毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「新型コロナウイルスとの闘い:今私たちはどこにいるのか、循環器学会学術集会記念対談」No.3922

2020-07-13 22:51:19 | 日本事情

もう、コロナのために辛抱我慢するのもイヤになったと

思っている人も多いでしょうし、

政府は政府で、感染者がまた増えてきているのに

「GO TOキャンペーン」と銘打ち、

さあ、みんな出かけろ消費しろと、

経済優先を政策の前面に押し出しています。

政府がこういうことをするということは、

コロナウイルスは全体的に終息に向かっているのでしょうか。

 

2月からずっとコロナ対策会議の一員として頑張ってこられた

北海道大学大学院教授の西浦博さんは、

なんと!

「コロナとの闘いは、野球で言えば2回戦表の攻撃を受けているところ」

と指摘しています。

まだそんななんですね~。

第84回日本循環器学会学術集会での

西浦さんと山中伸弥さん(京都大学大学院教授)との対談で、

日本の、そして世界のコロナウイルス疫病の現状は

どんな状態なのか、

今までのデータを分析整理し、効果的な方策を

全力で探していらっしゃる専門家の方々のお話を聞くと、

政府の信用できない発表ばかり聞いてきた私は、

ようやく本当の事を知り得た気になって、

それだけでも落ち着きました。

コロナウイルス災害は、間違いなく

人類にとって21世紀最大級の試練ですね。

#GoToキャンペーンを中止してください

 

ためになる動画です。

 ↓   ↓   ↓

本編 第84回日本循環器学会学術集会 記念対談「新型コロナウイルスの流行における意思決定 〜未曾有の状況下でどう考え、どう判断すべきか〜」

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「おばあちゃんの体験談」No.3921

2020-07-12 21:14:13 | 反戦平和

拙ブログによくコメントを寄せてくださる「こきおばさん」様は

70代でブログを始め、

毎日のご家族との暮らしや体験を綴っていらっしゃる

80代の山梨県在住の女性です。

ご自身も幼少の頃、戦中・戦後を満州で過ごし、

塗炭の苦しみを舐めつつ帰国された方ですが、

長年お付き合いをされてきたご友人(田草川恒子様)が

地元の会で話された体験談を

ブログに収録されていらっしゃったので、

ご本人のご了承を得てここに紹介させていただきます。

私は中国に行く前の五年間、

大阪にある「近畿中国帰国者支援交流センター」というところで

中国から帰国された残留孤児・婦人やそのご家族に

日本語を教えていました。

それがきっかけで中国に行ってみようという気になったのです。

そして、私の両親は山東省からの引揚者です。

日本軍がさっさと日本に帰った後、翌年まで中国に残され、

苦労して天津から佐世保港に着いた後、

汽車に乗って延々本州を北上し、

空腹を抱えながら北海道を横断して故郷の斜里に辿り着きました。

斜里駅から二人の地元の村まで荷物を背負って二里ほど歩き、

へとへとに疲れているはずの母が、

自分の実家があと数百メートルという時、体が自然に走り出して、

父母やきょうだいが住む家の玄関で、万感の思いを込めて、

「ただいま」と言ったんですが、声が小さくて

家族は誰も気づいてくれなかったこと、

数分後、父が追い付いて

「ただいま~!」と大声で叫んだので、

みんなようやく気づいてワラワラと出てきたと

話してくれたことを思い出すと、今も泣けてきます。

 

ですので、この話は他人事とは思えません。

文中にもありますが敗戦後、日本政府は中国政府に対して

「民間人は日本に帰さず、中国に置いておいてくれ」と

頼んだそうです。

日本政府が国策として中国に送り込んだ自国の民を

戦争に負けたからと言って

置き去りにしたばかりか、そのまま見捨てようとしたことを、

日本国の庶民は決して、忘れてはならないと思います。

 

文章と写真は下の「こきおばさん」様のブログからお借りしました。

(文体を本人の語り方に変えさせていただきました。また、最後まで掲載できませんでしたので、ぜひ「いけだねっとNO2」ブログをご覧ください)。

「いけだねっとNO2」http://blog.livedoor.jp/leltugo123-yuki1234/

「父母の生きた時代と戦後の家族のくらし」

  田草川恒子さん

父は1911年(明治44年)甲府に生まれました。大地主の家だったそうです。次男だったけれど家を継ぐことになったということです。甲府中学を卒業して逓信省(郵政省)に勤務していました。

