「父は事業をしていてね。一時は羽振りがよかったのよ。テレビを買ったのも,車を買ったのも村でいちばん早かったわ」
彼女は韓国の貧困地帯,江原道の出身。97年ごろに数え年の30歳と言っていたから,60年代後半の生まれでしょう。
「でも,家が火事で全焼してから生活が苦しくなったの。いつもお腹が空いていたわ」
そんな話を明るくしてくれます。この明朗さは天性のもののようです。
「私がなんで高校を卒業できなかったか知ってる? バス代がなかったから。ハハ。今日が卒業式っていう日にね,バス代ちょうだいというと,家にお金が一銭もないって。それで卒業をあきらめたのよ。ハハハハ」
彼女の話は,確かにおもしろいのだけれども,はたして本当なんだろうか。お婆さんは阿片をやっていたなんていう話も出てきた。阿片なんて,「阿片戦争」のころの話だと思っていたのですが,驚きです。
その後日本に渡った経緯はわかりませんが,とにかく名古屋の韓国クラブで働いていたらしい。それで,日本語はかなりのものです。
「すごい気前のいいお客さんがいてね。会社の社長だって言ってたわ。ホテルに行くと,一回で20万円もくれるのよ。信じられないでしょう?」
「じゃ,ずいぶん稼いだね」
「それがね,全部盗られちゃったの」
「えっ? 日本で?」
「そうよ。日本にも悪い奴はいるのよ。犯人はわかっているんだけどね」
なんでも,当時,同じ店の日本人ホステスと部屋をシェアしていたそうな。ビザが切れて,明日韓国に帰るという最後の日,かばんに入れていた80万円がなくなった。同部屋のホステスに聞いても,知らぬ存ぜぬの一点ばり。
「あの女が盗ったに違いないんだけどね。客の社長に泣きついても,「バカな奴だなあ」で終わり。ほんとに日本人って薄情ね」
(そういわれても…)
韓国に帰国後,今度は香港へ。
「香港では免税店で働いてたの」
「中国語もできるの?」
「できるわけないでしょ。日本人と韓国人専用のお店。そこもおもしろかったわよ。高い宝石売るときね,お客さん,ホテルどこ? これ買ってくれたら今晩おつきあいしてもいいわよって言うとね,買ってくれる人がいるのよ。ハハハ」
「で,ホテル行ったの?」
「行かない,行かない。次の日,怒鳴り込んでくると困るから,翌日出発のお客さんにだけ使う手だけどね。ハハハ」
イテウォンの店には,香港の免税店で一緒に働いていたという友だちが2人いたのですが,2人とも数奇な人生を歩んでいる。2人とも香港人と結婚し,子どもまでもうけた。
1人は,旦那がぐうたらな上に暴力をふるうので,たまりかねて離婚。子どもは旦那側に行き,韓国に帰ってからもわが子に会いたくてたまらない。
もう一人のほうは,旦那が何かの犯罪を起こして外国に高飛びをした。音信不通なので仕方なく子どもを連れて韓国に帰ったが,韓国は父系血統主義なので,子どもを韓国籍にすることができない。父親とも連絡がとれないので,現在,無国籍状態でこのままでは小学校に入学できないという。
「私,結婚はしたくないけど,子どもは欲しいの。ときどき,兄の子どもをあずかって,いっしょに遊ぶの。ホントに子どもってかわいいわね」
「結婚すりゃいいのに」
「こんな仕事して結婚できるわけないでしょ。するとしたら,隠さなきゃ」
「家族は知らないの? 仕事のこと」
「知らないわよ。ただ,弟は薄々知ってると思うけど」
彼女には,上に兄,姉が何人かいて,下の弟はソウルで同居している。そんな彼女に,一番上の兄から結婚話が持ち込まれたのが98年のことでした。
「もう,お酒もタバコも辞めるわ。子どもに影響があるっていうでしょ?」
「うまくまとまるといいね」
「でも結婚にはお金が必要でしょ。頑張って働かなくちゃ」
彼女が「働く」というのは,すなわち「体を売る」ということなんですね。結婚のための売春…。
数年後,久しぶりに飲みに行って,彼女を知るチーママにその後の様子を聞きました。チーママが声をひそめて言うには…。
「子どもができたんだけどね,ちょっと障害があるんだって…」
(……)
どんな障害かは聞けませんでした。長年の酒とタバコが影響したんでしょうか。その後の消息は知りませんが,今や彼女は四十過ぎ,子どもも小学生でしょう。彼女と家族に幸せを切に祈ります。
彼女は韓国の貧困地帯,江原道の出身。97年ごろに数え年の30歳と言っていたから,60年代後半の生まれでしょう。
