東省聊城市駅前にひっそりと一輪咲いていた薔薇。


和歌山県・山東省共催「泰山杯」スピーチコンテストで、

日本語学部2年生の趙祖琛さんが一等賞をもらいました。

本当に感謝しても、し切れません。

なぜそんなにありがたいか、それには理由があります。


この一ヶ月半の練習期間に、

趙さんは夜、ろくに眠れなくなった時期がありました。

授業中にボーッとしているので(どうしたのかな?)と思い、

放課後の練習時に根掘り葉掘り聞いたところ、

「実は、スピーチコンテストのことが気になって毎晩眠れないんです。

高校一年から何かあるたびにそうなります。神経衰弱なので……。」

「こんな身体を持っている自分は死んだほうがましだ、

ともう一人の自分が毎晩囁きます。」

「N2試験の得点が177点ぐらいで喜んだけど、

この頭がもし正常だったら1年生でN1ぐらい合格できたはずです。」

とションボリ答えるのです。

私は、ストレスに押し潰されることの怖さを改めて実感しました。

確かに、趙さんのスピーチ原稿の中には

「高校時代、鬱病になった」とありましたが、

私は勝手に(それは過去のことでもう完治したもの)と

決め付けていたのです。

しかし、深い傷を負った心は何かの拍子にまた簡単に傷口が開くのだと、

今回、趙さんが教えてくれました。


「趙さんは中学校時代、どうしてそんなに一生懸命勉強したの?」

と聞くと、

「貧しい両親にせめて息子の成績がいいことを

誇りに思ってもらえるように……。」

と答えた趙さんは、

鬱病で不登校になった自分が情けなくて、

部屋の壁に頭を打ちつけるなど自傷行為も繰り返しました。

お母さんはそれまで外で働いていましたが、

趙さんの傍につきそうために仕事を止めました。

お母さんもお父さんも、

愛する一人息子のことをどんなに心配したことでしょう。

誰も悪くないのに、こんなことになってしまうなんて。


眠れない日々が続いた時、私は趙さんに

「そんなに苦しいなら辞退しようか?スピーチコンテストなんか

たいしたもんじゃないよ。何より命が一番大事だよ。」

と提案しました。

でも、趙さんが「せっかくここまで練習したので続けます。」

と健気に言うので、私たちは練習を続けて

本番を迎えることになったのです。

趙さんが眠れないと思うと、

ストレスが伝染して私も夜眠れなくなりました。

スピーチコンテストへの取り組みは、

スピーチ技術の向上も然ることながら、

一人の少年がストレスや得体の知れないプレッシャーと戦い、

それを克服する過程ともなりました。

それだけに、この賞は趙さんが体力・精神力の総力を挙げて

がんばったことへの最大のねぎらいであり、

新たな生気の注入になったと思うのです

(ああ、思えば去年の韋彤さんもそうだったなあ……)。

 

下は趙祖琛さんが即席スピーチ用に

あれこれテーマを考えて書いたうちの一つです。

ーーー忘れられない日本人の先生の教えーーー

「適度なストレスはいいけど、

ストレスに押し潰されるほど、がんばらなくてもいいんだよ。」

それは今回のスピーチコンテストの練習をしている途中、

日本人の先生が私に言った言葉です。

「がんばらなくてもいい」

・・・・・・私がそれまで考えたこともない言葉でした。


私は内気な性格で先生に積極的に近づけず、

高校ではいくら成績が良くても先生方の目には留まりませんでした。

(自分の存在を認めてもらいたい!)

でも、指名もされない私は、次第に、

自分は価値のない人間だと感じるようになってしまいました。

それも原因の一つで、私は鬱病になり、成績も下がりました。

心底疲れている私に先生方が言う言葉は、

「もっと頑張ろう!もっと頑張ろう!受験日までもう少ししかない!」

……それだけでした。


今回、スピーチを指導してくれた日本人の先生は、始めに

「私たちは二人で1つのチームです。一緒にがんばろうね。」

と言いました。

でも途中、ストレスでクタクタになった私に

先生が言った言葉は、

「命を削るまでがんばる必要はないよ。

もし本当に無理なら辞退してもいいんだよ。」

・・・・・・実は、その時私は諦めたかったんですが、

私を理解してくれた先生に応えるためにも、

続けることを選びました。


これはコンテストだけではなく、人生についても言えます。

勝ったり、負けたり、笑ったり、泣いたりすることこそ人生です。

一生笑い続ける人などいません。

自分がすべきことを(ああ、精いっぱいやれた!)と思えたら、

それでもう十分です。

「ストレスに押し潰されるな!

泣いたり、笑ったりしながら、人生を楽しもう!」

日本人の先生の教えです。

 ↑今日、故郷聊城市を離れて、菏澤に戻る趙祖琛さん。何を思っているのでしょう。







 

 

 

 

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「和歌山県・山東省共催スピーチコンテスト、一位になっちゃった!」No.2713

2018-10-13 21:26:07 | 中日(日中)交流

↑昨日、菏澤学院から菏澤駅に向かうタクシーの中の趙祖琛さん。

↓開会を宣言する会場校(聊城大学)日本語学科の学生たち。

なんとまあ、一位になってしまいましたよ~。

一位と言っても中国のランク付けは、

トップが特賞、次が一位なのですけど、

他大学20校の3年生の先輩方を差し置いて

こんなに上位の賞をいただけるとは、

本当に、本当に、ありがたいことです。

趙祖琛さんのスピーチは次のようなものでした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(課題テーマ)「未来の自分に伝えたいこと」

           菏澤学院日本語学部  趙 祖琛

「特別優秀クラスの第二位」・・・・・・高校入学時の私の成績です。

奇跡のようなその成績に、両親も私も大喜びしました。

しかし、その輝かしい成績こそ、私にとって大きな呪縛になったのです。

(何としてもこの成績を維持しなければ!)