1937年(昭和12年)に母と結婚。1940年(昭和15年)に姉が、1941年(昭和16年)に私が誕生しました。
1943年(昭和18年)父は満州国新京特別市(現・中国長春)の逓信省に勤めることになり渡満、続いて姉と私を連れて母と祖母も渡満しました。その年の12月に妹が誕生しました。祖母は妹の誕生の後、満鉄に勤めていた叔父の案内でハルピンや大連などを観光して帰国しました。

長春では行政府の官舎で、大変良い環境で暮らしていました。甲府の暮らしよりずっと豊かでしたが、その環境は現地の人たちから奪い取ったものだということは、戦後になって知りました。

1945年(昭和20年)5月、父に召集令状が来ました。そのころにはもう、兵隊が持つようなものは何もなく、国民服にシャベルを持って母だけに見送られて出発しました。

8月になると、関東軍の幹部と家族は続々と日本に帰っていきました。
8月9日のソ連の参戦も、8月15日の日本の敗戦も満州にいた人達にはよく解っていませんでした。
父はその年のうちにソ連軍の捕虜としてシベリヤ送りとなり、そしてその年の12月29日にシベリヤの収容所で死去しました。このことを母が知るのは、1947年(昭和22年)のことでした。

 戦後満州に取り残された日本人は帰国することになりました。ずっと後で(何十年もたって)テレビで知ったのですが、満州や中国・朝鮮にいた日本人は返さないで現地においてくれと日本の政府が言ったそうです!中国はそんなことはできないと。連合軍に頼んで米国の船などで送り返されることになったということです。

終戦になり、日本人は帰国することになりましたが、母は3人の幼い子どもを連れては帰れませんでした。豊かな生活は一変し、何とか官舎には住んでいられましたが、食べ物もままなりませんでした。

次の年まで母は死に物狂いで働き、終いには近所の人と関東軍の倉庫に缶詰などの食料を何度も盗りに行きました。私たち子どもは見張り番でした。中国兵に捕まりそうになり止めました。どこで仕入れてきたか分からない小麦粉で饅頭を作って売ったり、清酒を水で薄めて売ったり、母は必死に働きました。ソ連兵の侵入があると少年の手引きで官舎の地下室を逃げ回り、女性は皆、髪を短く切り顔に墨を塗ったりしました。

そのまま1年過ぎたころ、かって父の部下だった現地の人が、3人も小さな子どもがいる母に「一人ぐらいお預かりしたい」と言ってきましたが、母は3人とも連れて帰ると預けませんでした。3人のうち姉はひ弱で妹は2歳でしたから、一番の候補は元気な私でした。母が連れ帰る決心をしていなかったら、残留孤児になっていたかも知れません。

1946年(昭和21年)ようやく帰国の途に就きました。母33歳・姉6歳・私5歳・妹2歳半でした。新京駅からの貨物列車(殆どが無蓋車)が、途中草原の真ん中で停車すると、現地の住民が襲ってきて、荷物を奪っていきます。列車から振り落とされた子どもはそのまま置き去り。列車から降りて収容所まで歩くのは大変でした。

ようやくコロ(葫蘆)島から船で出発しました。海に出ると母たちは与えられていた自決用の青酸カリを海に投げ捨てたということです。
真夏の船では、チフスや赤痢で死者がどんどん出て、布で簡単に包んでは海に投げ捨てました。佐世保港にようやく上陸したものの帰省地の申請で甲府は空襲で丸焼けだと言われ、仕方なく母の実家の勝沼に帰ることにし、8月末にやっとたどり着きました。それから7か月間勝沼に置いて貰いました。

(中略)

母はその後も遺族会や未亡人会・母子福祉会の役員を引き受け、活動していました。何十年かして遺族扶助料が出ることになりましたが、軍隊での地位によって金額が決まったことに母は腹を立てていました。東条英機をはじめとする幹部の遺族と、一兵卒だった父の遺族との違いは何とも大きなものでした。
それでも母は父の墓を守り通し、1995年に父の50回忌も済ませました。

