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小さな世界




毎朝娘を学校へ送り届ける時に通る角に「小さな世界」という名前のついた家がある*。


この家の食卓は窓際にあり、しかもカーテンのかわりに10センチに満たない位の幅のレースを何本か下げているだけなので、ぼんやりと赤い食卓灯を点した室内が外から丸見えなのである。
老夫婦がこの食卓に向ってコーヒーを前にし、新聞や手紙を読んでいる様子がちらっと目に入ってくるのは、ずっと朝の習慣になっていた。


ある朝突然、食卓には1人しかいなかった。
次の日も。
そのまた次の日も。

かなりしばらくしてから「おそらくご亭主は亡くなられたのだろう」というストーリーが頭に浮かんだ。

今朝も食卓には1人だけだった。
でも彼女は以前と同じ場所に同じ状態で座り、コーヒーポットを前に手紙のようなものを読んでいた。


小さな世界の窓は、この世に1つだけ確実なことがあるということを上演している舞台であるかのようだった。


われわれは生きて、死ぬ。












*ブルージュの建物の何割かには名前がついている。例えば「忍耐」(忍耐がキリスト教的美徳だった時代に建ったのか?)、「ガラスの家」(窓ガラスが貴重だった時代に建ったのか?)などなど。わが家に名前はないが、もしわたしが名付けるとしたら日本語で無常庵などと俗悪な名にして、何世紀後かには単にムジョーアンと呼ばれるばかりで何語なのやら意味は何なのやら、失われてしまうようにしたい...


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