クラスの全員が競争相手に見えた私は、

(一人で頑張るしかない。他人は私と関係ない)と、

自分の周りに厚い壁を築きました。

先生にさえ質問せず、全部自分で完璧にしようと、

朝五時から夜十二時まで必死に勉強しました。

ご飯を食べていても味も分からず、

寝ている時すら楽になれません。

そんなに頑張った一年間でしたが、成績はぱっとせず、

医師に「鬱病」と診断されました。

最後は、不登校になりました。

家族や周りの人はこんな私にとまどうばかりで、

「もう少し頑張ればスランプを脱出できるよ。頑張って。」

(私はそんな言葉がほしいんじゃないのに!)

……しかし、自分も自分の無力が許せません。

かと言って死ぬ勇気もありません。

受験地獄は、中国の多くの高校生の心を簡単につぶしかねません。

睡眠時間を削る過重な課題、頻繁に実施される試験。

生徒の価値はただ成績だけで、友達は自分を蹴落とすライバルです。

 

そんな気持ちを引きずって大学に入った私は

(高校の時の失敗だけは繰り返すまい)と自分に言い聞かせました。

そんな時です、同じクラブのある女の子から

「付き合ってください」と言われたのは。

精一杯勇気を振り絞っての言葉だと、見てすぐわかりました。

全身、緊張しながら、私に手を差し伸べている彼女の姿が、

私と他人を隔てる壁に小さな穴を開けました。

付き合い始めた私たちは、一緒にリンゴをかじりながらお喋りしたり、

好きな観葉植物を飽きずに見たり・・・・・・。

こんな普通のことが、私の心の氷を、ゆっくり、溶かしていきました。

そうなると全てが変わってきて、今ではクラスのみんなに、

「趙さん、前よりずっと話しやすくなったよ!」

と言われています。

 

一年の終わりに、私は日本語能力試験N2を受けることにしました。

とても高いハードルですが、大切な人に、

自分の努力している姿を見てもらいたかったんです。

精一杯頑張る中で、どんどん日本語が好きになり、試験結果は177点。

努力が成果に繋がりました。

彼女がいたから、私は安心して頑張れました。

私が学んだ大切なことは

「一人では何もできない。生きていくことでさえ……。」

ということです。

 

受験勉強で凍りついた私の心は、他人(ひと)の力を借りて解放されました。

これまでの悲しみや苦しみは、これから私を、

より大きな世界へと羽ばたかせる力になる、

そうしなければならない、と思います。

今、未来の自分に伝えたい。

「さあ、今度は、お前が勇気を振り絞れ!

悲しみを抱えて苦しむ、一人ぼっちの誰かのために。」と。




 

 

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「中日平和友好条約締結40周年記念『泰山杯スピーチコンテスト』出場のため聊城に」No.2712

2018-10-12 23:59:13 | 中日(日中)交流

午前の2年生の授業の時、

趙祖琛さんはクラスメートの前で最後の発表練習をし、

クラスメートから心からの励ましの言葉を受けました。

最後はZARDの「負けないで」をみんなで歌って壮行会っぽく・・・と

演出したのですがまだ覚えていなくて、それでも

「♪ 負けないで もう少し 最後まで走り抜けて

どんなに離れてても 心は傍にいるわ

追いかけて 遥かな夢を~

の大切な部分だけはかろうじて歌えました。

趙祖琛さんのこの1ヶ月間のがんばりと上達を目の当たりにしてきた

2年生たちにとっても、いい刺激になったはずです。

 

さて、午後、李先生、趙さん、私の3人は菏澤駅に向かいました。

今日はそんなに込んでいないとのこと。

しかし、私から見れば十分に込み合っています。

列車に乗って1時間ちょっと、

後はタクシーで4時半には聊城大学に着きました。

郊外にある広々とした大学です。

 

 

驚いたのが大学キャンパス内の招待所。

大学が管理するホテルみたいなものなのですが、

私が案内された5階の部屋の窓から外を見ると……。

菏澤学園は完全に負けました(笑)。


明日に備えて、夕食後軽く2時間ほど練習し、

今夜はぐっすり眠れるように

李海鵬先生が薬局で買ってくれた漢方の安眠補助薬、

発音をクリアにするための慢性鼻炎の漢方薬、

さらに風邪の漢方薬と、

薬嫌いの趙さんが今夜は3種類も飲んで

今頃ベッドで休んでいることでしょう。

緊張やストレスとの闘い、克服が

趙さんのスピーチ大会参加の大きな課題です。

どうぞ、練習で培ってきた力を十分に発揮できますように……。

ということで、お休みなさ~い。

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「山東省・和歌山県共催スピーチコンテストに行く前夜、嬉しい知らせ」No.2711

2018-10-11 22:51:30 | 中日(日中)交流

明日の午後、李海鵬先生、2年の趙祖琛さんと私は

菏澤から列車で1時間ぐらいのところにある聊城(りょうじょう)市に向かいます。

日中平和友好条約締結40周年を記念して開催される

山東省・和歌山県共催の日本語スピーチコンテストに出場するためです。

ここ一ヶ月程は趙祖琛さんと二人で、

日曜を除く毎日の放課後をその練習に費やしてきました。

ああ、もっと時間をかけて熟成すれば、

拍も発音もアクセントも、イントネーションも、プロミネンスも

ブラッシュ・アップできるのですが、もはやここまで。

あとは本人が練習でつけてきた力の全てを発揮できることを

祈るのみです。

練習の課程にはドラマがあったのですが、

それはコンテストが終わってからのご報告にします。

それより、今晩ネット情報をチェックしていたら、

「中国人の日本に対する印象の改善は進み、日本の印象を「良い」とする人は昨年から11ポイント増加して42.2%となり、2005年の調査開始以降で最も高い数値となった。」

というニュースが目に飛び込んできました。

データは後ほどきちんと目を通すつもりですが、

とりあえず、中日友好の背中を押されたような

嬉しい気持ちになったので、

明日は足取りも軽く3人で菏澤よりちょっと北に位置する、

たいして観光スポットもないと趙さんが言う聊城に行って参ります。

(実は、趙祖琛さんの出身地です)。


「第14回日中共同世論調査」結果

「議論の力」で強い民主主義をつくり出す特定非営利活動法人 言論NPO

http://www.genron-npo.net/world/archives/7053.html

  中国人の日本に対する印象の改善は進み、日本の印象を「良い」とする人は昨年から11ポイント増加して42.2%となり、2005年の調査開始以降で最も高い数値となった。これに対して、「良くない」が11ポイント減少し、56.1%にまで下がっている。