母は大きな病気もせず、私たち姉妹を高校まで卒業させてくれました。着るものは制服までも手作りでした。3人の娘を結婚させ、孫5人・ひ孫8人も授かりました。2011年3月11日、東日本大震災の日、母は関東大震災の経験があったので大変驚いたということでした。姉夫婦と同居していた母は、前日まで元気にしていましたが、それから3か月後の6月11日、大雨の朝に苦しみもなく大往生しました。98歳の波乱万丈の人生でした。

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「『命の選別』大西つねき発言をめぐって」No.3920

2020-07-11 00:23:18 | 人間

都知事選の結果が出た直後に

この大西つねきさん(れいわ新選組公認・経済専門家)の

「命の選別」容認発言が問題になり、

それは都知事選の山本太郎さんの敗退以上に

私の心身に応えるもので、

正直、衝撃に耐えられず寝込むしかありませんでした。

 

これまで大西つねきさんの動画を数回見ていましたが、

基本的には、

一刻も早く、子どもたちの未来を回復させなければならない、

そのためには経済が社会を救う要であるとして

経済政策理論を熱意を込めて語っていた人です。

つまり、基本的に「とてもいい人」でした。

 

今回問題の「命の選別」容認発言というのは、

「年配者の命を削るのは

子どもや若者たちが生きていくために致し方ない。

それをするのが政治の仕事だ」

という内容だったと認識しています。

この発言は麻生太郎副総理・財務相の

「年寄りはいったい、いつまで生きるつもりかね」

という発言とニュアンスこそ違いますが、

通底しているのは、

「政治はある一定の年配者が生きることを支援すべきでない」

ということです。

私も十分に年配者ですので、

自分の生き死にを政治(家)に決められるのは心外で、

(あんた何様?!)と怒鳴りつけたい思いです。

 

しかし、冷静に振り返れば、

かつて、子どもの「間引き」が珍しくないほど貧しかった

日本の農村部では、

「姥捨て」というシステムが保持され、

村全体の体制を維持していた歴史的事実があります。

全体を保持するためにマイナス面を削いでいくというこの考えは、

功利主義の考え方「最大多数の最大幸福」と重なるもので、

大西つねきさん、麻生太郎さんもこの考えに近いと

私は思います。

功利主義は歴史上、

富が社会全体に行き渡るには絶対量が不足していた時代の

人類の知恵だったというのが、私見です。

 

功利主義における「最大多数・最大幸福」概念の特質は

それが数値化・データ化されるものであり、

幸福度、及び、幸福であるべき人間もデータ化の対象なので、

そこに「人間=数値・データ=相対価値」という発想が生まれます。

また、「最大多数」という言葉には、

そこからこぼれ落ちる少数者の存在が前提としてある、

と私は考えます。

これは

「個人は人間として無条件に他に代えがたい価値ある」

という日本国憲法の天賦人権思想、ならびに

れいわ新選組の根本理念「誰でも生きていていいんだ」

とは相容れない考えです。

大西さんはこの人権思想とれいわ新選組の基本理念を

否定する意見だと言わざるを得ません。

 

何十年か前、酒鬼薔薇聖斗事件(神戸連続児童殺害事件)が

ありましたね。

少年Aはもう成人して社会人として生活しているそうですが、

当時、少年Aは殺した子を「NG」の存在と捉え、

自分は「この世に間違って送り込まれたものを

地獄に送り返す天使だ」と夢のお告げがあり、

それを信じたとのことです。

4年前には植松聖事件(障碍者施設殺傷事件)がありました。

障害者は社会にとってマイナスになる存在なのだから

自分が除去してやるべきだという使命感を持っていました(す)。

 

