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Brugge Style
蠍座のパリ
カルナヴァレ博物館(パリ歴史博物館)の中庭、ルイ14世の背後に蠍座の擬人...と思ったのだが、これは蟹座??
ほら、博物館内の名物、昔のパリのお店の看板を紹介する部屋のロブスターにそっくり...!!
蠍座のパリは日中15度と暖かく、屋内ではコートが邪魔になる。
わたしはパリではあまり買い物はしない方だが(厳選するため悩みすぎて結局なにも買わないタイプ)、それでも増えていく買い物袋を下げて歩いていると体温が上がる。
パリはお店の人との会話がとても楽しい。
数百円のものでも、みなさん、ご自分が商うものに詳しく、親切でおもしろい。
白眉はセリーヌで接客してくれた中年の男性! もうやめて...笑いがとまらない(笑)。
生まれて初めてメトロ内で席を譲られて愕然...!! しかも美青年に!
蠍座でひとつ歳を重ね、わたしも席を譲られるような立場に?!
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ヴォージュ広場6番地
パリの朝。
ほぼ四角形の、レースで縁取られたハンカチーフのようなヴォージュ広場の一つの角にある、ヴィクトル・ユーゴーの家(現在は彼の記念館、常設展は無料)には、気軽な朝ごはんにもよいカフェがある。
まあ、ヴォージュ広場には、ホテルのを含め、機嫌が良くなるカフェが他にもたくさんあるのだが。
ホテルから直で行けばいいものを、美しい広場と周辺の建物を眺めつつ、うろうろし始めたらなかなかたどりつけない...
ヴォージュ広場は、17世紀にアンリ4世によって造成された。
王室による都市計画の最初のひとつであったという。
この広場が当時斬新だったのは、広場をレースのように縁取る建物のファサードがすべて同じデザインで建てられたことだ。
美しい。
ポンポン・ダリアか。
秋の朝、ブルーグレーの空に鮮やか。
さて、ヴィクトル・ユーゴーの記念館には、彼の「亡命前」「亡命中」「亡命以前」の暮らしの一部が再現されている。
英ガーンジー島で亡命中に暮らした家のサロン「中国のサロン」の装飾は彼自身の手により、作家の多才さがうかがわれる。
シノワズリー(中国趣味)は、18世紀、ルイ15世時代の宮廷と貴族社会で流行し、磁器・漆器(セーヴル釜が開かれたのもこの頃)など中国からの輸入品が富裕層のステイタス・シンボルになった。
中国は長い歴史を持つ「理想的な文明国家」としてヨーロッパに紹介され、ヴォルテールやモンテスキューなどの啓蒙思想家は、中国の政治制度や道徳観を称賛したのだった。
ロココ様式と絶妙に融合した装飾スタイル、いいなー。わたしも大好き。
ユーゴーの時代19世紀のシノワズリーは、パリ博覧会や植民地拡大を背景に再び人気を集めたといえよう。
ジャポニズム(日本趣味)が流行したのもこの時期である。
パリのジャポニズムは、今でもシックの最先端だ。
ナポレオン3世の復古王政時代の東洋趣味は、エキゾチシズムやロマン主義の影響を受け、東洋文化への憧れとして芸術や建築に広範に取り入れられた。
パリのオペラ座やムーラン・ルージュ、リモージュの磁器にもその影響が見られる。
パネルの人物はどれも優雅でコミカルで、ひとつひとつ見ていて飽きない。
わたしが好きなのは小舟で眠る人や天使...
やっとカフェに到着。
そういえば、前回写真を載せた教会で、『レ・ミゼラブル』のコゼットは結婚したのだった...
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外はストーブ・内は暖炉 エーゲ海の晩秋
10月末、エーゲ海沿岸も昼間は25度、夜間の最低気温は17度以下になる。
ボドルムのリゾートは今月末をもってあちこちがお休みに入る。
11月の声を聞くと、いきなり雨季、大量の雨が降るそうだ...
夜の外での食事はガス・ストーブ横、部屋は大理石の床に暖房、そしてロマンティックなトルコ式の暖炉を入れてもらう。
この暖炉、炭が朝まで静かに優しく燃え続け、家で馴染んでいる薪がバンバン燃えるものよりもずっとシンプルでずっと素敵だ。
金属の巨大な香炉のような器は移動式で、外で炭に火をつけて安定させてから持ってきてくれる。しかもその道、何十年という感じの紳士が。
遊牧民は歴史を通してこういう暖炉を使ってきたのかな...
そして暖炉横で満点の星に切れ目を入れて星座を発明したり、神々がいかに世界を創造したかを口伝したのだろう。
最後の夜で、屋外のテーブルでストーブにあたりつつ、早めのお誕生日を祝ってもらった。
モエは蠍座の女。
この手作りショート・ケーキ、全く甘くなく、ジューシーで驚くくらい美味しかった。
生クリームが違う。こういうのが生クリームの元祖なのだろう...すばらしきアナトリア半島の乳製品。
甘いものがそんなに好きではないわたしも4分の一もいただいた。
夫がホールの半分以上を食べた(笑)。
バア担当の女性スタッフがお花をくれた。別の方はわたしが欲しかったあるものも。とても可愛い人たちである。
おやすみ。
わたしも北へ帰る。
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薔薇色の指を持つ曙、葡萄酒のような海
10月下旬ともなれば、エーゲ海沿いトルコの夜明けは遅い。
明るくなるのは8時を待ってからである。
入江の向こうの山からいきなり太陽が顔を出して始まる豪華な夜明けの色。
薔薇色の指を持つ曙が...
「薔薇色の指を持つ」は、古代ギリシャでの叙事詩の曙の枕詞だ。
ああ、たしかに曙は薔薇のような色だ...と合点してしまうものの、古代ギリシャの色彩概念は現代のものとと大きく異なっており、色を表す語彙も、現代の「赤」「青」「黄」などとはぴったり合わない。
例えば有名なのは「葡萄酒のような海」という表現である。
ホメロスも『イリアス』や『オデュッセイア』の中で海を「葡萄酒色」と表現している。
朝焼けや夕焼けに染まる海の色のことを言っているのではなく、現代でいう青や緑の海をそう呼んだ。
ホメロスの時代では色そのものよりも光や質感が重視され、海の輝きや変化する水面を「葡萄酒」に例えたからだという。
同じように、「薔薇色の指を持つ暁」というのも、現代の「ピンク」「赤」「オレンジ」ではなく、朝の光を質感で抽象的に表現したものだ。
また、古代ギリシャ語には「緑」を指す明確な言葉がなく、植物の色は単に「濃い色」と表現されていた。
「クロロス」とは、草木が新鮮で生命力に満ちた「萌色」であり、ここでも色そのものより、生命力や活力、質感を表す言葉として使われていた。
金属は「青」であり、暗く、光沢のある質感をイメージしてのことだそうだ。
面白いのは、「金色の頭髪」という表現が出てくる場合、現代の金髪(ブロンド)を指しているのではなく、その人物の輝きや神聖な存在感を強調していることだ。
英雄アキレウスやメネラーオス、絶世の美女へレネーなどは「金色の髪」と表現されてい、これは彼らの神々しさや英雄的、例外的な存在感を示すための比喩的な表現である。
やはりこの時代には、質感や輝きが「色」よりも重視され、「金色の頭髪」とは、人物の光を放つような美しさや崇高さを、感覚的、精神的なイメージでとらえたのである。
以上、すべて朝8時ごろの写真を載せました。
まだリゾートから一歩も外出していないので同じような写真しかなく...
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