 日本人の中国に対する印象はわずかに改善しているが、中国に「良くない」印象を持っている人は86.3%と依然9割近く、対照的な状況となっている。中国に「良い」印象を持っている人は13.1%にすぎない。

 相手国に対する印象の理由

日本人が中国に「良い」印象を持つ理由で最も多いのは、「観光客の増加や民間交流により中国人の存在が身近になっているから」だが、昨年からは15ポイント減少している。昨年からの増加が目立ったのは、「中国は国際社会で世界の大国として行動し始めたから」で10.4%から25.2%に増加している。

 中国人が日本に「良い」印象を持つ理由は、「日本は経済発展を遂げ、国民の生活水準も高いから」が51.6%で最も多い回答となった。昨年最も多かった「日本人は礼儀があり、マナーを重んじ、民度が高いから」は61.8%から49.2%に減少したが、依然半数近くがそれを選んでいる。「日本は自然が風光明媚で温泉等の観光地が多いから」も45.3%と根強い。ただ、「日本製品の質が高いから」は44%で昨年の53.5%から減少、「日本の技術は先進的だから」も25%と、昨年の44.9%を大きく下回るなど日本の技術力の高さを好印象の理由とする回答は減少傾向にある。

 一方、日本人が中国に「良くない」印象を持つ最も大きな理由は、「尖閣諸島周辺の侵犯」の58.6%である。これに次ぐのは「国際的なルールと異なる行動をするから」の48%で昨年を8ポイントも上回っている。このほか、昨年を上回ったのは「中国の大国的な行動が強引で違和感を覚えるから」の36.6%(昨年34.4%)、「軍事力の増強や不透明さが目に付くから」の33.5%(昨年30.4%)である。

 中国人が日本に「良くない」印象を持つ理由は、その多くが昨年より減少している。「歴史をきちんと謝罪し反省していないから」で5割を超え最も多い回答となったが、昨年からは13ポイント減少した。これまで上位にあった「尖閣諸島の国有化」や「日本が米国その他の国と連携して中国を包囲しようとしているから」を理由として挙げる人もそれぞれ12~13ポイント減少している。 

1-2.png

 

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「アベ首相県民葬欠席、代理の菅官房長官は・・・・・・」No.2709

2018-10-10 23:38:10 | 日本事情

「沖縄県民の気持ちに寄り添いながら、

 沖縄の振興発展に全力を尽くす」

昨日9日の沖縄県民葬に出席した菅官房長官が、

アベ首相の弔辞を代読しましたが、

どの面下げて言えるかという文句が次々と。

「沖縄の過重な基地負担を早く軽減して!」

という沖縄県民の気持ちは、

国政選挙でも知事選でも、何度も何度も明確に示されてきました。

その民意に寄り添うなら、

辺野古新基地建設はただちに中止するのが当たり前です。

アベと言い、スガと言い、

今の自民党政権のリーダーほど、

庶民の意思を踏みにじり、

嘘、言い逃れ、すり替えで、日本語を信頼出来ない空事にしている

政治家たちは過去にいたでしょうか。

私は知りません。

ところで、このスガ官房長官の息子は大成建設の重役だそうです。

沖縄辺野古利権、国立競技場利権、リニア利権、除染利権、原発利権・・・・・・。

身内の私腹を肥やすために国民の命を削る悪代官、

それが菅義偉官房長官であります。

沖縄県民は菅にとって金儲けのための生け贄です。

それを思うと、故人を偲ぶしめやかな県民葬が暫時怒号に包まれたのも

無理からぬことではないでしょうか。

 

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「翁長前知事の県民葬満席で場外数千人が列 参列した菅長官に怒声」No.2709

2018-10-09 21:40:04 | 報道

今日の朝日新聞デジタルの記事に動画がついていて、

菅官房長官の名前が呼ばれるや、

すぐに「嘘つき!」の声があちこちから上がっていました。

当然ですよね。

翁長さん亡き後、

「翁長さんとは二人でよく沖縄のことを話し合っていたんですよ」

とぬけぬけとありもしないことを言った菅官房長官は、

翁長知事が就任後何度も東京まで足を運んだにも拘らず

4ヶ月以上も門前払いを続け、対話を拒んだアベ政権の大番頭です。

辺野古や高江に全国から機動隊員を投入して、

反対する人々を力づくで排除し、

沖縄への補助金を一方的に削減し続けてきた悪代官であり、

翁長さんはこの政府と命を削って対峙し続けてきました。


この間の知事選では翁長さんの後継者のデニーさんと対決した

佐喜真候補の選挙対策に深く関わり、

「携帯電話料金の4割削減」という出来もしない嘘の公約をし、

数日前は「辺野古基地と米軍グアム移転はセットだ」と

ま~たまた、でたらめを臆面もなく撒き散らかしている、

国民を騙すためには流れる水のように

口から出まかせが言える男です。

私もその場に居たら我慢できずに、

「この大嘘つきの人殺し野郎!」

と罵倒したでしょう。


動画付き記事を載せてくれた朝日新聞デジタルには

感謝します。

日本国内の報道はこの県民葬をちゃんと国民に伝えたでしょうか。

琉球新報と沖縄タイムス、そしてこの朝日新聞デジタルは

確認しました。

こういうことこそテレビは報道しないと駄目ですよねえ。

 ↓このサイトで動画も見られます。

https://digital.asahi.com/articles/ASLB954KZLB9TIPE01Z.html

翁長前知事の県民葬に3千人 参列した菅長官に怒声

 8月に急逝した沖縄県の翁長雄志(おながたけし)前知事の県民葬が9日、出身地で市長も務めた那覇市で営まれた。県民や菅義偉官房長官、衆参両院議長ら計約3千人が参列し、任期途中での死を悼んだ。基地問題で対立を続けた菅氏のあいさつに対しては参列者から「帰れ」などと怒声が上がった。