大西つねきさんの「政治の仕事は命を選別することだ」

という発言は、生きていては全体のためにならない命を

社会から除去すべきだという考えであり、

私怨でなく、淡々と公務として、或いは、使命感を持って

為すべきことだと主張している点で戦慄を覚えます。

私たち年配者は「NG」「マイナス」の当事者なのですから……。

思えば、ナチス時代のドイツやポーランドでは

その考えが本当に「最大多数の幸福」だったのです。

普通の善良な人々が、毎日、毎日、

ユダヤ人を実際に殺し続けました。

殺した後、家に帰って家族と楽しい夕食時間を過ごし、

子どもたちに優しく微笑んだりもしていたでしょう。

ことほど左様に、

善意の道は地獄への門へと通じることが多いのです。

その分岐点は「人を人と思わなくなる」ことではないでしょうか。

大西さん・麻生さんの考えによれば、

私たち年配者は「人」ではなく、

全体にとってマイナスとなる「年配者」というデータなのです。

 

山本太郎さんが、最初、大西さんを党から除籍すると言わず、

考えを変えてもらう手立てを尽くすと言ったのは、

「(大西さんを含む)一人ひとりがかけがえのない存在だ」

という人権思想・れいわ新選組の理念に基づいていると思います。

しかし、つい先ほどニュースで知ったのですが、

「彼の発言は除籍に値する」と述べたと。

それは正しいと思います。

れいわ新選組は政治政党であり、社会に対する責任があります。

れいわ新選組の基本的考え「全ての人は生きていていいんだ」

と合わなければ、

大西さん自身が離党するか、

さもなくば党が大西さんを除籍して、

社会に対して責任を取らなければなりません。

除籍して、その後、学習機会を設けることもできるのです。

「除籍」は「除去」・「抹殺」ではありません。

大西さんは一朝一夕に今の思想を

作り上げてきたのではないので、

自分の人間観を見つめなおし、

何が問題なのかを根本的に変えていくのには時間が必要です。

一週間以内に「反省・謝罪・動画削除」したのは

表面的に世間の批判を受け入れたに過ぎない、

判断せざるを得ません。

彼のような幾何学的思考・データ思考の持ち主は、

データに基づき機械的に「反省・謝罪」することも

瞬時に判断できるのですから。

 

それにしても、

山本太郎さんもここ数日、

布団をかぶって寝込んだのではないかと

思えてなりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「玄関前で『アブラカダブラ!』と叫び、走り去った配達員の話」No.3919

2020-07-10 22:13:09 | 反戦平和

(今から重苦しい話を書かなければならない)と思い、

パソコンに向かったところで全身脱力の記事を見つけました。

まずはウォーミングアップということで……。

 

アメリカ、デラウェア州の話です。

Amazonの女性配達員がある家の玄関前に

注文の品(子猫の柵)を置いて3回ノックし、

「アブラカダブラ!」と大声で叫ぶや否や、

ダッシュして走り去ったとのこと。

保存された映像を見て

その家の13歳の息子が大笑いをしつつ

この奇妙な行動の種明かしをしたのですが、

その息子は注文の際、追加記入欄に

「ドアを3回ノックして、

『アブラ・カダブラ!』と大声で叫んで、

走って逃げてください」

と書き込んでいたのだそうです。

もちろん、それは冗談だったのですが、

配達員さんはそれを忠実に実行してくれたんですね。

トランプだけがアメリカじゃない、と

かつて一年弱滞在したアメリカで出会った人たちのことを

懐かしく思い出しました。

配信 

 ↑ 13歳の息子のイタズラに全力で応えた女性配達員

 

ところで「アブラ・カダブラ」というのは、

昔NHKテレビで黒柳徹子さんが空飛ぶ絨毯に乗るとき

叫んでいたおまじないでしたね。

子どもの頃、

あれは黒柳さんが考えたものだとばかり思っていましたが、

世界共通だったんですね~。

「アブラカダブラ」  スティーヴ・ミラー・バンド ">

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「総理大臣の任命責任」No.3918

2020-07-09 22:43:00 | 反戦平和
「閣僚の任命責任は内閣総理大臣たるわたくしにあります。こうした事態となり責任を痛感しております。」
これを3回言ったらレッドカードで退場、
つまり総理大臣を辞任するという法律を作るべきでは?
でないと、先回りして
「総理大臣が責任を痛感していると言えば、それで責任を取ったことにする」と
閣議決定されかねません。
下の動画、ある意味で圧巻です。―ツイッターから転載―


