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Brugge Style
遠い国から来た女
去年、大変優秀な院生の女性とお知り合いになった。
時々彼女と社会分析ごっこをしながら何時間もしゃべるのは最近のわたしの楽しみのひとつである。
少し前のことだが、
Moetさんって本当にきれいだよねと外国人が言う、と彼女が言うので、わたしは当然だよ、と答えた。
こら、今笑たやろ、自分。
なぜわたしがあなた方の失笑を買うようなことをわざわざ書くか考えてみたまえ(笑)。
美女の定義は美醜にあるというよりも、神秘性にあるのである。
誰が見ても文句なしの典型的絶世の美女というのも世間にはいるけれど、そういう女神様にしたってである。
東洋人の型を見慣れていない西洋人には、東洋人が持つ同じ意味での美醜の価値判断は備わっていない。
では何で判断するか。
「謎」をまとっているかどうか、で判断するのである。
どこから来たのか、何歳なのか、プロフェッションは何なのか、どういう理由でここにいるのか、何を何語で考えているのか...判断する人の側で勝手にストーリーを織り上げてくれるのだ。
お手軽なことに世の果てから来た異邦人であるわたしは丸ごと「謎」丸ごと「神秘」なのである。思考を妨げるオリエンタリズム、である。
ここにあってはいけないのは貧相というファクターだけだと思う。
貧相は単なる貧相で、これ謎を生まない。人はたいてい誰かが貧相であるということに興味を抱かないものなのである。
反対に磨かれた靴や、質の良さそうなコート、そういうものはさらに謎を深める。
さらに言えば(わたしにあるとは言わないが)、堂々とした優雅な物腰。
たまに見かける、つまり行動にルーティーンが少なく神出鬼没、というのも重要かもしれない。
そういうわけで都合よく、日本人以外の方々はわたしのことを美女(かもしれない)と勘違いして下さっているのである。
謎は謎のままにしておく方がいいのである。
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