 県民葬は県や県議会などの主催で、昨年7月の大田昌秀元知事以来4人目。会場の県立武道館の2400席は埋まり、入りきれなかった人たちは、館外に置かれたモニターを見守った。

 翁長氏の後継として9月の知事選で初当選した玉城デニー知事(58)は「県民が自ら持ってきたわけではない『基地』を挟んで『経済』か『平和』かと、常に厳しい二者択一を迫られてきた沖縄の現状に終止符を打とうとした。我々県民は遺志を引き継いで、子どもたちに平和で豊かな誇りある沖縄を託せるよう、一丸となって努力し続けることを誓う」と弔辞を述べた。

一方、米軍普天間飛行場宜野湾市)の名護市辺野古への移設をめぐり、対立が続いた菅氏は安倍晋三首相のあいさつを代読し「基地負担軽減へ一つ一つ確実に結果を出していく」と述べた。途中から「うそつき」「帰れ」など参列者から数十秒にわたって怒りの声が上がり、退場の際にも罵声が飛んだ。

 友人代表としてあいさつした会社経営者の呉屋守将(もりまさ)氏は「これ以上の米軍基地負担は百害あって一利なしと考え、命をも投げ出す覚悟だった。県民はしっかり思いを受け止め歩んでいく」と功績をたたえた。

 式典終了後、生前の翁長氏の様子をまとめた15分間の映像が流され、政府に抗議した場面などでは拍手が起こった。

 その後、玉城知事は県庁で、宮腰光寛沖縄北方相と初会談した。国政野党6党・会派の国会対策委員長らとも面談し、今後の連携を確認した。(山下龍一)

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「突然、飾り立てられた大学構内」No.2708

2018-10-09 01:31:34 | 亜細亜

昨日、外国語系第7ビルの4Fにある日本語研究室に行く途中、

壁にいろいろなものを描いている人がいました。

 

なんとまあ、諸外国からバラバラにピックアップされた建築物たち。

なんぼ外国語系だからと言って、小学生じゃないんだから

もうちょっと違う発想が欲しかったですね。

「外国学院はあなた様を歓迎いたします」とあったので、

スピーチ練習に来た趙祖琛さんに尋ねると、

「今週、山東省の教育省か教育局の偉い人が検査に来るので、

その人を指しています」とのこと

なるほろ~、突然の飾り立てはそのためだったのか~。

いつ行っても汚れている4Fトイレの手洗い場は、

仕方がないので私がときどき洗剤持参で洗っていたのですが、

今日に限って奇跡的にピカピカでしたよ!

分かります、これはエッフェル塔ですね。

第7ビル入り口にも急に

「この大学の学生たちは一生懸命勉強しま~す」

みたいなスローガンがあちこちに刻印されました

いや、いいですよ、これが日常的だったら。

でも、検査の役人対策だけですから、

まもなくこの張りぼてがペラペラと剥がれ落ちることは必須です

 いっつもこうなんですよ、この大学は。 

可哀そうなのはこの南天の木たち。

数日前は上のように、路上にはみ出さんばかりに伸びていたのですが、

今夕、薄闇の中帰る途中に私が見たのは、

ズバズバ枝をちょん切られた哀れな南天たちです。

一枝だけ拾って宿舎に持って帰りました。

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「基地は国民をレイプし国民を殺す犯罪の温床。どこが『国民を守るための基地』やねん!?」No.2707

2018-10-07 12:47:45 | 我が心の沖縄

米軍の本拠地アメリカで、バナーを掲げて

玉城デニー沖縄県知事の当選を祝う平和活動家の皆さん。

「平和をめざす退役軍人の会」の旗が空にはためいています。

Shizu Takasuさんのフェイスブック投稿写真よりお借りしました。

この間まで政府の扇動の目玉は、

「北朝鮮がわが国にミサイルを打って来る。

「だから軍備拡張、軍事基地が必要だ」でした。

しかし、南北会談や朝米会談による平和外交の努力が進展するや

今度は「中国に攻めてこられたらたいへんだ」

とネトウヨを使って騒いでいます。

自民党にバイトで雇われたネトサポだかネトウヨだかが、

先日、久しぶりに私のブログに来て、コメント欄に

「米軍基地が無くなったら中国が攻めてくる」

「そうなったら日本はアウシュビッツやチベットのようになってしまう」

と書き込んでいました。

私はこのネトウヨの人たちに、

「妄想にうつつを抜かしている暇があったら、

今、アメリカ軍に支配されている沖縄で、

レイプや殺人が横行している地獄の現実をちゃんと見なさい!」

と言いたいです。

基地の中に逃げ込まれたら、日本の法律で裁くことも出来ない

治外法権の屈辱的な日本国の状況をなぜスルーするのでしょう。

「愛国者」なら、これこそ許せないことじゃないんですか。

ネトウヨ・ネトサポは、

本当に日本や日本国民のことを思ってなんかいない、

ただ、バイトでアベの宣伝隊を務めているだけでしょう。

やっていいバイトと悪いバイトがあります。

ネトウヨ・サポさん、もうそろそろアベの宣伝隊はお止めなさい。

画像に含まれている可能性があるもの:1人、テキスト

↑日刊ゲンダイ 2018/10/06

 

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「樹木希林さんのナレーション『人生フルーツ/ 積存時間的生活 / 人生水果』」No.2706

2018-10-06 23:48:12 | 映画

 