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「さようなら中国」No.3917

2020-07-08 23:46:38 | 反戦平和

↑菏澤学院メインビルディング。旗は係の学生たちが軍隊式に恭しく掲げているのを見たことがあります。毎日やっているのかどうか分かりませんが、そういうのを見るたびに不愉快になったものです。日本でも「国旗掲揚!」と聞くと心中(ちっ!)と舌打ちしていたので。

先週末で全ての成績をつけ、データを大学に送付して

私の仕事は完全に終わりました。

あとは宿舎に放置してある私物が最大の問題でしたが、

いつも何かと私を助けてくださっていた日本語学部の李先生が

外事処のMr.張と一緒に我が宿舎に行って荷造りし、

船便で送ってくれると申し出てくれました。

いや~、実に感謝感激です。

甚く感激しながらも私は、

その船便の代金は大学が払ってくれるよう冷静に要請しました。

5年間の大学への貢献と成果、

そして今学期英語学部の外国人教師が、

授業をしないで給料を100%支払われたのは

コロナの所為ですからいいとして、

私は日本にいながら教科書もないのに自分で授業内容を組み立て、

いつもの学期と遜色ないネット授業を提供したのだから

船便代ぐらい払うに値するはずだと交渉したのです。

それも外事処のMr.張が意外なほど快く承諾してくれたので、

今までいろいろあった大学ですが、

最後は温かい気持ちでさようならが言えます。

最後に、去年の7月初めのキャンパスの写真を見て

お別れしましょう。

↓大学のあちこちに「公安」=ポリスボックスがあります。

ポリスボックスと言っても警察官ではなく、ガードマンの身分です。

手前の麦藁帽のおじさんは、掃除スタッフ。年輩の方が多いです。

↓この時期は、寮を去る学生たちが荷物を家に送るので

各寮の前はごった返します。

今年から外国語系では3年の期間が終わると

もう授業がなくなるので、

3年生も泣いてクラスメートと別れ、

荷造りして家に帰ったそうです。

荷物の袋に直接住所を書くのがいかにも中国風。

↓この大学の魅力は豊かな樹々です。

この柳の下を歩くのが好きでした。

↓果実がなる木って、見るだけでもワクワクしました。

これからも毎年、木々は実をつけることでしょう。

↓外国語系ビルには

このような謳い文句があちこちに掲げられています。

「母語、外国語、言葉と言葉、手に手を取って世界を翔けよう」

↓教室の私の手書き掲示物①

↓掲示物②ひらがな曲線が苦手な学生が多いのです。

↓私の宿舎脇道路は小学生の通学バス乗り場があり、

昼に帰ってご飯を食べ、昼寝の後でまた登校していました。

アイスを食べながら、バスに乗ろうとしている小学生の男の子。

↓宿舎の台所から見たゴミ収集車。男性が運転し、女性がせっせと

ゴミ収集の仕事をしていました。中国の女性たちは働き者です。

↓駐車場でくつろぐ家族。日本で駐車場でここまでのんびりする家族いますかね?

↓雨が降ったらすぐ溜まるのが我が宿舎近辺。菏澤市内で最も水がたまる低い地域なんだそうです。この写真は排水溝に雨水が流れ込んでいるのでまだ問題ない段階です。膝上までの水を漕いで授業に行ったこともあります。

↓年々、糞の付き方が少なくなってきた卵。消費者の要望ですかね。その分高値になってきたような気がします。

↓何と言っても懐かしいのがこのインスタントコーヒー。右は日本から持参したもの。左の雀巣コーヒーはめちゃ高いのです。日本ではインスタントコーヒーは飲まないので、これを大切に飲んでいた日々が懐かしく思えます。

まだいくらでも写真はあるんですが、

そのうち保存したまま、埋もれてしまいそうな予感が(笑)。

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「枝野さ~ん、あなたは勘違いしてますよお!」No.3916

2020-07-07 23:08:10 | 反戦平和

立憲民主党の党首、枝野幸男氏が昨日6日、

「次の衆院選で野党統一候補になりたかったら、

自分(枝野幸男氏)の名前を選挙後の首班指名で

書くことを条件とする」

という主意の発言をしました。

ちゃっちー野党ジマの王様気取りですね。

消費税減税を訴える立民党員も約60人いるというのに

この頑固おじさんは緊縮財政以外は受け付けず、

一貫して、れいわ新選組や国民民主党を含めた全野党共闘の

邪魔をしているのですから、

もはや団結の足引っ張りをしている罪深い人です。

もう、立憲民主党の党首、交替すれば?