「でも,家が火事で全焼してから生活が苦しくなったの。いつもお腹が空いていたわ」
そんな話を明るくしてくれます。この明朗さは天性のもののようです。
「私がなんで高校を卒業できなかったか知ってる? バス代がなかったから。ハハ。今日が卒業式っていう日にね,バス代ちょうだいというと,家にお金が一銭もないって。それで卒業をあきらめたのよ。ハハハハ」
彼女の話は,確かにおもしろいのだけれども,はたして本当なんだろうか。お婆さんは阿片をやっていたなんていう話も出てきた。阿片なんて,「阿片戦争」のころの話だと思っていたのですが,驚きです。
その後日本に渡った経緯はわかりませんが,とにかく名古屋の韓国クラブで働いていたらしい。それで,日本語はかなりのものです。
「すごい気前のいいお客さんがいてね。会社の社長だって言ってたわ。ホテルに行くと,一回で20万円もくれるのよ。信じられないでしょう?」
「じゃ,ずいぶん稼いだね」
「それがね,全部盗られちゃったの」
「えっ? 日本で?」
「そうよ。日本にも悪い奴はいるのよ。犯人はわかっているんだけどね」
なんでも,当時,同じ店の日本人ホステスと部屋をシェアしていたそうな。ビザが切れて,明日韓国に帰るという最後の日,かばんに入れていた80万円がなくなった。同部屋のホステスに聞いても,知らぬ存ぜぬの一点ばり。
「あの女が盗ったに違いないんだけどね。客の社長に泣きついても,「バカな奴だなあ」で終わり。ほんとに日本人って薄情ね」
(そういわれても…)
韓国に帰国後,今度は香港へ。
「香港では免税店で働いてたの」
「中国語もできるの?」
「できるわけないでしょ。日本人と韓国人専用のお店。そこもおもしろかったわよ。高い宝石売るときね,お客さん,ホテルどこ? これ買ってくれたら今晩おつきあいしてもいいわよって言うとね,買ってくれる人がいるのよ。ハハハ」
「で,ホテル行ったの?」
「行かない,行かない。次の日,怒鳴り込んでくると困るから,翌日出発のお客さんにだけ使う手だけどね。ハハハ」
イテウォンの店には,香港の免税店で一緒に働いていたという友だちが2人いたのですが,2人とも数奇な人生を歩んでいる。2人とも香港人と結婚し,子どもまでもうけた。
1人は,旦那がぐうたらな上に暴力をふるうので,たまりかねて離婚。子どもは旦那側に行き,韓国に帰ってからもわが子に会いたくてたまらない。
もう一人のほうは,旦那が何かの犯罪を起こして外国に高飛びをした。音信不通なので仕方なく子どもを連れて韓国に帰ったが,韓国は父系血統主義なので,子どもを韓国籍にすることができない。父親とも連絡がとれないので,現在,無国籍状態でこのままでは小学校に入学できないという。
「私,結婚はしたくないけど,子どもは欲しいの。ときどき,兄の子どもをあずかって,いっしょに遊ぶの。ホントに子どもってかわいいわね」
「結婚すりゃいいのに」
「こんな仕事して結婚できるわけないでしょ。するとしたら,隠さなきゃ」
「家族は知らないの? 仕事のこと」
「知らないわよ。ただ,弟は薄々知ってると思うけど」
彼女には,上に兄,姉が何人かいて,下の弟はソウルで同居している。そんな彼女に,一番上の兄から結婚話が持ち込まれたのが98年のことでした。
「もう,お酒もタバコも辞めるわ。子どもに影響があるっていうでしょ?」
「うまくまとまるといいね」
「でも結婚にはお金が必要でしょ。頑張って働かなくちゃ」
彼女が「働く」というのは,すなわち「体を売る」ということなんですね。結婚のための売春…。
数年後,久しぶりに飲みに行って,彼女を知るチーママにその後の様子を聞きました。チーママが声をひそめて言うには…。
「子どもができたんだけどね,ちょっと障害があるんだって…」
(……)
どんな障害かは聞けませんでした。長年の酒とタバコが影響したんでしょうか。その後の消息は知りませんが,今や彼女は四十過ぎ,子どもも小学生でしょう。彼女と家族に幸せを切に祈ります。
平成の御世の<金春禅竹【江口】>であります。
当世朝鮮遊女の生き様<人生いろいろ>は、
何処の国・何時の時代にもあることなのでしょう。
「松風蘿月に言葉を交わす賓客も去って来る事もなく・・・」色里は何処も同じでしょう。
アガシたちも、江口の君のようにやがては普賢菩薩になるのでしょう。
母親と定期的に人里離れた山寺に通っていたとのことです。