 昨年8月の夏休みに十三の第七芸術劇場で観た『人生フルーツ』、

はつみさんがコメントで思い出させてくれました(笑)。

You Tubeで (あら、中国語字幕の『人生フルーツ』がある!)と

以前から認識はしていたのですが、

日々、時間を追い、時間に追われて、

「時をためる」暮らしからは程遠い生活でした。

国慶節休暇もあと一日となった今日、

沖縄県知事選で玉城デニーさんが当選したお祝いに

自分の時間を、少しだけ豊かに過ごそうと思い立ち、

懐かしい樹木希林さんのナレーションで

久しぶりに鑑賞することを思い立ちました。

日本は三連休ですね。

少し、のんびりできる方、

樹木希林さんの心に沁みるナレーションで

『人生フルーツ』を楽しんでは如何でしょう。

  “風が吹けば 枯葉が落ちる

  枯葉が落ちれば 土が肥える

  土が肥えたら 果実が実る

  こつこつ ゆっくり ・・・・・・”

【日本纪录片】人生果实/ 人生フルーツ/ 積存時間的生活 / 人生水果 / Life Is Fruity【2017年】

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「勝ったのは沖縄の真心の美しさ:三上智恵の沖縄撮影日誌」No.2705

2018-10-05 23:12:06 | 我が心の沖縄
沖縄の声はみんな命がけの気迫で伝わってきます。
今日は、沖縄読谷村在住の三上智恵監督
(作品「標的の村」「戦場ぬ止みい」「沖縄スパイ戦史」など)
の見つめた今回の沖縄県知事選挙です。

勝ったのはウチナー(沖縄)の肝美らさ(真心の美しさ)~デニー知事誕生~(三上智恵)

三上智恵の沖縄撮影日誌

〈本文最後部分より引用〉

沖縄本島中部で育った「母子家庭でハーフ」の心優しい少年が、

ロックを愛し、ラジオの顔になり、市場のおばちゃんたちのアイドルになって、

沖縄の伝統芸能に親しみ、

国会議員になっても「デニー!」と下の名前で呼ばれ、

街頭演説でも街宣車の上に登らなかった。

全国の知事の平均像からすればかなり毛色の変わった知事が誕生した。

しかし、たぶん政府はまだその意味を過小評価しているだろう。

翁長さんの後継者ならだれでも当選できたという選挙ではなかった。

これだけ踏みつけられた人々だからこそ推す人間、

沖縄からしか出てこない逸材。

それが玉城デニーという知事なのだと思う。 

 2018沖縄県知事選

それはいつまでも見ていたいカチャーシーだった。

 当選確実の報道が、歓声と拍手を呼び会場を揺るがした。三線をかき鳴らす音が聞こえるや否や、天を仰いでいた玉城デニー候補がおもむろに両手を挙げて前に進み出た。大きく体を反らし、拳をくねらせ、慣れた手つきで右へ、左へ。愛想笑いもなく、調子を合わせているのでもなく、自分の内面に押し込めた感情を見つめ、感激と感謝と大事な人への溢れる想いを徐々に開放していくような、空を見つめる琉舞の所作にも似た、玄人はだしの「舞い」だった

長年人気タレントとしてテレビ・イベント・舞台でも活躍し、沖縄の芸能にも造詣が深いデニーさんの個性が光る瞬間。そしてこの柔らかな物腰で、「辺野古基地建設反対」にもう一度県民の想いを結集させ、過去最多の39万という票を集めたその底力に、あらためて目を見張った場面だった。
 
 大型で非常に強い台風24号は投票前々日から投票日の朝まで沖縄で荒れ狂った。25万戸が停電するという近年なかった被害を出し、とても期日前投票どころではなかった。これはどちらにとって吉と出るか凶と出るか、様々な憶測が飛んだ。読めない選挙になってしまった。辺野古を抱える名護市もほとんど停電から復旧していなかったが、文子おばあの仲間たちは、ある名護市議の事務所に自家発電機を入れ、みんなでテレビを見守るということになり、信号も街灯も消えている道を文子おばあと共に事務所に向けて走った。

 投票箱が閉まると同時に様々な情報が飛び交う。沖縄県内の放送局はどこも当確を出していない段階から、「長野のテレビで当確を打った」だの、「北海道の友人からお祝いのメッセージが来た」だの、情報は錯綜した。なんせ停電でパソコンは不自由だし、またアンテナも倒れているせいか受信状況も悪く、開票の夜はえらく情報過疎だった。おばあはそれらの情報に一喜一憂しない。「ぬか喜びはしたくない」と口を一文字にして、テレビ画面を食い入るように見ていた。

 「相手候補の方は菅とか、小泉の息子さんとか、あれだけ政府丸抱えで札束で顔を叩いて。うちなーんちゅはこんなのに屈してはいけないんだよ。くれるものは、こっちが頼んでもないのにくれるというならもらえばいい。でもね、心まで渡すことはないの。そこが心配」

 文子おばあは車の中でずっと「沖縄県民の弱さ」を憂いていた。ここまで来て辺野古を容認するリーダーを選んでしまえば、政府の好きなようにされる。どんな島を子や孫に手渡していくのか。憤懣やる方ない様子だ。ふるまわれた牛汁にもおにぎりにも手は付けない。食欲はない。あるはずがない。

 文子おばあは4年前からキャンプ・シュワブのゲート前の座り込みに通い、建築資材を積んだトラックの前に立ちはだかって「私を轢いてから通って行け。それができるか?」と啖呵を切ってきた。体力の限り、連日座り込みに参加した。

4年前に翁長知事が当選した時には「生きてきてよかった」と、初めて自分の人生を肯定する言葉を発した文子さんのことをずっと見つめてきた。あの日の歓喜と、翁長知事を先頭に政府の強硬姿勢に抵抗した日々と、ついに完成してしまった護岸と、知事の死去。

激動の4年間を経て、今日、この期に及んでまた彼女を打ちのめすような結果が出たら、そんなシーンは正視できない。撮影する自信もない。89歳、4年後の知事選など見えない、待てない。私の胸は何度もぎゅっと苦しくなる。

 一分一秒が長く、息が詰まる時間が過ぎていく。そして時計が午後9時半を回るころ、NHKが当確を出した。デニーさんのいる会場は全員が立ち上がり歓喜の声に埋め尽くされた。ほぼ同時に名護市の事務所も大騒ぎ。指笛とカチャーシー。たぶん、ここだけではなく、県内無数の現場で同時にカチャーシーが踊られていたことは疑いがない。しかも大差だ。8万票もの圧倒的な支持の差が歴然となったのだ。