「枝野首相」指名なら一本化=次期衆院選の野党共闘で―立憲代表

枝野氏 野党共闘条件を提示

2020年07月06日 21時50分 時事通信

立憲民主党の枝野幸男代表は6日、高知市で記者会見し、次期衆院選の野党共闘をめぐり、自身を首相に指名することを、候補者一本化の条件とする考えを示した。「選挙後の首班指名で『枝野』と書いていただける可能性がある方は、自民党・公明党の候補者と一騎打ちとしたい」と述べた。 【時事通信社】

https://news.nifty.com/article/domestic/government/12145-719454/

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「終日雨、石牟礼道子の本が届く」No.3915

2020-07-06 23:11:39 | 自然

熊本県の大雨被害のニュースが伝えられ、気を揉む中、

熊本出身の石牟礼道子さんの本が届きました。

池澤夏樹個人編集の日本文学全集(河出書房新社)の第24巻です。

友人から第一巻『古事記』をもらって甚く気に入り、

その後、ヤフオクで第八巻『今昔物語・宇治拾遺物語等』を買い、

これは三冊目です。

引っ越しの時は、(絶対これ以上本を増やすまい)と思ったものの

電子書籍で我慢できるものとできないものがあり、

このシリーズは、気に入った巻だけでも

手に取ってベッドで寝ながら読みたいと思っています。

石牟礼道子さんの言葉には、

ほんの数行読んだだけでも

自分の心の深いところが感応します。

これから時間はたっぷりあるので、丁寧に読もうっと。

 

終日の雨で野菜が水浸しになるといけないので、

水が流れるようにしました。

小さい川ができたようでずっと見ていても飽きません。

昔、子どもだった時

北海道で春に家の前の氷が解け始めたときも

熱心に小川作りをしたものです。

手前の小窓には中国にいた時と同じく人参&大根。

人参は、チーズトーストに葉っぱを散らしたり、

みそ汁やスープにパラパラと浮かせたりしています。

今度の家にはなぜかやたらと蜘蛛がいるのです。

私はヤモリの方が好きなんですけど、

まあ、蜘蛛もコバエを食べてくれるからいいわと

放置というか共生しています。

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「小池百合子再選とか・・・」No.3914

2020-07-05 19:55:14 | 反戦平和

いやもう、今は言葉が出ません。

ただ、(そうなのか、東京都民は小池百合子を選んだのだな)と。

 

昼間、所在なく外の狭い庭をぼうっと見ていたら

ふと、一枚の胡瓜の葉っぱが

くたっとなっているのに気づき、

ちぎって裏を見ると、

太った芋虫が張り付いていました。

それは速攻、踏みつぶしたのですが、

よく見ると、あっちの葉っぱにもこっちの葉っぱにも

裏にこういうのがくっついて、葉をむしゃむしゃ食べています。

   ↓      ↓      ↓      ↓

ネットで調べると、どうも「チュウレンジハバチ」

という虫の幼虫のようです。

全部で10匹以上手掴みで取り、全て潰しました。

 

都知事選の結果ですけど、

長い年月を生きてきて、

何度もこういう結果を経験してきたワタクシとしては

今は希望も、絶望もなく、

一人の個人の責任を果していくだけだと

息を吸って、吐いています。

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「いよいよ明日 !あの人からも山本太郎候補に応援メッセージ」No.3913