 「うちなーんちゅは、肝心(ちむぐくる)は売らなかった」

 「勝ったのは、うちなーの肝美らさ(ちむじゅらさ)。負けたのは沖縄を見くびった政府」

 「うちなーんちゅ、うしぇーてぃないびらんどー」沖縄県民を舐めるな。見くびるな。子や孫のために命がけでこの島を守りましょう。今も聞こえる翁長知事の声が、沖縄県民の心をちゃんとつかんでいた。

徐々に伸びる護岸がぐるりと海を囲み、閉じられた時にはもう、抵抗しても無理なのでは? と心が折れそうになった県民も多かっただろう。それでも、ここで折れたら翁長さんの踏ん張りはどうなる? 子供たちに胸が張れるか? そう自問した大人たちがたくさんいたのだ。これはすごいことだ。

 動画の中で久志に住む女性も言及しているが、今回すさまじかった企業や宗教団体の動員を目の当たりにして、これは勝ち目がないという声があちこちで上がっていた。しかし、この得票は、動員された人々の中に、かなりの数が「誘導されている候補者ではない人物」の名前を書いていることを示している。所属している社会のしがらみが手足を絡めとろうとも、心までは渡さなかった。この間の日本政府の手法に対し、明らかに拒否感を持った県民が増殖したということだ。「飴と鞭」で手なずけられると高をくくったようなその態度こそ県民の気持ちを遠ざけたのだ。

 大勝利だ。とはいえ、デニー知事の行く手は険しい。沖縄県は法に則って仲井真元知事の埋め立て承認を撤回したわけだが、政府は県を許さないだろう。また裁判で県の撤回を無効化する手段に出て、工事の再開を目論むだろう。それこそ三権分立をないがしろにして行政と司法が結託し、さらには立法機関までも歩調を合わせかねない危機的な状況が迫っている。でも、かつて恩納村の都市型訓練施設の建設を巡って村を挙げて戦った男性はこういった。

 「これから三権が一丸となって沖縄に暴力的に襲い掛かってくるでしょう。それは想定している。しかしそれには屈しない。今日のこの結果が、自信と勇気をくれた。沖縄の闘いは、県民一人ひとりが主人公なんです。今日勝ったのは玉城デニーさん。だけど私たち県民一人ひとりの勝利なんです」

 踏みつければ踏みつける程に強くなっていく民草。「弾圧は抵抗を呼ぶ。抵抗は友を呼ぶ」といった瀬長亀次郎さんの言葉通り、沖縄を丸ごと屈服させることが可能であるかのような幻想を持っている政治家は、いつか必ず自分の見識の浅さを恥じる日が来るだろう。

 選挙後、Twitterで「沖縄を在日米軍と自衛隊で総攻撃です。日本中央政府は武力をもって沖縄地方を再占領」「この再占領計画で亡くなった人は玉城デニーとデニーを選んだ人間を恨んでください」などの書き込みがあり、「デニーの暗殺」などの暴力的なものもあったが、Twitter社への通報が殺到。ヘイトを投稿したアカウントは次々に削除されている。Twitter社もデマや暴力的発言の規制を強めており、今回の選挙戦で飛び交った悪質な発言の数々は、選挙後驚くほど速くネット上から消えていった。悪化の一途をたどるかに見えたインターネットの誹謗中傷の流れにも、一定の歯止めがかかった感がある。そのレベルに迎合して人気を得ようとしている節がある安倍政権の戦略にも翳りが見えてきたようだ。

 「自立と共生、そして多様性。それを県政運営の柱としたい」とデニーさんはいう。

 誰一人として置いてけぼりにしない政治。アメリカ人の父の顔も知らず、伊江島出身の母と、育ての母と、二人の母のもとで裕福ではないながらも人に感謝しながら生きることを身に付けたというデニーさんの人柄は、優しく、明るく、誰に対しても丁寧で細やかだ。そして弱い者に対する目線が人並外れて優しいのは、ラジオを聞いていた多くの人がよく知るところだ。沖縄のアイデンティティーの規定の仕方も、ユニーク。誰も排除しない、お互いを尊重して共に生きる沖縄の肝心(ちむぐくる)こそ沖縄のアイデンティティーだという。血筋や生まれた場所や宗教や立場や、そういうものに寄り掛からないのだとする枠組みは、私には新鮮だった。かつての沖縄のリーダーたちとはまた違った、大きな包容力を持った知事が誕生したことの意味は、実は大きいのかもしれない。

 ホッと胸をなでおろした文子おばあは言う。

 「うちなーんちゅは心をひとつにしたんだから、もう政府には踏みつけにされないだろうと私は思っている」

 選挙で民意を示したのだから、政府は無下にはしないだろう、なんて。今まで何度民意を示しては踏みにじられたか。それを報道してきた私は人一倍恨みを覚えておく仕事なので、とてもそんなセリフは言えない。この期に及んで政府の良識を信じるなんて。

 しかし、実はこれこそが民主主義の原点でもある。民を信じるということは、民が選んだリーダーも信じるということだ。沖縄の叫びを聞き取った国民の皆さんが、「よし、沖縄が声を合わせてそう言ってるんだから、別の政策を考える人を選ぼう」と思ってくれるだろう。そうなれば政府は変わらざるを得ないだろう。そう動いていく未来を信じるということだ。

 私はすぐ、政府を信じられないと言ってしまうが、おばあは、もう踏みつけにされないと期待している。誰に? その他大勢の、日本国民に対して、だ。今度こそ届くと信じているのだ。だから、私は伝える仕事でおばあの想いをお手伝いすることをやめられない。全国の人たちを信じて、毎日座り込んでいる人たちのことを伝えないといけない。伝わってないからこの悲劇が続くのだから、知ってもらうために頑張るしかない。