2020-07-04 20:55:49 | 人間

いよいよ明日が都知事選挙の日ですので、

今日は最後の私なりの選挙活動です。

保守だのリベラルだのという言葉が

日本の政治志向を的確に表す概念たり得ない今、

新しい時代を切り開くには

既存の野党連合はもはや形もサイズも現実に合わないと思う私は、

反緊縮経済政策をメインに掲げて庶民の生活の底上げを主張する

れいわ新選組の山本太郎さんを支持しています。

でね、今日はどんな方々が山本太郎候補を応援しているのか

YOU TUBE動画などからピックアップしてみました。

(へえ、あの人も!)という人が一人混じっていましたよ(笑)。

 

嘉田由紀子さん(参議院議員・元滋賀県知事。太郎さんが6年間参議院議員だった時に厚い信頼関係を築き合った同僚)

馬淵澄夫さん(衆議院議員・国民民主党・元国交大臣。消費税減税を主張、反緊縮財政政策を一貫して主張。昨年10月、太郎さんと「消費税減税研究会」を立ち上げた)

山田正彦さん(元農林水産大臣・種苗法改正反対の先頭に立ち、全国を駆け回っている大先輩)

須藤元気さん(参議院議員・太郎さんの応援のため立憲民主党を離党。たろうさんと同じロスジェネ世代。消費税廃止・反緊縮経済を主張)

亀井静香さん(元自民党金融担当大臣)

(おお!これはこれは)「山本太郎は現代の桃太郎だ」というキャッチコピー、ちょっと滑ったかな(笑) 下の動画でご覧になれます。

湯川れい子さん(シャネルズの「ランナウェイ」、「街角トワイライト」、中島美嘉「火の鳥」など多数の楽曲を作詞。プレスリーやビートルズ、マイケル=ジャクソンにも何度も会ったという日本のポピュラーミュージックの開祖様)

森ゆうこさん(参議院議員・国民民主党。私的には「極道の女たち」の映画に出演してもいいのにと思える、熱き血をたぎらせるカッコイイお姉さん。

 

【いよいよ明日 !! あの人からも!応援メッセージ】東京都知事候補 山本太郎

【阿佐ヶ谷駅南口街宣】東京都知事候補 山本太郎 街頭演説 2020.7.4 16時30分~【れいわ新選組公認】心に深く沁みる湯川れい子さんのスピーチはこちらから(19:40頃~) 

  ↓      ↓       ↓  

https://www.youtube.com/watch?v=If0yRYw6Aas

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「小池百合子知事会見:東京124人感染」No.3912

2020-07-03 23:44:27 | 災害

↑(疲れ顔も髪のほつれもひょっとして演出?)そんな意地悪な気持ちにすらさせられる小池知事。

都内で新たに124人感染した今日の小池都知事の定例会見。

私は初めて最初から最後まで見ました。

以前の基準では「東京アラート」を超える人数にも拘わらず、

それについては一切口にすることなく、

感染対策中心から経済中心へとシフトしたためでしょう、

「地域や個人が自分で頑張って気をつけることが大切」

「夜の街は避けましょう」

などという説明をぺらぺらと述べ続け、

心に響く言葉は皆無でした。

「夜の街」→「いかがわしいところ」→

「そこへ行く者は自己責任&そこで働く者は切り捨て」

何とまあ、「上級」政治家ならではの発想であることよ!

保障がないから店を開けざるを得ない者のことなんか

考えもしません。

みんな生きるために必死で働いてんですよ!

10万円はもう都民全体に行き渡ったんですかね?

 

その後の質疑応答は、

想定内の質問をする顔見知りの記者だけを当てて終わったので、

最後は「仲間内だけに当てないで下さいよ!」

「答えろ!」という怒声も上がる中、

さっさと出て行ってしまいました。

今は都民の生命、財産がかかっている危機的な状況なのに、

都民が困ろうが死のうがどうでもいいというような、

政治家として空洞であることを曝け出したとしか思えない

寒々とした記者会見でした。

こういう人を再び都知事に選ぶのは都民にとって

いいこと一つもないんじゃないですか。

都民の皆さんは下の本を読んでから、

投票場に行ったほうがいいと思います。

都民の皆さんが小池百合子に一泡吹かせてくれることを

祈念していますよ~。

【ノーカット】 東京の新規感染124人 小池都知事定例会見

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「政治なんか自分と関係ないね、の心」No.3911

2020-07-02 23:45:09 | 反戦平和

   ↑2016年都知事選 得票数と棄権者数の比較

 

高校時代、つまり今から半世紀も前に、

苦手な漢文の教科書に書かれてあった中国の話が

最近何度も頭をよぎるのです。

〈老人がいて、腹鼓を打って歌いながら言う。「日の出とともに働き、日が没したら休むだけだ。井戸の水を飲み、田を耕して食べる。天下泰平、いい暮らしさ。皇帝の政治なんか自分と何の関係もないね。」と〉

平和な世で安寧な暮らしができているから

そういうことも言えるので、政治がめちゃくちゃだと

のんびり腹鼓なんか叩いていられない、という故事でしたが、

何十年間もすっかり忘れていたのに

なぜなぜ急に思い出したかと言うと、

この中国古代の政治に関知しないお爺さんと、

現代日本の人々の政治への無関心な有様

同じなのだろうか

という疑念が湧いたためです。

(・・・なんか、違う。

腹鼓を打って歌いたくなる幸せ感、満足感は

今の日本社会にはない)

私はそう思わざるを得ません。

実は、今まで約10年間、

夏休みと冬休みの年に2回、帰国するたびに、

空港に降り立った時の日本の空気、人々の表情が

中国のそれとは違い、

どことなく、沈鬱な雰囲気を漂わせているのを

感じ続けてきました。

静かだと言えばそうなのですが、

どうもそれだけではありません。

また、朝、出勤・通学のため街行く人々に

活き活きした力強さがなく、

どこかくたびれた印象を覚えるのです。

日本社会で暮らす人々は小さい子供を除いて

多くが疲れているように私には思われます。

その原因は、楽しくもない仕事や学習に

長時間拘束されているためとしか考えられません。

(中国でも長時間勉強させられている高校生たちの表情は

やはり暗いですが、それ以外の人々は目が輝いています)

 

では、十分に充足し、心から楽しく過ごしているわけでもないのに

なぜ多くの日本の人々は政治に無関心なのか?

これが問題です。

 

日本人として日本に生まれて育ち、

高校生の頃には社会を批判的に見る視点を持ち始めた私が

家のテレビニュースなどで政府批判の話をすると、

たちまち母が(父は議論に参加しない人でした)

「政治家はお前なんかよりずっとものを知っている。

政治は政治の専門家にまかせておけばいいんだ。

お上に盾突くものではない。

政府を批判するお前はどこの国の人間だ。アメリカ人か。

親に学問がないからと馬鹿にしてはいけない。

親の言うことを聞け。」

と言ったものです。

その時はたいがい泥沼の言い合いとなり、最後に母は

「頭が痛くなった」と言って

布団をかぶって寝るのがパターンでした。

 

それでは私は、

日本では例外的な反抗的人間なのでしょうか。

自分ではすぐに何でも信じやすい思慮浅い性格だから

色々な面から物事を見ないといけないと

常に自戒して生きてきたのですが……。

「お上の言うことに逆らってはいけない。

父母の教えを素直に聞かなければならない。」

まるで「自分の頭で考えるな」と言うかのごとき母の言葉は、

なんと江戸時代の寺子屋の教科書『実語教』の

「父母は天地の如く、師君は日月の如し」

 「父母には朝夕に孝せよ。師君には昼夜に仕へよ」

とそっくりです。

ひょっとして、多くの日本人の頭の中には

大正九年生まれの我が母と同様に、まだ、

「お上に逆らってはいけない」意識があるのでしょうか。

ただ、くたびれ過ぎて思考停止状態なのではなく……。

それか、政治に参加しないことで、

政治への不信感を表現しているのかもしれません。

でも、それでは今の政治への全権委任になるということぐらい

すぐに分かりそうなものですけど。

 

1945年の敗戦後、

日本中がこれからは民主主義の世の中だと活気づいていたのは

ただ一時の流行りに過ぎなかったのでしょうか。

私の思考はたまたま、その一時の古いダサい民主主義に

今も拘ってる超オールドファッションなのでしょうか。

いったい、民主主義とは、

流行りで片づけていいものなのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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