 そして、また強い味方が現れた。翁長さん亡き後、今度は10年も国会議員として政治家の手腕を磨いてきた玉城デニー知事が、政府に強力に沖縄の声を届けてくれるだろう。おじい、おばあたちの苦労も、ヘリや部品が落ちてくる空におびえる子どもたちの不安も、それを守れない大人たちの悔しさも。

 沖縄本島中部で育った「母子家庭でハーフ」の心優しい少年が、ロックを愛し、ラジオの顔になり、市場のおばちゃんたちのアイドルになって、沖縄の伝統芸能に親しみ、国会議員になっても「デニー!」と下の名前で呼ばれ、街頭演説でも街宣車の上に登らなかった。全国の知事の平均像からすればかなり毛色の変わった知事が誕生した。しかし、たぶん政府はまだその意味を過小評価しているだろう。翁長さんの後継者ならだれでも当選できたという選挙ではなかった。これだけ踏みつけられた人々だからこそ推す人間、沖縄からしか出てこない逸材。それが玉城デニーという知事なのだと思う。

 https://maga9.jp/181003-8/ 三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日誌

第84回:勝ったのはうちなー(沖縄)の肝美らさ(真心の美しさ)~デニー知事誕生 三上 智恵  

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「国慶節休暇はやっぱりカレーパーティー」No.2704

2018-10-05 01:00:53 | 中国事情

一週間(10月1日~7日)休みの国慶節の中間日とあって、

一日ぐらいはスピーチ特訓も休憩し、

我が宿舎でカレー昼食会をすることにしました。

ほとんどの学生が帰省や旅行で出払っている中、

4年生の残留組5人と2年の趙さん&彼のガールフレンド魏さん、

そして、お馴染みの菏澤学院卒業生の楊芬さんが

鬘(かつら)会社で働いていた時の先輩劉さんとともに来てくれました。

劉さんは、その会社の社長が悪い人なので(楊芬さんの通訳)、

もっとお金を得るために今、独立して鬘の国際ビジネスを始め、

広州の国際交易会にしょっちゅうサンプルを持って出かけているそうです。

料理はメインディッシュの昨晩仕込んだ椎茸たっぷりチキンカレーですが、

それ以外にも、

趙さん・韋彤さんと私が流れ作業で作ったトンカツや、

ハムに火を通すのを料理超初心者の趙さんに、

その指導を魏さんにしてもらったハムサラダ、

4年の女性たちが作ってくれた海老ソースをベースにした卵とじなど

お昼ごはんとしては十分豪華絢爛の献立でした(自画自賛)。

 

↓今日、何といってもみんなの羨望の目が注がれていたのはこのカップルです。

日本語学部2年の趙さんは、1年生の時から

日本語愛好者協会(大学が作った官製クラブ)を背負って立っていましたが、

(だって隔年募集にしたため1学年上のクラスがないのです

彼が孤軍奮闘しているのを見初めた英語学部の魏さんが、

「付き合ってください」と申し込んだのだそうです。

このいきさつを趙祖琛さんはスピーチのメインエピソードに選びました。

今は、いや~、愛は人を救うんですね~、とだけ言っておきましょう(笑)。

 

↓山査子(サンザシ)の砂糖漬けです。

果物の酸味が砂糖に包まれてとても調和のとれた美味しいおやつです。

(実は、今日初めて食べたんですけど)。

山査子には抜群の美容効果、不老長寿の薬効があると聞いて、

明日、さっそくキャンパスのスーパーに買いに行こうと決めた私です

 

↓日本で文旦と言われている柚子は、

中秋節には月になぞらえて食卓を飾るなど、今の季節には欠かせません。

日本の文旦と比べてかなり特大サイズですが、

4年生の女性たちは一人で一個全部食べるそうです。

確かにサッパリとした絶妙な味です。

右の観葉植物は2年生全員から誕生日にプレゼントされました。

ここではサツマイモしか育てた経験がない私ですが、

お蔭様で久しぶりに緑が傍にある日常が過ごせます。

↓娘がくれた日本国憲法カレンダーはリビングに。

日本国憲法一覧表は書斎の壁に。

 

 ↓外では近所の親子がバドミントンをしていました。

中国のお父さん方はと~っても子煩悩ですよ!

空に映えて美しいモクゲンジ。

 実を拾ってきました。

 種は数珠の材料だそうです。これからさらに黒くなるんだったかな。

 

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「玉城デニー知事誕生に関わってニューヨークタイムズが意見記事」No.2703

2018-10-03 19:28:12 | 我が心の沖縄

玉城デニー新知事が誕生した翌朝の10月1日に、

アメリカのニューヨークタイムズ紙が

「沖縄への米軍駐留の負担軽減に向けて」

(Toward a Smaller American Footprint on Okinawa)

という論説を載せました。

8月に行った辺野古で知り合ったHideko Otakeさん(ニューヨーク在住)が

その日本語訳をフェイスブックに載せていたので

紹介させてもらいます。

「日米政府は沖縄への負担を減らすための解決案を探るべきだ」という主張です。

GOOD!

【ニューヨークタイムズの論説・玉城デニーさん当選の翌朝】

辺野古ごり押しをやめて沖縄の負担を再考しろとNYタイムズ!10月1日付

Toward a Smaller American Footprint on Okinawa

「沖縄への米軍駐留の負担軽減に向けて」をざざっと訳してみました。
ーーーーーーーーーー
長年にわたり日本は、沖縄の人々に、密集した都市部にある米海兵隊の基地に変わる大規模な新基地を海辺に建設することに合意させようとして、さまざまな試みをしている。

日本政府はアメもムチも使ってきた。

沖縄本島へのディズニー・リゾート建設を支援するというのがアメだとしたら、基地への現地の抵抗を訴訟で却下しようとするムチも使い、新基地に好意的な候補者たちを中央政府の地位を利用して支援した。

にもかかわらず、沖縄県民は何度も繰り返し、新基地は欲しくないと応えてきた。県民は、米軍の分担をすでに過重に背負わされていると考えているのだ。

9月30日の県知事選での玉城デニーの当選は、このメッセージをとりわけ明確に伝えている。

沖縄でのその他のほとんどの選挙がそうだったように、県知事選は(その全てではないにしても)、少なくともその一部に米軍基地へのレファレンダム〈住民投票〉の意味を持っていた。

玉城氏は反基地連合を代表し、基地容認の対立候補は、日本の政権政党自由民主党の強力な支援を受けていた。

この県民の選択で特に注目すべきことは、58歳の玉城氏が、日本人の母親と、氏の生誕前に沖縄を去った米海兵隊員の父との間に生まれた息子だということだ。

安倍晋三首相に今、突き付けられている決断は、このまま突進を続け、日本の最高裁に新基地阻止に向けて玉城氏が投げかけてくるあらゆる法的な異議を却下するか、ずっと以前にすべきだったこと、即ち、沖縄の言い分には正当性があることを認め、米国の安全保障の傘の分担の苦痛が和らぐ方法を探るか、なのだ。

大半の日本人は、米国との同盟を支持している。中国が当地域で力づくの脅しをかけている今はなおさらだ。

問題は、日本で最も貧しい沖縄県に、極度に不釣り合いな負担が押し付けられていることだ。

第2次大戦の終結前の数か月間、血塗られた闘いの場とされた沖縄に、現在、在日米軍5万人の半数が駐留し、33の米軍施設が置かれている。

施設と部隊の集中によって、騒音、汚染、死者を出す事故、犯罪事件が生まれている。その最たるものが、1995年に起きた12歳の少女のレイプ事件だった。

この事件を受けて、日米両国は宜野湾市の密集した中心にある大きな海兵隊基地を、密集度が少ない地域に移し、部隊の一部をグアムとハワイに移転することで合意した。

だが、これまでに何ひとつ動いていない。現地の抵抗で新基地の建設は阻止されている。抵抗の理由には、比較的自然のままに保たれてきた辺野古湾に滑走路を建設することでもたらされる環境破壊もあげられている。

米軍は、沖縄の物流、空と陸の勢力を日本の別の場所に分散させることは東シナ海での迅速な対応能力を低下させるという。

だが、これによって日本と地域にもたらされる安全保障を、日本で最も貧しい地域の市民たちに、望みもしない不公平で危険な犠牲を押し付けることによって得るわけにはいかない。

安倍首相と米軍の司令官たちは、県民と変わらぬ意欲を持って公正な解決案を探るべきだ。 

The Japanese island’s new governor wants American forces to leave. It’s time for Washington and Tokyo to find a compromise.
 
〈ふろく〉
10月1日アメリカのワシントンポスト(左カラー)、ニューヨークタイムズ(右モノクロ)
日本のアベ首相のアメリカ訪問もこんなに大きく扱われないとのこと。
 
画像に含まれている可能性があるもの:4人、、スマイル 
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「創価学会員が玉城デニーさん支援:三色旗に込めた思い」No.2702

2018-10-03 02:19:11 | 我が心の沖縄

沖縄県知事選で玉城デニーさんが街頭演説に行く先々に「追っかけ」し、

創価学会のシンボルである三色旗を掲げて

心からデニーさんを支援した創価学会員の方がいました。

以前は辺野古移設反対だった公明党が

佐喜真候補と政策協定を結び、

自民党の言いなりになっていることに憤りを感じた

浦添市の野原善正さんです。

沖縄琉球放送が野原さんの特集を組んでいました。

野原さんが組織の方針にただただ従うのではなく、

自分で考え、判断し、平和を希求して行動されていることに

心から敬意を表します。

↓     ↓     ↓    

RBC NEWS「県知事選 三色旗に込めた思い」2018/10/02

 

もう一つ、二見伸明元公明党副委員長の現公明党批判。

 ↓      ↓      ↓

「沖縄県知事選で“信念”曲げた創価学会に元公明党副委員長が吠えた!」https://www.youtube.com/watch?v=oGMvi-mny54

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「国慶節の特訓」No.2701

2018-10-02 23:01:27 | 中国事情

キャンパスのモクゲンジの実が色づいてくると、

(ああ、今年も秋が来た)としみじみ思います。

モクゲンジの実はこんな感じ。

モクゲンジの実 写真

去年の国慶節はのんびりしていた気がするんですが、

今年は10月13日に

「中日平和友好条約締結40周年記念」

山東省スピーチコンテストがあるというので、

この休み中は毎日、出場者の趙祖琛さんの特訓です。↓

ちなみに昨年2017年11月15日には、

「中日国交正常化45周年記念」スピーチコンテストで

本校の韋彤さんが誰一人予想だにしなかった優勝を果たし、

そのご褒美で大会共催者の和歌山県に招待されるというドラマがありました。

しかし、スピーチ大会出場資格は2年と3年だけなので

今回、4年生は応募できません。

この大学の日本語学部は2年前、

隔年募集にするとか言って新入生を募集しなかったので、

現3年生は存在しません。

(その割に今年は募集したのです。非常にちゃらんぽらんな大学です)。

そういうわけで2年生の趙祖琛さんが出ることになりました。

他の大学は恐らく3年生ばかりが出場します。

「2年生なんだから出場できるだけでもラッキーと思って、

気楽にやろうね。入賞しようとか考えないで。」

と言うのですが、根が真面目すぎるほど真面目な趙さんは、

(2年生は3年生より未熟なんだから、3年生の2倍頑張らなければ!)

とか思うタイプで、ストレスを溜めながら努力を続けています。

「辛かったら出場を辞退しましょうか?

無理しなくてもいいですよ。」

と私が言っても、

「ここまで頑張ってきたんだから、出場します!」と。

今回の獲得目標は、

この大会出場をきっかけに、発音・アクセント、表現のレベルアップや、

中日関係について考える機会にするというものです。

中日友好条約が締結された1978年は、

鄧小平による改革開放経済政策がスタートした年です。

それから40年間の中日関係の変遷も、

彼には遠い過去の歴史のような感覚かも知れません。

ちょうどいいので、

二人でちょっと前の歴史発掘の旅に出ようと思います。


↓日本語学部研究室で練習に励む趙祖琛さん。

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